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第184話
「はぁっ…」
「………」
「はぁぁっ…」
………。
だから、黙って無視していないで、少しくらい反応してくれてもいいと思うんだけど。
チラリと窺ったバックミラー越しの真鍋の顔は、それは見事な無表情だった。
火宮にドロドロに甘やかされて、もう嫌というほど優しく抱かれた日から数日。
宣言通り、残業三昧の日々になった火宮が、昨日ついにプツンとキレた。
ようやく真鍋の謹慎が解け、復帰してきたおかげで早上がりしてきたかと思ったら、昨日は…いやもう今朝方まで、甘く優しく、そして意地悪に散々抱かれた。
おかげで今日の俺は、痛い、怠い、眠いの三拍子で、それなのに「出掛けるから支度しとけ」なんていう一方的な電話1つで、迎えに来た真鍋に連れられ車中の人となっているわけだ。
「はぁぁっ…真鍋さん」
「何ですか」
「あの、今日は一体どこへ行くんですか?」
ようやく反応してくれたと思ったら、今度は心底呆れ果てた目が向けられた。
「…会長からお聞きではないのですか?」
「聞いてないから尋ねているんです」
あー、俺、感じ悪い。
「そうですね、すみません」
「あ、や、いや、ごめんなさい…」
やばい。
悪いのは一方的に用件だけ告げて電話を切った火宮なのに。
「いえ。本日は洋品店とジュエリーショップだとお聞きしております」
「は?服屋?宝石店?」
そんなところに何の用だ。
「まさかなんかのパーティー的なものに連れ出されるとか?」
一体今度は何を新調する気か。
「いえ、洋品店は制服の採寸かと」
「制服?」
「4月からお通いになる高校の」
「あ…」
そうか。そういえば俺、そのために鬼真鍋と勉強しているんだった。
「鬼…ですか」
スゥッと細められた真鍋の目が、バックミラーの中でキラリと光った。
「え!俺、口に…?」
「ふっ、明日からますます厳しくしごいてもよろしいようですね」
緩く頬を吊り上げた『笑顔』なのに、目だけがまったく笑っていないのが怖すぎる。
「う。その器用な表情やめて下さい…」
笑うんだか怒るんだかはっきりして欲しい。いや、怒るのは勘弁か。
「どうやら私は鬼だそうですので」
「っ…」
ニッコリ。
なのに目だけは鋭く俺を睨んで下さって。
「ごめんなさい!仏の真鍋様っ」
こうなればヤケだ。
この俺史上最強のどSの逆鱗に触れたら、多分火宮が怒るより大変なことになる。
パンパンと手を合わせて拝むように謝ったら、ふっ、と呆れたような吐息が聞こえた。
「ほら、馬鹿をおっしゃっていないで。着きましたよ」
「え?」
あれ?
どうやら本気では気分を害したようではなくて、軽く前のめりになる抵抗の後、走りを止めた車から、真鍋は素早く下りていった。
「どうぞ」
「わっ、は、はい…どうも」
いきなり後部座席のドアが外から開いたと思ったら、相変わらず馬鹿丁寧な真鍋のエスコートだ。
慣れない…と戸惑いながら足を地面に下ろしたとき、ちょうどもう1台の黒塗高級車が後ろについて止まった。
「会長ですね」
「ほっえ…」
ぼんやりとそちらを見れば、池田に促されて下りてきた、ダークスーツのイケメンが、悠然と路上に君臨した。
黙っていればどこの俳優かモデルか。
けれどもその纏うオーラは圧倒的な闇色をしていて。触れれば呑まれる、だけどその危険な香りが人を魅了する。
ただそこに佇んだだけで、周囲の視線を一身に惹きつける、圧倒的な存在感。
あちらこちらから上がる熱い溜息を跳ね除け、火宮が俺を見つけて薄く目を細めた。
「翼」
う…。
何それ、反則。
ゾクンッと腰にきた表情と声色がヤバすぎる。
「翼?」
「あ、や…は、はい」
わー、近づいて来ないでー。
火宮の色気に当てられて、目眩がしてきてしまう。
「ククッ、物欲しそうな顔をして。こんなところで盛るな」
「っ、盛っ…違っ!」
な、なにを言うんだ。
まぁ当たらずも遠からずなんだけど、そんな風に色気たっぷりの視線と仕草を見せる火宮が悪い。
「ふっ、まぁいい。ほら」
「っ…」
ふわりと肩を抱かれ、優しく丁寧に店の方へと促される。
周囲から、敵意と羨望の入り混じった視線がいくつも俺に向いたのを感じた。
「あぅぅ…」
「どうした?」
「いえ…」
嬉しいような、恥ずかしいような。
だけどやっぱりこの人が俺のなんだ、って思うと嬉しくて。
「ねぇ火宮さん?」
「ん?なんだ」
打てば響くように返る声が嬉しい。
「服屋は採寸って聞きましたけど、宝石店って何ですか?」
高校編入に関係あるんだろうか。
「ククッ、真鍋か」
「あ。もしかして聞いたら駄目でした?」
それならそうで、真鍋がポロッと言うはずがないと思ったけど。
「いや。別に構わないが。ジュエリーショップは、ついてからのお楽しみだ」
サプライズ、と笑う火宮のご機嫌な表情が、これまた魅力的で照れてしまう。
「会ったらまず、今朝までの文句を言ってやろうと思ってたのになぁ…」
「ククッ、ダダ漏れだぞ」
「え!あ!」
まぁ、別に聞かれてもいいけど。
「クックックッ、だが過去形だな」
「ふんっだ」
だって気付いてるんだもん。
俺の怠い身体を気遣うように、優しく丁寧にエスコートしてくれてるの。
「本当、ずるい!」
許しちゃうんだもんなー。
絆されちゃうんだもん。好きなんだもん。
「ククッ、その尖らせた唇はキスの催促か?」
「っ、は?」
この人は…。
「ふっ、拗ねた顔も可愛いぞ」
あーもー、好きにして下さい。
チュッ、なんて軽く落とされたキスの余韻に、思わずニヤける顔が止まらなかった。
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