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第158話

結局、トイレというのは建前だし、ほとぼりも冷めただろうと、俺はそのまま部屋に戻った。 「あ、つーお帰り」 「でさー、あのエグ課題…」 「うまっ!この唐揚げマジ神!」 ワイワイ、ガヤガヤ、まるで昼休みの教室内のように、それぞれが好き勝手に話に食事にと盛り上がっている。 恋人談義からすっかり話が逸れていることにホッとして、適当に空いている席に腰を下ろした。 「なー、幹事〜。サエ〜。あれ?」 「いないよ?トイレじゃん」 「えー、酒飲みたい。酒!」 盛り上がっているグループの1つが、何やら暴走し始めた。 「はぁっ?サエが許すわけないじゃーん」 「予約取ってるし、学生証も見せてるよ。まずいって!」 「それにほら、ハルもいるしさ」 暴走を止めようと、何人かが口を挟んだ。 常識人がいて助かるが、ハルがいると何なのだろう。 「ハルー?あぁそっか。親父さん、ポリだよな」 「えっ?警察官…?」 「なに?つー、知らなかったっけ?」 知らない。聞いてない。 「まぁだから、うっかり補導でもされたらまずいって」 「そかー。酒は諦めるかー」 言い出しっぺがあっけらかんと言い放ったところに、ハルとサエがトイレから戻ってきた。 「何?何の話?どうかした?」 怪しい空気を感じ取ったんだろう。 少し勝気なハルの目が、室内にいた友人たちにジロッと向く。 「え?別にー?」 「嘘つけ。酒飲みたいとか言ってたくせに」 「はぁっ?まぁ別にあんたたちが飲むのは勝手だけど、私のいないところにしてよね」 ツン、と言い放つハルは、さばさばしていて嫌味がない。 「うわー、警察官の娘の台詞?」 「私は私。ただお父に迷惑かけんのは私の中でナシ」 「ヒューッ、格好いい!」 「男前〜」 「女だっつーの!」 ギャハハ、と盛り上がっている一角を見ながら、俺はふと、こちらに向く1つの視線に気がついた。 「ん?サエ?」 トイレから帰ってきてから、ジッと俺を見ているサエに、何となく声をかけただけなのに。 「っ!な、なに?」 ビクッと大袈裟に反応したサエの様子が、明らかにそれまでと違っていて、とてもおかしかった。 「いや。何か、大丈夫?」 「えっ?な、何が?」 「あー、何ともないならいいんだけど」 「うん。あっ、つー、それよりさ…今日、2次会って行けるの?」 ニコッと笑って、普通の様子を取り戻すサエに、気のせいだったかと思う。 「2次会かぁ…。悪いけどやめておく」 遅くなりたくないし、長く一緒にいればいるほど、俺はどんどんこの時間を手放したくないと思ってしまいそうだから。 「えー、どうしても無理?」 「ごめんね」 「そっかぁ。じゃぁまた次の機会は」 何の気負いもなく言われたサエの言葉が、俺にはズシリと重く響いた。 「ごめん、サエ」 「えっ?」 「俺は…」 今、言うべきか? 俺に、みんなとの『次』はないこと。 「つー?」 「うん、ごめん。あのな、サエ。俺…次の機会は、ない」 「えっ?」 きっぱりと告げた瞬間に、サエの表情がピタリと固まり、息まで止まった。 「サエ?」 「あっ、ごめん。ちょっと理解できなくて」 「うん。でも分かるまでいう。俺は、もう2度と、サエたちとこんな風に遊んだり、連絡を取ったりするつもりはないんだ」 「そんなっ…」 呆然と見開かれていくサエの目を、俺は真っ直ぐ見返した。 「今日は初めから、ここへはみんなと最後にするつもりで来た」 「っ、嘘…」 「だからごめん。スマホの番号も、消して欲しい」 心苦しくないわけじゃない。 こんな、突然行方をくらませた元クラスメイトのことを今まで覚えていてくれて、こんな会まで開いてくれたサエに、こんな仕打ちをするなんて。 だけど俺は、そう決めた。 俺が選んだ俺の道。 「ッ、つー?!今の話…」 「翼ちゃん、どゆこと?」 「何それ、何それ。つー!」 あ、やばい。 いつの間にか、みんなも聞き耳立てていたんだ。 一気にワラワラと人が寄って来て、1度にワイワイと責め立てられる。 「ちゃんと説明してよ!」 「せっかく再会できたのに、これで最後ってどういうこと?!」 「つー、嫌だ!何で?楽しいじゃん。あたしらみんなずっと友達だよねっ?」 すでに半泣きになっている女子がいる。 俺にはこんなに好いてくれる人たちが、こんなにちゃんと、いたんだな。 「ありがとう」 でもごめん。 「さようならなんだ」 「つばさ!」 「つー!」 「翼ちゃんっ!」 まるで転校の送別会みたいだ。 だけど違うのは、転校のように、またいつでも会えるというわけではないということ。 メールや電話で連絡を取り合うことを、2度とする気はないということ。 俺は、今後一切の交流を絶つつもりで、その覚悟でここにいる。 「みんな、俺は」 改まって、椅子から立って、姿勢を正して。 せめてこれが、俺にできる精一杯のこと。 「俺は、今日、ちゃんとさよならを言うためにここに来たんだ」 「っ…」 ひっ、とか、ウッ、とか短い悲鳴がいくつも上がる。 「夏休み明けに、突然学校に行かなくなって、そのままひっそり学校を辞めちゃって、お別れもちゃんと言わないままでごめんなさい」 「つー…」 「だから今日は、その時言えなかったお別れを言いに来たんだ」 イヤー、とか、なんで?とか悲鳴があがる。 俺は無視して言葉を続ける。 「俺は、短い間だったけど、みんなと過ごせてとても楽しかった。みんなと出会えて本当によかったと思う」 「じゃぁっ、じゃぁこれからも…」 「でも、それは今日まで」 「つー?」 女子の泣き声が、嗚咽が大きさを増して、とても苦しい。 だけどそれでも。だけど俺は。 「ごめん。こんな俺を、友達だって言ってくれて、仲良くしてくれて嬉しい」 「っ…」 「だけど俺は、もう、みんなとは、友達じゃ、ない…っ」 あぁ、声が震えた。 駄目だなぁ。覚悟、決めていたのに。 「だからみんなにもお願いがあるんだ。この先俺を、もし街で見かけても、もしどこかですれ違っても、もう2度と話しかけないで欲しい。俺を知り合いだと思わないで欲しい」 「なんで!なんで、つー!」 「わかんないよ!知り合いだもん。友達だもんっ」 泣かないで。 みんなの優しい気持ちを踏みにじって、俺は俺の我儘で、別の道を選ぶんだから。 「詳しくは言えない。だけどただ、俺は…」 『守るため…?』 「え?」 今呟かれたのは誰の声? 1人、泣き出す寸前の顔をして、優しく微笑んでいるサエが目についた。 「つばさ、決めたんだ?」 気丈に真っ直ぐ響いた声は、芯の強いハルのもの。 「きっとつばさにはつばさの事情があって、それでそういう結論を出したんだよね。そうしたらさ、私たちに何が言えるわけでもないよね」 気丈で強いハルの笑顔が、真っ直ぐ俺に向けられる。 「ごめん」 俺には他に言える言葉はない。 「つばさ、1個だけ聞かせて。つばさはここにいるみんなのことが、嫌いで嫌になっちゃった?」 「っ!違う!そうじゃないっ!」 むしろ好き。 明るくて楽しいこの空気が大好き。 ただそれ以上に大切にしたい存在ができちゃっただけ。 それ以上に優先したい存在があるだけ。 だから、ごめんなさい…。 「そっか。ならいいんだ。だったら私は黙って見送る」 「っ…」 ハルの強さに救われる。 みんなの空気が一気に変わる。 「私は、見送る。嫌われたわけじゃないんだったら、大事な友達の選んだ道を、黙って肯定するよ」 「そうだね。つーにはつーの事情があるんだよね。寂しいけれど、つーが選んで決めたんだったらしょうがないよね」 「うん。つーの考えがあって言ってるんだもんね。私も納得する」 次々と、こんな俺を擁護してくれる声が続く。 「つー、元気でいろよ!」 「そだな。まぁ別に、2度と声をかけられなくたって、心の中で勝手に友達だって思ってる分にはいいよな?そんなのつーにもとやかく言う権利ないもんな」 「そうだそうだ。俺も勝手に友達でいるかんな!つーがなんて言おうと、俺はつーの友達だー!」 あぁぁぁ。なんて、いい仲間だったんだろう。 俺は、幸せ者だ。 「ありがとう。ごめんなさい」 これで最後。 みんなと過ごせて、本当によかった。 「俺は先に、もう行くね。今日は本当にありがとう。それから、さよなら」 ゆっくり微笑んだ頬に、水滴の感触が静かに伝った。 「サエちゃん、送ってきな」 ポン、と俺とサエの背中を押したのは、最後まで笑顔でいたハルの手で。 「うん…」 「えっ?いいよ、1人で行ける」 「いいから、いいから!ほらサエちゃん、行ってきな」 「ん!」 ガチャッと開けられた部屋のドアから、半ば押し出すようにサエと追い出される。 「あの…?」 「つー、お願い。送らせて?」 そこまで言われると断るのもなんで。 俺は仕方なく、サエと並んでカラオケボックスを出ることになった。

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