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第204話

んっ…? 「あー…」 微かな衣擦れの音が聞こえて、ぼんやりと目が覚めた。 「んー…」 ボーッとする視界に映る天井は、見慣れたマンションの寝室のもの……。 「じゃないっ!そうだホテル…う、わ、わぁっ!」 思わずガバッと飛び起きたら、何故かあまりに端の方にいたらしく、掛け布団ごとズルンと床に落っこちた。 「痛っ、つっ…ってわぁっ!ハダカっ!」 「ぷっ…クククッ、ふ、はははっ…」 「ひ、火宮さん?」 突然上がった笑い声に驚いて、ハッとして顔を向けたら、きっちりワイシャツを着込んだ火宮が、ネクタイを結ぼうとしながら、腹を抱えていた。 「朝からおまえは…本当、面白いな」 コントか、と身体を折りたたんでいる火宮を、ジトッと睨みつけてしまう。 「ククッ、ほら」 「うわぁっ…」 俺の睨みをものともせず、笑い声を収めた火宮が、ふわりと俺をお姫様抱っこしてきた。 「ふっ、軽いな」 「そっ、そんなことないですっ」 確かに標準よりは小柄だけど、育ち盛りの16歳男子だからね。 「火宮さんが怪力なんです」 「ククッ、怪力か。言うな。それこそ標準だ」 「嘘ばっかりー」 昨日、廣瀬を一撃で伸したくせに。 お尻、まだ微妙に痛いし。 「ククッ、その目。ここは何ともないな」 チュッ、とキスを落とされたのは平手打ちされた右頰で。 「っ…」 本当もう、そういうの、ズルい。 「ククッ、なんだ」 「べぇっつに?」 「ふっ、本当、おまえは。…それで、どうする?」 スタスタと浴室らしきドアに向かいながら、火宮が目を薄く細めた。 「俺はもうすぐ仕事に向かうが。おまえはもう少しゆっくりしていくか?」 そっか、今日は平日か。 「んー」 「それとも一緒に出るなら待っている。今日は事務所に来てもらう用事があるし…なんならそのままついて来い」 「事務所に用事?」 「あぁ」 ちょっと悪戯っぽく、ちょっと企み顔で言われて、俺は小さく首を傾げた。 「ククッ、悪い話じゃない」 「そ、ですか…。じゃぁ、一緒に出ます」 後からわざわざ行くのもあれだし。 「分かった。1人で浴びられるな?」 ストン、と下されたのは、やっぱり浴室の脱衣所で。 「でっ、できますよっ!」 朝から火宮とバスルームになんて入ったら、どうなることか。 危険極まりない。 「ククッ、本当は洗い流して欲しくないが」 「え…?あ!」 全身へのキス…。 思い出したら、カァァッと顔が熱くなった。 「馬鹿っ…」 「ククッ、相変わらずの暴言か」 うっかり言い捨てて、逃げるように浴室に飛び込んでしまった。 最後に見えた、ニヤリとした火宮の顔が怖すぎるけど、まぁ逃げたが勝ちか。 中まで追ってくる気配はない。 「身体は洗い流しても…感触も記憶も、全部全部、ちゃんと残っていますよ…」 サァァッ、とシャワーのお湯を浴びながら、火宮が触れた場所をたどる。 「消えるわけない…」 あんなに慈しまれて、あんなに愛おしまれて。 「好き…。大好き」 ぎゅっと自分を抱き締めて呟いた声は、サァサァと降り注ぐシャワーの音に紛れていった。 ✳︎ 「ふぁぁ、眠ぅー」 「ククッ、着くまで眠っていていいぞ」 事務所へ向かう車内で、俺は生欠伸を繰り返していた。 「んー」 「おい」 「え?」 「こういうときは、普通は俺の肩に寄りかかるものだ」 え。 そんなムッとした顔をされても…。 「だって…」 重いし、身動き取りにくくなったら悪いし。だから窓の方に頭を預けたんだけど。 「はぁっ。本当におまえは男心が分かっていない」 「はぁっ?だから俺も男なんですけど」 男心って…。 「ああ言えばこう言う」 「えー、それはそっちですよねー」 むぅっ、と言い返せば、途端にフラフラと車が蛇行した。 「運転」 「すっ、すみませんっ…」 あれ? バックミラーに映る運転手さんの顔が真っ青だ。 火宮付きらしく、見たことない人だけど、調子が悪いんじゃ…。 「体調悪そうですよ?大丈夫ですか?」 「い、いえっ。はいっ、申し訳ありませんっ…」 あれ。 余計に血の気が引いているけど。 冷や汗まで出てるし。 「翼」 「何ですか?ねぇ火宮さん、運転手さん…」 「だから翼」 「はい?」 あれれ。 こっちはこっちで、なんで急に不機嫌になっているの…。 「おまえは俺の話そっちのけで、他の男の心配か」 「は?」 「まったく、おまえはな…」 「うわぁっ!」 いきなり腕を引っ張られて、火宮の膝に倒れてしまう。 「寝てろ」 「はいぃ?もう眠気は覚めちゃったんですけど」 「俺の膝枕は不服か?」 「そうじゃなくてですね…」 もう、何なの、この人…。 「おまえは大人しく俺にくっついて、黙っているのが一番平和だ。なぁ?」 チラッと運転手に向いた視線が、やけに鋭くて。 「ははははいっ!」 「わけが分からないんですけど」 「ククッ、だからおまえは男心が分からないと言っている」 「だから俺も男!って、何してるんですかっ」 ゴソゴソとズボンの前に伸びてきたその手は何。 「男というから確認をとな」 「はぁっ?そんなの、いつも見て知って……」 って、何言わされてるんだ、俺! 「馬鹿火宮っ…」 「ククッ、だからそれが」 キュルキュル、と思いきりブレた運転に、うっかり転がり落ちそうになった俺は、つい火宮に縋り付いていた。 「ふっ、悪くない」 「悪いですよ!運転手さん、絶対体調が…」 ニヤニヤしている火宮は一体何なのか。 俺は危うい運転に、事故らないかドキドキしているというのに。 「ククッ、本当におまえは…分かっていないな…」 「だから何が…」 俺の火宮に対する無礼な言動が、運転手をびひらせまくっているなんて、俺は知る由もなかった。 こうして暴言を許されていること自体がどれほど火宮にとっての特別かということも、まだまだ理解していない俺だった。

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