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第145話
本家訪問から数日。
穏やかで平和な、なんの変哲もない日々が過ぎていく。
今日も今日とて、無事課題をやり終えた俺は、暇つぶしに食材の買い物がてら、街に出てきていた。
「あー、浜崎さん」
「はいっ、なんすか?」
「本屋…。ちょっと寄り道してもいいですか?あそこの本屋さん」
たまたま見かけた書店にふと気が向き、そちらを指差す。
「いいっすよ。…あの、伏野さん、行きたい場所は、オレに構わずに好きに向かっていただいていいんすよ?オレは勝手について行きますんで」
許可などいらないと…。
「あ、そうですね…」
ツキン、と小さく痛んでしまった胸の中は、俺の自業自得。
「伏野さん…?」
「なっ、なんでもないです。行きますね」
そう、浜崎は別に、俺の友達じゃないんだ。
うっかり一緒にショッピングに来ているつもりになった俺が悪い。
落ち込みかけた気分を振り払うように、パッと本屋の方へ歩き始めた俺の後ろを、浜崎は迷わず追って来た。
そうして5階建てという大きな書店に入って、何気なく、雑誌が置いてあるフロアの料理本エリアに向かった俺は、目についた料理雑誌をふらりと手に取った。
何となく、レパートリーを増やそうかな、なんて思いながら、パラパラと雑誌を捲り始めたときだった。
ふと、後ろをキャッキャとした女の子たちの声が通り過ぎようとしていた。
んー、これなんか簡単そう。
うるさいなー、なんて少し意識を奪われながらも、料理本を呑気に眺める。
その後ろで、不意に止まった足音に気がついた。
ん?
「つぅ?」
「え?」
なんか、知った呼び名が聞こえたような…。
ゆっくりと、声がした方を振り返る。
「あー!やっぱりつーだ!」
「え…サエ?」
「うんうん。嘘、久しぶり。っていうか何してるの?どうしてここにいるの?いきなり消えて、どうしてたの?元気?学校は?」
派手めな私服を着た女子を目に入れた途端、答える隙もない矢継ぎ早な質問責めに遭った。
「あ、あの…」
「サエー?どうしたの?知り合い?」
どうしたものかと困惑したとき、どうやら一緒に来ていたらしい女子たちが、足を止めていたサエを呼んだ。
「あ、うん。高校の同級生……だった?」
「あは」
「えー?何それ。転校でもしたの」
キャハハー、と笑いながら、テンション高く話している女子たちの顔は知らない。
「わ、わかんないけど、ちょっと後で追うから先行っててー」
「分かったー。早くねー」
ワイワイ話しながら、女子高生たちはサエを置いて去っていく。
「いいの?友達」
置いてかれたけど…とサエを窺ったら、ニコッとかつてと変わらない笑顔を見せた。
「平気、平気。後で追いかけるから」
「高校…の友達じゃないよね?」
全員私服だからわからないけど、見知った顔もなかったし、と思ったら、サエは屈託無く笑った。
「うん、中学のときの同級生。今日は同級会ってわけじゃないんだけどー、たまには集まろっか、みたいな?」
「そうなんだ」
「春休みも後少しだからねー。ねぇそれよりつーだよ!急に学校に来なくなっちゃったと思ったら、いきなり、退学したって先生が…」
「あ、うん、まぁ、色々あってね」
そういえば、クラスの誰にも事情は知らせてないし、挨拶とかも何もなく俺は消えたんだった。
「な、んかさ、ご両親が、亡くなられたとか…」
「あ、うん」
まぁ、新聞にも載ったしね。
「あのさ、つー、大丈夫?何か大変なことになってたりしない?みんな心配しててさ…。ハルとか、もう軽くパニック起こしてたよ?」
「あ、うん。ごめん。でも大丈夫」
本当はものすごく大変なことになっていたんだけど、今それを言う気はない。
「そう?あっ、じゃぁさ、今度また、みんなで会おう?みんな心配しているし、元気な姿見せてあげてよ!集まる場所セッティングするし。スマホある?番号交換しよ?そんでまたそこでゆっくり話そうよ!」
あー、そう。サエってこういう強引でマシンガントークなところがあったっけ。
「変わらないなぁ…」
「つー?ほら、スマホ出して!」
ぼんやりと感傷に浸っていた俺は、ボーッとしたまま、うっかりスマホを差し出していた。
「何これ。マトモなアプリ入ってないじゃんー。しょうがないなぁ。あたしの番号鳴らして…これで、はい!」
「ん?」
何やら互いのスマホを弄ったサエから、スマホが返ってくる。
「え!あ、駄目…」
番号、人に教えないようにって真鍋さんが…。
「えへへん、もう登録しちゃったもんね。着拒したら泣くかんねー!連絡するから、ちゃんと取ってよ!じゃぁまた、あたしそろそろみんなに合流しなきゃ。絶対会おうね!つー、絶対来るんだよー?」
じゃぁね、なんて身軽に手を振って去っていくサエを呆然と見送る。
返事の1つも挟ませてくれなかったサエに、溜息が1つ漏れた。
「あ、の、伏野さん…?」
「ん?あ、浜崎さん」
「すみません。危険がないものと判断して傍観してましたが…先ほどの女性はお知り合いっすか?」
オズオズと遠慮がちに、けれど詮索をする気は満々の浜崎に、俺は小さく頷いた。
「真島冴。高校に行っていたときの同級生です」
「真島、冴、っすね…」
記憶、記憶、とその名を覚えるように浜崎は口で転がした。
「真鍋さんに報告ですか?」
「あっ、いや、えっと、まぁその…」
「そうですよね。浜崎さんのお仕事ですもんね」
「あー、その、すんません。伏野さんに近づく人間だとか、何か普段と変わったことがあったら、全部報告することになってるんで…」
申し訳なさそうにする浜崎は、火宮が俺につけた、蒼羽会の構成員なんだ。
俺の思いより、上からの命令を優先するのは当たり前のことで。
「黙ってて、ってお願いしたら、聞いてもらえませんか?」
「えっと、その、それは…」
「別にただの同級生だし。敵とか、危害を加えてくる可能性とか、あるわけじゃないですし」
ジッと見つめた浜崎の顔は、困ったようにとても情けなくフニャリと歪んだ。
「っ、すんませんっ!オレに判断できることではないのでっ!」
ガバッと下げられた頭を見て、俺はハッと自分が何を言ったかに気がついた。
「あっ…ご、ごめんなさいっ。そんなつもりじゃ…顔っ!顔を上げて下さいっ」
何してるんだろ、俺。
こんなのただの身勝手で、浜崎を試すような真似をして何がしたかったのか。
「ごめんなさい…。間に挟まれたら、辛いのは浜崎さんですよね。本当にすみません。忘れて下さい」
ペコンと下げた頭は、受け入れてもらえたのか。
「い、いえっ。オレこそ…すんません。伏野さんのことが嫌いとかそういうんじゃないんすけど…オレは会長や幹部の命令は、大事で…」
「分かってます、俺が悪かったです、ごめんなさい」
「いえっ!オレっ、伏野さんのことも、ちゃんと好きっすからねっ!あっ、会長とは違う意味っすよ?はっ、でもこんなこと言ったって知れたら、オレ、ヤバイ?」
赤くなったり青くなったり、忙しい浜崎の表情を見ていると、何だか笑えてくる。
「ふふ、ありがとうございます」
「いえっ、その…オレは、本当は伏野さんの味方もしてあげたいんすよ?あげたいんすけど…その…」
「分かってます。火宮さんが1番なんですよね」
なにせ火宮教の信者だもんな。
「くはっ、そうっす…。本当、すんません」
「いいえ」
まぁ逆に火宮と俺を天秤にかけて、俺に傾かれたらそれはそれできっと責任を感じてしまう。
「伏野さん、でもオレは、会長の命令に逆らわない範囲ならっ、必ず伏野さんの味方をするっすから!」
「あはは、ありがとうございます」
まぁ、こうなったらもう仕方ないか。
「覚悟するしかないか…」
多分怒られる、と思いながら、俺はズシリと重くなったスマホをポケットにしまった。
「伏野さん?」
「いえ、何でも。あっ、ねぇ浜崎さん。素人の俺が手を出すのって、こっちの料理本がいいですか?それともこっちの雑誌の方がいいです?」
調理師の卵様ー、とアドバイスを求めながらも、俺の意識はスマホとサエとの再会から逸れることはなかった。
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