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第151話
そうして、火宮に食べさせてもらっての食事が終わったかと思ったのに、手の拘束はまだ解いてもらえないまま。
「あ、あの、火宮さん?」
「なんだ」
「いえ、あの、これ…」
ネクタイが結ばれた両手を突き出し、困惑の表情を向ける。
「ん?どうした?」
「どうしたって…」
これでは食器の片付けもできないし、何1つ自由にできないじゃないか。
「ククッ、何か困るか?」
「はぁっ?」
困るってそりゃ。何もかも!
「ん?」
スゥッと目を眇めて俺を見るその顔はヤバイ。
意地悪で、愉しげで、何を企んでいるかわかったものじゃない表情。
「ほ、ほら、トイレとか…」
あ、やばい。
口に出したら本当に行きたくなってきた。
「これじゃぁできないから…解いて下さい」
「駄目だ」
「はぁっ?」
思い切り裏返った声が出た。
「ククッ、安心しろ。ついていってやる」
待て待て待て。
「ちゃんと手伝ってやるから大丈夫だ」
「なっ…」
それのどこが安心で、大丈夫だという話になるんだ。
「絶対嫌!」
「ククッ、遠慮するな。きちんとズボンも下着も脱がせてやるし、ナニもちゃんと…」
「だぁっ!これっ!解いてくれればいいだけの話ですよねっ?!」
何が悲しくて、まだまだ健康体のこの状態で、排泄の介助をしてもらわなければならないのか。
しかも、それは当然、そんな場面を見られるということで。
「火宮さんっ」
「駄目だ」
「っーー!」
もう何なの、この人。
本気で誰かどうにかして。
「んっ、んーッ」
火宮が解いてくれないんなら自分で、と思い、口を寄せてみるが…。
ご丁寧に結び目はしっかり手首の下側で、しかも相当きつく結ばれていた。
「んっ、んぐ…と、取れない…」
何とか口を使って歯をガシガシ当ててみるものの、結び目を銜えようとすれば手が捩れるし、硬い結び目には歯が立たない。
「はぁっ…」
どうしたものか。
そうこうしているうちにも、本当に生じた尿意はどんどん辛くなってきていて。
「ククッ、降参か?」
「っ!誰がっ…」
これは白旗イコール、排泄シーンを見られるということで、負けず嫌いうんぬん以上に、絶対に音を上げるわけにはいかない。
「かくなる上は…」
切ってしまえ、と、俺はナイフを取りにキッチンへ足を向けた。
そこへ。
「ちなみにそのネクタイ、3万したんだったか?」
「なっーー!」
庶民の俺がっ。
普段から高級品にはおっかなびっくりな俺が。
1本3万円もすると聞いたネクタイを駄目に出来るはずがないのを分かっていて…。
「翼?」
「この意地悪っ!どS!ばか火宮ぁっ!」
「ククッ、言うな」
「だったらそんな高級品をっ、こんな用途に使わないで下さいっ!」
絶対正論だ。
なのに火宮はニヤリと愉しそうに唇の端を吊り上げただけで、まったく堪えた様子はない。
「ククッ、別に俺が俺のものをどう使おうと自由だろう」
「っ、どうせ火宮さんは金持ちですけどねっ」
何万するようなネクタイが1本駄目になったくらい、きっと痛くも痒くもないのだろう。
だからって俺は、もったいなさすぎてこのネクタイを切ってしまうことなんてできそうもない。
「もう嫌だー。嫌味すぎるー。それよりトイレー」
いい加減、本気で限界が近づいてきた。
「ふぇっ…じんー」
もうこの際、泣き落としでも何でもしてやる!
憐れっぽく目を潤ませて火宮に縋ったら、それはそれは愉しそうな目に返り討ちにされた。
「ククッ、その顔はそそるがな、計算なのはお見通しだ」
「うっ…」
「ククッ、翼。そんなに解いて欲しいか?」
「当たり前っ!」
何言ってるんだ。
さっきからそう頼んでいるのに。
ムッ、と火宮を睨んだら、とても綺麗な笑顔が返った。
「解いてやろうか」
「えっ?いいんですかっ?!いや…タダ、じゃないですよね」
火宮の性格はもう、大体分かってきたんだ。
散々渋っていたものを急に解いてくれるなんて、裏があるに決まってる。
「ククッ、染まってきたな」
「やっぱり…。一応聞きます」
どうせ無理難題だ。
「クッ、トイレを済ませた後、無抵抗でもう1度拘束されろ」
「えっ、それだけ?」
「あぁ。ただし、何を言おうが泣こうが喚こうが喘ごうが、2度と外さないという約束で」
なんか1個変なのが混じっている気がするけど、むしろ俺には利しかない?
「分かりました」
だってどっちにしろ、このままでもどうせ拘束されっぱなしなんだ。
トイレの間だけでも外してもらえるというなら儲けものだ。
「ククッ、ならばそれは外してやろう」
火宮がやけに愉しそうなのが気になるけれど、俺は間違った選択はしていないはずだ。
「はい…」
コクンと頷いた瞬間、いくら足掻いても外れなかったネクタイが、あまりにあっさり小器用に、シュルッと解かれてハラリと床に落ちた。
「手品…?」
ボソリと落ちた俺の呟きを聞いたのか、火宮が可笑しそうにクックと喉を鳴らした。
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