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第200話

「あぁぁぁっ…」 ボロボロッと溢れた涙を、もう堪えることはできなかった。 「ごめんなさ…」 気づいたときにはもう、身体が火宮の腕の中に抱き込まれていた。 「翼、愛している」 囁くような低い声。 知ってる。分かってる。 廣瀬に向けたあの言葉たちは、いつだって火宮が俺にくれていたもの。 「おまえが望むなら、なんだってしてやる」 あぁそうだ。 火宮が望んで欲しかったのは、死なんかじゃなかった。 俺だけ愛して。俺だけ見てて。 ただ素直にそう強請ればよかった。 だって火宮は叶えてくれる。 それだけの愛を、言葉を、想いを、俺はいつだってもらっていたのに…。 「火宮さんっ…」 信じなくてごめんなさい。 あなたは俺を、ちゃんと分かってくれていたのに。 「ごめんなさい…」 俺はその思いに応えられなかった。 「痛かっただろう?」 そっと右頰に触れてきた火宮の手が、真綿よりも優しくそこを撫でた。 「っ…」 フルフルと首を左右に振る。 こんなの、火宮が受けた心の痛みに比べたらなんともない。 それに、右頰。 だって火宮の利き手は右手なのに。 対面でぶたれたのに。 「手加減なんて…。気遣いなんて…」 わざわざ左手を使って。痛みの心配までしてくれて。 どこまで、どこまで俺は大事に想われているんだろう。 「っ、火宮さん」 「なんだ」 「火宮さんっ、好きです」 「あぁ」 もう止まらない。 「俺っ、馬鹿でしたっ」 「ククッ、そうだな」 「俺っ、すごく我儘なんです」 「ほぉ?」 「奥さんっ…もらったら嫌ですっ」 「分かった」 立場とか、出世とか、体裁とか、火宮にあるのは分かっているのに、分かりたくない。 「っ!俺っ…すごく欲張りなんですっ…」 俺には愛しかない。 愛しかあげられないのに。 「俺は他の誰かと火宮さんを共有することはできません」 「あぁ」 「俺をっ、俺だけを…ずっと愛して、欲しいですっ…」 何にも持たない俺のくせに、すごくすごく欲深い願いなのは分かってる。 「当然だ」 「っ…あぁぁっ、こんなっ、こんな俺なのにっ…」 子どもで、男で、意地っ張りで、我儘で欲張りで、勝手に突っ走って、迷惑ばっかりかけて…駄目なところを上げたらきりがないのに。 「そのおまえがいいと言っている」 「っ…火宮さんっ…」 「おまえだけを一生愛し抜くと言っただろう?」 「は、い…」 スンスンと鳴ってしまう鼻を、火宮が笑う。 「ククッ、だからおまえは安心して、こうして俺に、我儘も欲求も全部思いのまま口にすればいい」 「っ…」 あぁそうだ。 この人はこうして、俺に向かっていつだって両腕を広げて待っていた。 「それが何をとち狂ったか殺せとな」 「ごめんなさい」 「翼、俺はな…」 「火宮さん?」 「俺は、この世で唯一…ただ1人、おまえと共に、生きていきたいと思っている」 っーー! 涙が、さらに堰を切ったように溢れ出した。 この人の歩く人生に。生きたいと思う道の中に。 隣にちゃんと、俺が存在してる。 火宮の描く未来には俺がいる。 「っ、俺もっ!俺も、火宮さんとっ…あなたとっ…」 「あぁ」 「ずっと…生きた、い…」 ぎゅう、としがみついた身体が、声が、想い溢れて小さく震えた。 「それでいい」 ククッ、と鳴らされた喉の音は、愉悦と満足に溢れていて。 「じゃぁそれが、殺せなどと、今までで1番の暴言となった仕置きとでもいくか」 「え…」 待って。何この怪しい雲行き。 「俺の心より、あんな小物の言葉に惑わされて」 「それは…」 でもさっきもうぶたれたし! 「ククッ、どうやらまだまだまだまだ…俺の想いが伝わりきれていなかったようだしな?」 嫌味なまでに繰り返される、その「まだ」は、何! ニヤリと頬を持ち上げた悪い笑みからは、嫌な予感しかしない。 「その辺りも含めて、今夜はたっぷりと、俺の愛を身体に教えてやる」 「っな…」 「喜べ、翼。今夜はじっくり躾直しだ」 嬉しい要素がそのどこにっ?! 「真鍋」 「はい」 「例の件は明日だ。連絡しておけ」 あ。そういえば真鍋さん、まだいたんだった。 「かしこまりました」 待って。綺麗にお辞儀して、出て行こうとしないで。 「助け…」 「翼」 「っ!」 やば…。 うっかり真鍋に縋ろうとしてしまったけれど…。 途端に冷ややかなオーラを醸し出した火宮に、ギクリと身体が強張った。 「おまえは本当に…」 「や、あ、そのっ、ごっ、ごめんなさいっ!」 地雷踏んじゃったよー。 「ふぅっ。真鍋。1つだけ言い残させてやる」 え?な、に? 火宮から漂った不穏な空気と、真鍋が軽く瞠目してから、ニコリと笑った顔が怖すぎる。 だって目が笑ってない。 「ありがとうございます、会長。では、苦痛のみを両手の指ほど」 「ふん。やっぱりおまえはタチが悪い」 「あなたほどでは」 「分かった。聞き届けよう」 「ありがとうございます」って、とてもとても優雅なお辞儀を残して、結局真鍋は退室していってしまったけど。 「え?え?何…」 2人が交わした言葉の意味はわからないんだけど、良くないことだけはなんだか分かって…。 「火宮さん?」 「ククッ、まぁ鞭と指定しなかっただけ、慈悲があったか」 「は?え?ちょっ…」 2人だけで分かり合って、何なの! ムカつく! 「ククッ、なんだそれは、焼きもちか?」 「え…?」 俺、また口に? 「ふっ、本当におまえはな…。俺はおまえ一筋だと、これほど伝えているというのに…」 「う…」 「今夜は本当に、楽に終われると思うなよ?仕置きも愛も、嫌ってほどくれてやる」 わぁぁーっ! 抵抗むなしく、ズルズルと引き摺られていくその扉は寝室か。 「火宮さんっ…」 「なんだ」 「っ!」 駄目だこれ…。 完全にスイッチ、オン状態。 瞳の中でキラリと光ったサディスティックな輝きに、もうこうなった火宮を止めることはできないと、俺はどこかで諦め、腹を括った。 「まぁ最大級の暴言を吐いたのは俺ですからね…」 「ククッ、いい覚悟だ」 ニヤリと笑った火宮の意地悪な笑みと、それはそれは愉しそうな声に、けれどもホッと緩んだ気持ちは、なんだっただろう。

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