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第149話
「…ささん。翼さん」
「うへぇー、あー、鬼」
ボソッとついつい漏れる苦情が、やる気のなさ全開の気分を訴えていた。
「その態度…。自業自得でしょう?」
「う。だってでも、腰痛い。身体怠い。眠い」
「はぁぁっ」
そんな大袈裟に溜息をつかれたって。
昨日はあれから、結局縛めを受けて抱かれることを選び、気絶するまで責め抜かれた俺は、今日のコンディション最悪だ。
それなのに、シラッとした顔をして家庭教師に現れた真鍋は、ちょびっと疲れてテーブルに突っ伏す俺を、一瞬も許してくれないんだ。
「まったく、ご自分が油断なされて引き起こした結果でしょう?」
「だってー」
「あまり舐めた態度を続けるようでしたら、さらなる仕置きをお与えしましょうか?」
コツ、と赤ペンの後ろ側でテーブルが叩かれた。
「っな…」
「勉強に集中できないようですので、会長に気合いを入れていただきに」
それはまさか、いつか言われたお尻百叩き?
「っー!嫌っ!冗談じゃないっ」
「でしたら甘えは改めなさい」
「だって…体調不良くらい考慮してくれても…」
本気で怠いんだって。
「はぁっ、それも仕置きのうちでしょう」
「えっ?」
「本日、家庭教師に向かうとお伝えしたとき、会長が私を引き留めなかったということは、そういうことなのでしょう」
「う…」
そんな…。
「お分かりでしたら、身体を起こす!こちらの練習問題を…」
「あー、もう、分かりましたっ!やればいいんでしょ、やれば」
怠さと寝不足も相まって、俺の機嫌はかなり悪い。
いつもならここまで真鍋に反抗的な態度は取れないが、今日は何だかものすごく強気だった。
「ねー、真鍋さん。でもサエは、別に何も企んでなかったですよね?」
面倒な証明問題をつらつらと解きながら、口を動かす。
「そうですね。翼さんに会ったのは本当に偶然で、バックに特に何があるということもありませんでした」
「そっかー。もう調べたんですね」
「うちの諜報部は優秀ですので」
あ、ここ違うや。
シャッとペンで間違えた部分を二重線で消したら、呆れた目をした真鍋に消しゴムを差し出された。
「横着しない」
「あ、バレました?でもテストじゃないんだから…ハイ、消します」
怖っ。
何をされたわけでもないけど、冷たい冷たい目が怖すぎる。
「ヤクザ、なんですよね」
「はい?」
「いえ。俺は…」
普段うっかり忘れがちだが、この人は間違いなくヤクザの幹部で。
そして火宮も、その組織の長。
じゃぁ俺は。
その火宮と付き合っている俺は、やっぱりただの一般人とは、きっと言えない…。
「翼さん?」
「っ、いえ!…あー、これ、ここからどうすれば?」
分かってるけど。
証明問題は行き着く答えは初めから提示されている。
その答えを出すための道筋を、知っている理論と理屈に当てはめて進んでいけばいいだけだ。
「あなたは…ここまで出来ていて、この先が分からないも何もないでしょう」
うん。そうだね。
「もう答えが出ているも同然じゃないですか…」
まったく、と呟きながらも、俺が手を止めたところに、そっとヒントだけを書き込む。
「っ…ですよね」
もう答えは出ている。
サラリと最後の1行を書いたノートに、シュッと大きな赤丸がついた。
「正解です」
真鍋が。
このクールで表情筋が退化しまくったような男が。
ふわりと、あまりに綺麗に微笑んだ。
それはいつもの作り物のような笑みじゃない。
「っ…真鍋さん?」
「頑張りましたね。今日はここまでに致しましょう」
優しく柔らかい空気が気持ち悪い。
俺は、わざと大袈裟に両手を頭上に突き上げて、わざとらしいほど派手に伸びをした。
「ヤッター!終わりー?疲れたぁー」
うーん、と背を伸ばし、バタンとそのままソファに倒れる。
天井の明かりが眩しい。
「特別サービスです。コーヒーでもお淹れしましょうか」
え。何?この人どうしたの…。
「翼さん?キッチンをお借りしますね」
気持ち悪い。あぁ、気持ち悪い。
「っ、俺っ、カフェラテがいい。砂糖もたっぷりの甘いやつ」
あぁ、なんて我儘。
普段じゃ絶対、真鍋にはこんなこと言わないのに。
「分かりました」
っ!
何で受け止めてくれるんだろう。
怒りもしないで、嫌味すら返さないで。
「俺は…」
ゆっくりと身体を起こして、目の前に広がったままのノートを見つめる。
一箇所だけ、消しゴムで擦った部分が少しだけよれたノート。
「間違えたら消せばいい…ってわけには、いかないもんなぁ…」
「翼さん?どうぞ」
ふと、目の前に差し出されたコップから、コーヒーのいい匂いと温かそうな湯気が上がっている。
「ありがとうございます」
受け止って、口をつけたカフェラテは、甘くて優しい味がする。
「それでは次回は…1度またこれまでのテストをします。それから課題はここから…」
「ゴホッ…相変わらず多っ!」
ニコリと作り物っぽく笑った真鍋が貼りまくる付箋は、相変わらず鬼だった。
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