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第150話

夜。 今日は夕食までには帰るという火宮の連絡を受け、俺は怠い身体を引きずってキッチンに立っていた。 「まったく、昼間よりマシになったとはいえ、まだダルいのにー」 ブツブツ独り言を漏らしながら、包丁を握る。 「くぅっ、しみる…」 玉ねぎを切った刺激に呻きながら、目をパチパチさせたところに、ふとリビングの方からスマホの着信音が鳴った。 「ん?火宮さんかな?」 まさかイレギュラーで帰れなくなったとか? それはショックー、と思いながら素早く手を洗ってリビングに出ていく。 テーブルの上に放り出してあったスマホを取り上げて、画面を見た。 「っ、サエ…」 勝手に登録された名前が表示されている。 「しかもハートマーク付きって、どんな登録の仕方だよ」 火宮に見られなくてよかった。 「ふぅ…」 深呼吸を1つ。ゆっくりと息を吸い込んで。 「はい、もしもし?」 指先をスライドさせ、繋がった電話に声をかけた瞬間、キーンと明るいサエの声が響いてきた。 「明後日か…」 トントンと包丁の音を響かせながら、俺はぼんやりと先ほどのサエとの会話を思い出す。 「カラオケボックスかー。お小遣いもらわなきゃな」 待ち合わせ場所と時間と行き先は、まぁごく普通の高校生らしい健全な感じ。 「クラスのほとんどが集まるとか、みんな暇だなー」 ははっと笑ってしまいながら、俺は料理の手を動かした。 「……翼」 「あは、お、お帰りなさい?」 「………」 ジーッとダイニングテーブルの上を見つめる火宮の視線が痛い。 バッチリ決まったブラックスーツ姿で、鞄も手にしたまま、ネクタイを緩めることもせず、テーブルの前に立ち止まっている。 「あ、あの、火宮さん?」 「ふっ、誰か来客の予定でもあったか?」 ジーッとテーブルを見ていた目を、ゆっくりと俺に移動させ、スゥッと眇める。 「い、いえ…」 「2人分にしては、多すぎないか?」 ごもっともです。 クッ、と喉を鳴らす火宮の言いたいことは、痛いほどよく分かっていた。 「ぼんやりして、作りすぎちゃって…」 気づけば一体何人前かと思うような量の料理が完成していた。 「ごめんなさい…。あのっ、多い分はよければ下の人たちに…」 お裾分けするとか、と言いかけた俺の言葉は、火宮のひと睨みで小さく萎んでしまった。 「ふん、おまえの手料理を誰が食わすか」 「あ、そうか。浜崎さん、調理師の卵ですもんね…」 素人の家庭料理なんて恥ずかしくて出せないか。 「は?」 「え、いえ、僭越でした」 えへ、と首を傾げたら、火宮がポイッと鞄をリビングのソファに放り捨てて、ズンズンと俺の側まで歩いてきた。 「おまえは…」 「えっ、な、なんですか」 「男心を分かっていなさ過ぎる」 はい? 「俺も男ですけど…」 「クッ、恋人の手料理は、独り占めしたいに決まっているだろう?」 「はぁ?何ですか、それ。だって確実に余っちゃうからもったいな…」 やばい。 火宮の目が、緩く弧を描いて、意地悪モードに入ったときの表情をしていた。 「ククッ、おまえは本当に分かっていない」 俺を、と頬を持ち上げる火宮の顔は、完全にサディスティックな光を放っていた。 「ちょっ、ちょっと待って…」 何でこうなる。 意地悪な笑みを浮かべた火宮が、シュルッとネクタイを解いたかと思ったら、何故かそれで俺の両手を一纏めに結んでくれて。 「座れ」 「な、何?」 ダイニングテーブルにつかされた俺に、ニヤリと向けられる空恐ろしい笑み。 「ひ、火宮さん?」 両手の自由がないまま、ポツンと椅子に座らされた俺を置いて、火宮は向かいの自分の席にストンと腰を下ろした。 「あ、あの…」 「口を開けろ」 「はぃ?」 ブスッとフォークに突き刺された物体が、俺の口元に差し出される。 愉悦に瞳を揺らした火宮がグイグイとそれを口に押し付けてきた。 「翼」 う。これってまさか、あーんしろってこと? 「な、何の羞恥プレイですか…」 「ククッ、恥ずかしがる顔もそそるが…」 「っ…」 「まだまだ俺の愛が伝わりきれていないようだからな。じっくりたっぷり教えてやろうかと」 それが何で手を拘束されてご飯を食べさせてもらうことになるのか。 「ククッ、俺以外の人間に、手料理を振る舞おうなど、俺が許すと思うのか?」 「っ!」 忘れてた。 この人の独占欲の強さと、嫉妬深さ。 「クッ、そんなことを言い出した仕置きも兼ねてな」 ニヤリと笑う火宮は、何だかやけに楽しげだった。 「はぁっ…嫌いなもの、1つも使ってなくてよかったけど…」 せめてもの救いはそこか。 俺は、思い通りになるまで解放してくれなさそうな火宮の様子を見て、抵抗を諦め、大人しく口を開けた。

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