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第193話

「あ、あの、浜崎さん?」 「いや、すんません。あまりのことに、つい驚いて」 「はぁ…」 一体何が驚く要素だったんだろうか。 「ついになんすね。あぁ、もう、とにかく、おめでとうございますっ!」 うわ。90度。 ガバッと深く頭を下げた浜崎は何を言っているのか。 「は?え?な、何ですか?」 何がめでたい? 「え!だって姐って!伏野さん、ついに会長にプロポーズされたってことっすよね?」 あー? ポカンと開いてしまった口が、どうにも塞がらなかった。 「伏野さんが姐さんになるのかー。なんだか、伏野さん付きのオレも鼻が高いっすねー」 「………」 「あっ、披露宴…じゃないっすけど、披露目式はいつっすかね。オレみたいな下っ端も呼んでもらえるっすかね?」 ワクワク、ソワソワ。 浜崎が浮き足立ったのは感じるけど、根本からの誤解をどうしたらいいものか。 「あの…」 「なんすか?あっ、ま、ま、ま、まさか、マリッジブルーとか相談する気っすか?駄目っすよ?オレ、それは聞けませんよ!」 俺の困った顔から何を察したのか。 留まることを知らない浜崎の誤解は暴走していく。 「あの、だから違…」 「そうじゃなければ、そんな浮かない顔して…あっ、今から披露目式に緊張なさって…」 「だからっ!俺はそもそも男ですっ!」 うっかり怒鳴ったその瞬間。 「はい?」 キョトンと表情を固めた浜崎に、ドッと疲れが湧いた。 「あのですね、浜崎さん…。俺はそもそも男で、火宮さんからプロポーズっていうのはまずありえないし、男の俺が姐ってないですよね」 「え?なんでっすか?」 「なんでって、姐さんっていうのは、極妻さんのことですよね?火宮さんの結婚相手」 俺の認識は間違っているのか。 ヤクザ社会のことはいまいちよく知らないから自信がないけど。 「あぁ、もちろんそうっすよ。姐さんっていうのは、会長がこの方だとお決めになった、会長のお相手のことっすね」 「はぁっ。ですよね。つまり、火宮さんが結婚する、女の人、ってことですよね?」 ゆっくり落ち着いて浜崎に尋ねた瞬間、浜崎の頭がこれでもかというほど横に傾いた。 「会長には伏野さんがいらっしゃるのに、女性と結婚はしないでしょう」 「………」 「だからまぁ男でも、内縁ってことじゃないっすか?会長が決めたんなら、会長の姐さんは、そのお相手である伏野さんっすよね」 「………」 駄目だこの人。 根っからの火宮信者に聞いた俺が間違いだった。 「だ、大丈夫っすよ!男でも!会長が本妻とお決めになられたんでしたら!」 「っあー…」 フォローしてくれるつもりらしい浜崎の言葉は、俺には完全に逆効果だった。 「伏野さん?」 「本妻…」 「え?」 「その言葉が出るってことは、愛人だとか側室的なものを持つのも当たり前なんですね…」 え?と、キョトンとなっている浜崎は悪くない。悪くないけれど…不用意なその言葉にズシンと重くなる気持ちを止められなかった。 「あ、あの、伏野さん…?」 「はぁっ…。そもそも、男の俺が本妻面とかまずありえないし」 「えっと…」 「上の人とか、周りの人とかからも、やっぱり奥さんがいないと体裁が悪いとか、色々言われたり舐められたりってあるんですよね」 廣瀬はそんなようなことを言っていた。 「えーとまぁその…姐さんがいないっていうのは、会長にとっては印象が悪いとかは分かりますし、組にとっては姐さんの存在はでかいっすけど…。だけどそれが男じゃいけないってのは…まぁ前例はないっすけど、そこはほら!会長ですし!」 必死で俺を持ち上げようとしてくれる浜崎の気持ちは分かった。 けれども俺は…。 「俺が組を支える姐とか無理だし…。ヤクザな火宮さんと付き合う覚悟はあっても、自分がヤクザの一員になるっていうのは…」 まだまだ覚悟が足りない。 「伏野さん…」 「ははっ。これじゃぁ、いつか火宮さんが姐さんになってくれる人を必要として、本当に極妻さんになれる人が現れたら…」 俺は、捨てられる? それか愛人に落とされるんだろうけど…。 俺には愛人になるなんていう選択は無理だし、そうなったら俺は火宮から離れるしかない。 「っ…」 それは想像だけでもとても辛くて…。 「伏野さん…?」 「っ、いえ、ごめんなさい。ありがとうございました、色々教えてもらって」 「あの、伏野さん…」 「っ、大丈夫です!俺は、俺は…」 大好きなんだけどなぁ…。 でも気持ちだけではどうしようもないことなんて、世の中にはいくらでもある。 「火宮さんが奥さんが必要になったら、せめて潔く…」 身を引く覚悟、決めておかなくちゃな…。 いつか来るその日を思っただけで、胸がぎゅっとなって涙が出そうで。 堕ちるときはどこまでも堕ちていくものだなー、なんて、どこか痺れたようになった頭の片隅で、ぼんやりと感じた。 「ふ、しの、さん…?」 「いえ。あっ、これ、本当にありがとうございました!キッチンに置いて来ますっ」 パッ、とテーブルの上の小箱を取って、俺は逃げるように浜崎の前を横切る。 自分から振った話だけど、正直もう切り上げたい。 オロオロと何かを言いかけた浜崎だけれど、結局は諦めたように口を結び、静かに一礼して部屋を出て行った。

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