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第157話
「伏野さん?大丈夫っすか?」
部屋を飛び出した廊下で、ふと声をかけられた。
「え?あ、浜崎さん」
もしかしてずっと廊下で待機していたんだろうか。
「何かあったっすか?」
「あ、いえ。ちょっと恋バナみたいのになっちゃって、逃げてきました。浜崎さんは…」
「オレは念のため、不審な人間が出入りしないか見張りつつ、ラウンジでのんびりしてるんで」
たまたま身体を動かしに見回りに来たら俺が見えた、と。
「何かすみません」
「いえ、仕事っすから。それより恋バナって、もしかして会長の?」
「あー、まぁ、その?」
「逃げるって何で…」
自慢ばかりじゃ、と呟く浜崎は、やっぱり火宮信者様だ。
「だって恥ずかしいし!」
「会長が?」
いや、いきなりドスの効いた声はやめて下さい…。
「火宮さんが恥ずかしいっていうんじゃなくてですね…」
「あー、照れ臭いんすね!青春っすねー」
ご理解いただけたようで何よりだけど、やっぱりどこか微妙にズレてる。
「まぁいいけど…」
「つー?どしたの。えっと、知り合い?」
ふと、廊下の先から、ふらりとサエが現れた。
「あれ?」
「ん?あたしはトイレの帰りだけど」
いつの間にかいなかったのか。
気づかなかった。
「どしたの、廊下で」
「あ、いや、俺もトイレに…」
愛想笑いを浮かべながら、そっと足を引いたら、サエがいきなりバッと俺の前に立ちはだかった。
「つーに変なちょっかいを掛けないで下さいっ!」
「は?え?サエ?」
目の前に両手を広げたサエの背中がある。
つまりはサエは、浜崎に向かって何やら叫んだようで。
「だって、絡まれてたんでしょう?」
ガクガクと震えている足を踏ん張りながら、サエが気丈に言った。
「あー、いや?」
確かに浜崎は、ちょっと見、チンピラに見えなくもないけど。
「俺も男だし。サエに守ってもらわなくても…。そもそもその人、知り合いだから」
大丈夫、とサエの肩に手をかけて、俺はそっと後ろに下がらせた。
「浜崎さん、何かすみません」
ペコンと深く頭を下げたら、浜崎が慌てたようにワタワタした。
「いやっ、構わないっすけど。だからやめて下さいっ」
「でもサエが失礼なこと」
「大丈夫っす!気にしてませんので!それじゃオレはまた向こうにっ…」
お邪魔しましたっ、と慌てふためいて去っていく浜崎を見送る。
「あ、つー。あたし、何か、ごめん」
「ん。いや、いいよ。ありがと」
勘違いとはいえ、心配してくれたのは分かる。
「な、何か、その…どういう知り合いかって聞いていい?」
「え…」
「何ていうか、その、あまりいい感じの部類の人じゃないような気がして…」
まぁヤクザの構成員だしね。
「いい人だよ。すごく」
俺にはね。
たとえ世間一般から見てそうじゃなくても。
「そ、っか。じゃぁ本当、何かごめん」
「んーん、俺こそ」
言えないことが多すぎて。
きっとみんなからしてみたら、ヤクザというのは恐れる対象で、忌むべき存在なんだろう。
だけど俺は、そのヤクザと付き合ってるんです。
それを知ったらどう思う?
俺は悪いことをしているつもりはないけれど、きっとそれまで無邪気に向いていた、みんなの明るい笑顔は一瞬で凍る。
こちら側にいる俺に、屈託のない笑顔は2度と向かない。
「つー?」
「ん?」
「つばさ!…って、いた。あまりに遅いから見に来たよー」
サエと微妙な空気になったところで、不意にバンッと部屋のドアが開いた。
「あ、ごめん」
「あっれー?何なに?サエちゃんと2人でコソコソ?」
部屋を出てすぐの廊下でグズグズしていた俺に、ハルの悪戯な目が向いた。
「違う…」
「あたしはたまたまトイレから戻ってきたところで」
「つばさは?」
「あー、っと、これからトイレへ…」
何してんの、と笑うハルが、トンッと俺の背中を突いた。
「じゃ、一緒に行こ」
「は?女子と連れションとか意味わかんないんだけど」
普通しないし、と眉を寄せれば、ハルはケラケラと楽しそうに笑った。
「それもそっか。じゃぁサエちゃん、付き合って」
「えっ?あたしは今行ってきたばかりで…」
「いいから、いいから。一緒に来てよ」
ふふっ、と笑いながら、ハルは今度はサエの背中を押して廊下を進んで行ってしまう。
「ちょっ、ハル?もうっ、押さないでってば…」
「まぁまぁ」
キャッキャと言い合いながら、遠ざかっていく2人の後ろ姿が廊下の角で消える。
一瞬ハルの、鋭い視線が、俺に向いたような気がした。
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