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第174話

「ん?翼くん?」 「っ、ん。許して、くれるかな…」 火宮の反応は正直怖い。 「火宮はそんなに器の小さな男じゃないよ」 「でも…」 「きみの些細な駄々など、軽く流せる度量くらいある。その上きみの想いや我儘を汲める程度の、出来た男なんじゃないのかね?」 くくっ、と笑っている七重は、本当に頼れる素敵なおじさまで。 「俺、あなたの期待を裏切ったのに」 「罪悪感でいっぱいか」 「だって本当に火宮さんにあんな顔…」 「ならば罰してくれるとするか」 え…。 「翼くん、スマホとやらは持ち合わせているかね?」 「スマホ?ありますけど…」 それが何か。 不思議に思いながらもポケットからスマホを取り出す。 「ううむ、俺のとはタイプが違うな。これはどうやれば番号が出るんだ」 「番号?」 あれ?まさか。 「分からん。やってくれないかね?」 「あの、えーと?」 「俺のに翼くんの番号を、翼くんのに俺の番号を入れるんだ」 つまり、番号交換しろと。 2台のスマホをテーブルの上に並べて向けられ、俺は一瞬戸惑った。 「なんならメールアドレスとやらも登録してくれんか」 「め、メール?するんですか?」 偏見かもしれないけど、ヤクザの組長さんが? 「悪いかね?」 「いえ…」 悪くはないけど。 「この緑のボタンの、なんちゃらっていうアプリの友だち登録でもいいんだが」 「う。こんな流行まで…。でも俺、そのアプリやってないです」 スマホユーザー必須というくらいの有名で人気のコミュニケーションアプリなのは知っているけど。 俺に必要性はなかったから。 「そうか。なら番号とメールアドレスを入れておいてくれ」 「う…」 「なんだ、困った顔をして」 ニヤッと笑う七重は多分分かって言っている。 「火宮にバレたら仕置きされるんだろう?」 「う、それは…」 きっとそうなる。 「だから罰になる。しかも俺には翼くんの番号が手に入る。メル友にもなれる。一石二鳥だ」 「メル友って…」 だから、世間からは恐れられている、泣く子も黙る七重組組長さんが似合わない台詞を言わないで欲しい。 「ほれ早く」 「うー」 「邪魔者が来たようだからな」 「え?」 キョト、となった俺の後ろで、微かに襖を叩く音の後、そっと七重を呼ぶ声が聞こえた。 「オヤジ、中条です」 「開けてよい」 「失礼します」 「ふっ、火宮だろう?」 「はい。火宮会長が、お目通りを願ってお越しです。お通ししても?」 膝をついて頭を下げる中条から逸れた七重の目が、窺うように俺を見る。 「っ、あ、なんで…」 「真鍋だろう」 「っ、でも連絡している素振りなんか」 「あいつについている護衛の仕業だろう」 さも当然と受け入れている七重に対して、俺は軽くパニックを起こしそうだった。 「あ、でも、俺はその…」 「今更ジタバタせずに腹を括れ。覚悟はできているんだろう?」 「う…それは」 「きみは火宮を失えない。ならばすべきことは1つだろう」 ほれ、と押し出されるスマホにずっこけそうになるけど、お陰で気持ちは軽くなった。 「きみが俺にさらわれたと聞いて、こうして駆けつけてくるくらいだ」 さらわれたって…。 「心配しなくても、火宮の心はきみから離れない」 「っ!」 思わず飲んだ息が、ヒュッと音を立てた。 「ほれ、あやつは短気だ。案内を待ちきれずに勝手に上がり込んでくる図太い男でもあるぞ」 「っ…」 「早くしないと現行犯で見つかって、非常に都合が悪いんじゃないかね?」 くくっ、と笑う七重は、本当に悪さをするときの火宮にそっくりで。 「っ、こ、これでっ…」 パパッと2つのスマホを操作し、互いの番号とアドレスをそれぞれのスマホに入れる。 「うむ。これでいつでも翼くんと連絡が取れるな」 「うぅ、はい」 「いつでも、かけるといい。暇なオジサンが暇つぶしの話し相手を喜ぶぞ」 七重はスッと受け取ったスマホをしまい、小粋にウインクなどして見せる。 「いつでも…」 何かがあったら。何もなくても。 愚痴や些細な相談でも、世間話でも。 「1人で出す答えの2倍、新たな答えが見つかるものだ」 「っ…」 罰にかこつけて、この人は。 「俺っ、ありが…」 「失礼します、オヤジ。こちらにうちのがお邪魔していると聞きまして」 ノックも許可もなく、スラッと襖を開け放って入ってきたのは、まぁ想像通りのダークスーツの火宮で。 「くくっ、タイムアップか」 「ッ、翼?泣いたのか」 パッと俺を見つけた火宮の目が鋭く尖り、黒いオーラがその身から吹き出す。 「おぉ怖。なんて目をして俺を見るんだ」 「オヤジ。たとえあなたでも…」 「違っ!火宮さっ…」 あぁもうなんでこの人は。 俺の恐れをこうもあっさり踏み越えてくる。 「泣かされたんじゃないんですっ」 誤解に慌てて立ち上がり、体当たりの勢いで火宮を止めにその胸に飛び込んだ。 「翼?」 「これは俺が…」 「翼…?」 ドンッと俺を受け止めた火宮が、そろりと手を上げて俺の髪を撫でる。 「え?」 「触れる」 小さな呟き声につられて、ゆっくりと見上げた火宮の顔は。 微かに切なく、けれどホッと安堵したように小さく微笑んでいた。 「え…」 っ! あ、あぁ。俺…。 「ごめんなさいっ…」 ゴトン、と、うっかり手に持ったままだったスマホが落ちた。 同時にガクンッと膝も落ちた。 「ごめっ…ひっく、うぅ…っ、ごめん、なさい…」 畳についた両手が震える。 パタパタと落ちる涙は堪えなくちゃいけないと唇を噛みしめる。 「翼?」 目の前にある火宮の足先に、スッと影が落ちた。

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