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第170話
結局、真鍋の本心も魂胆も分からないまま、とりあえず家出させてくれるって言うんならそれでいいかと思い、俺は火宮のマンションを出てきた。
真鍋が火宮に連絡を取った様子はなく、もちろん車は使えないため、俺は徒歩でテクテクと繁華街に向かっている。
「はぁ、ぁ…」
お腹空いたな。
こんなときでも普通に飢えるのが不思議だ。
「人間って図太いよなー」
あはは、と思わず笑ってしまったら、隣を無言でついてくる真鍋の変な視線が向いた。
「何か?」
「あ、いえ。独り言です…ッ!」
なんと間の悪いことに、グゥーと派手に腹の虫が鳴いた。
それはもちろん、しっかり真鍋にも聞こえてしまっていて。
「何かお食べになりますか?」
「っ…」
あぁもう恥ずかしい。情けない。
「翼さん?」
「いえ。いいです…」
だってお金持ってないし。
ガードがいない今、そういえば俺は無一文だ。
「支払いのことでしたらお気になさらず」
「っ…でもだって」
俺は火宮の意向に反して家出中なのに。
「腹が減っては戦はできませんよ」
いきなりなんの話だ。
「では私も朝から何も食べていないので、お付き合いしてください」
「………」
何でそういうスマートな台詞を無表情で言うのかな、この人。
「本当、真鍋さんですよね」
「何か」
格好いいんだから、それらしく言えばめちゃくちゃモテるだろうに。
「いえ…」
「それで、何をお食べになりたいですか?」
「え?あ…」
プライドと、真鍋の気遣いと、キュルキュルと切なく音を立てるお腹を比べて…。
「ぎゅ、牛丼…」
空腹に負けた。
「分かりました」
「って、え?」
あの道の先に看板が見えるんだけど。
何故か真鍋が先導するようにスタスタと向かったのはまるで方向違いの別の道で。
「あの…?」
とにかく後を追うしかなかった俺は、ふと路地を曲がった真鍋が足を止めた先にあった建物に、目を見開くことになった。
「翼さん?入りますよ?」
「え、あの…」
ここって、高級焼肉店なんじゃ…?
俺の戸惑いと疑問をよそに、真鍋はまたもスタスタと店内に入ってしまう。
「ちょっ、待って…」
慌ててその背中を追った俺は、この午前中もなかなか早い時間から客の姿もなく、貸切状態の店内を見て唖然と口を開けた。
「り、リッチすぎ…」
「これはこれは真鍋様。本日はお早い起こしで」
「あぁ。ランチ営業前なのは承知しているが、料理は出せるか?」
悠然とオーナーらしき人物に告げる真鍋に、低姿勢のその人物が綺麗に頭を下げる。
「真鍋様のご要望とありましたらなんなりと」
「助かる。では牛丼を2つ」
サッと真鍋をエスコートするように控えたオーナーらしき人を見て、真鍋が不意にこちらを振り返った。
「翼さん、どうぞこちらへ」
オーナーさんのエスコートを無視して、真鍋が俺をテーブルへ促す。
その様子を見ていたオーナーさんが、状況を理解したらしく、今度はササッと俺のために椅子を引いてくれた。
「あ、う…」
「翼さん?」
「ちょ、いえ、うぅ…ありがとうございます」
あの火宮の側近というくらいだから、その可能性くらい考慮しておけばよかった。
馬鹿みたいに高級志向で散財癖のある火宮の片腕なんだから、この人も同類に決まっていたんだ。
「本当、ヤクザって何なの」
黙っていればどこの会社役員か御曹司かってくらいセレブで。
それが当たり前で標準の生活水準とか。
「翼さん」
「んー?」
呆れ果てて、何気なく手に取ったメニュー表。
それをぼんやりと見下ろした俺は。
「はぁぁぁっ?!」
見間違い、ならいいんだけど。
だけど、何度見直しても、そのランチメニューに載っている牛丼ってやつの値段の桁数が…。
「おかしくない?」
牛丼といえば、食券を買ってファストフード並みに早く提供される某チェーン店しか頭に浮かばない俺は。
ほんの小銭で十分間に合っちゃうはずの食べ物だと思っていたんだけど。
「お札数枚ですよ?最高級和牛って何」
ナントカ牛とかブランド名がついちゃうような高級な牛肉での牛丼とか…。
「俺は…」
慣れていかなきゃならないのかな。
これがヤクザの幹部クラスの常識だというのなら。
「翼さん?」
「いえ…」
護衛に関する件もそうだ。
それが真鍋や火宮のいる世界の、その立場からしたら当たり前でごく普通のことだというのなら。
「お待たせいたしました」
スッと、それほど待たされることなく提供された牛丼は、やっぱり俺の知るものとはかけ離れた一品で。
俺にとっての非常識なその代物も、向かいで当たり前のように手をつけようとしている真鍋には、やっぱり常識の様子。
「っ、いただきます」
きちんと手を合わせてから口にした牛丼は、頬っぺたが落ちるほどに美味しかった。
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