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第209話
「俺…」
「まさか、一世一代のプロポーズを断られるとは思いもしなかった」
「違っ…断ったんじゃなくて…」
そんな自嘲的に笑わないで。
「ククッ、分かっている。延期しろと言っているんだよな」
「あの…それは…」
違、わない。
俺は火宮に、自分が自分を相応しいと認められるようになるまで、待て、と言っているのだ。
「ふっ、おまえが意地っ張りで負けず嫌いなのは知っている」
「っ…俺は」
「それに俺は、おまえが望むならば何だってできる」
っ、だからこの人は…。
「おまえが待てと望むなら、俺はそれを叶えてやるさ」
「っ…」
だからそうして甘やかして…。
だから余計に勝てなくて。
「おまえがそれで安心していられるなら、それでいい」
あぁこの人は。
この人も本当は、俺との形が欲しいんだろうな。
分かってる。
言葉だけでは不安なのは、きっと俺だけじゃないことも。
それを待たせる俺は。
「に、ねん…」
「ん?」
「俺は今、16です。結婚できる年齢には、2歳足りません」
「まぁな」
それは『結婚』の場合ではあるけれど。
「法がそうだというのは…その年になれば、一応は心身とも成熟したと、言えるからなんだと思います」
「一般論だがな」
「分かっています。だけど…その年なら、俺は多分、将来の展望も、見えて、いるから…」
医学部合格の切符。
それは俺にとっての1つの切り札で、1つの自信。
「そうだな」
「っ…覚悟も決めます。あなたを支えるパートナーとして」
お抱え医師になるという覚悟。
ひいては組を支える一員に。
姐と言われる位置に立つことに。
「そうか」
「お金は…多分俺は一生かかっても、火宮さんみたいに稼げばしないだろうけれど。でも俺だって、火宮さんに何かを残したい気持ちは一緒なんですよ?」
「おまえはな…」
「だって歳が上だからって、先に逝くとは限らない。あっちゃいけないのは分かっていても、病気や事故…そういうの、ないのが『絶対』なんて言えるほど、こどもじゃないことくらいは分かって下さい」
怒らないで。
もしもがゼロではないことくらい、考えるくらいには大人です。
「はぁっ。俺の方がこどもだっていうのか」
「ふふ、だって火宮さんは絶対自分が先に逝くって思っているでしょう?」
「当たり前だ。おまえを見送るなど…考えるだけで鬱になる」
ぶっ!
「鬱って、似合わない」
やばい、思わず吹き出した。
「だから、おまえはな」
「あはっ、あははは」
「ふん…」
「だから、だからね、火宮さん。俺もこれで稼げるって思えるようになって、そういう自信も持てて、あなたの隣に立つことに…堂々とあなたの隣に立って、胸を張れる俺になれるまで…」
お願い。
「待っていて下さい」
「クッ、だからおまえは…」
そうだね。
きっと他の女の人なら、この火宮にプロポーズなんかされた日には、喜び勇んで飛びつくだろうね。
「この俺を待たせるとは、本当に度胸がある」
芯も強い、って。
それは。
「火宮さんがそうさせてくれるんです。あなたがそれでも、俺から心を離さないって、信じさせてくれるから」
俺は安心してあなたを待たせられる。
「ククッ、なるほどな。ならば少しは目移りするかもと、おまえを脅しておくべきだったか?」
楽しげに瞳を揺らす火宮の言葉は戯言だ。
「ふふ、もう不安になんかなりませんよ?」
チラリとわざとらしく火宮に向けたのは、縁組届けの書類で。
「今は、十分です。こんなにこんなに想われている。この書類を用意してくれたあなたの覚悟で十分すぎるんです」
「ククッ、貸せ」
「え…」
パッといきなり俺から封筒を奪った火宮が、夏原に向かって手を突き出している。
「火宮さん?」
何だろうと思っている俺の目の前で、夏原が差し出したボールペンを取った火宮が、サラリと綺麗な字で、養い親の欄を埋めた。
「は?え…」
「ふん。リミットは2年だ。だが翼、その気になったらいつだって、前言撤回して構わない」
「ちょっ…」
ニヤリとした、自信に満ちたその顔。
「ほら。お守りだ」
火宮の名前がサインされた書類を押し付けられる。
「管理には十分ご注意を」
不意に口を挟んできて、チラッと俺を見た夏原は、完全に理解に苦しんでいる。
それでも意を唱えないのは、それだけ火宮が絶対か。
「ククッ、この頑固者、可愛いだろう?」
「俺の趣味ではありませんね。まぁ、会長が溺愛なさる理由は分かるような気がしますが」
「ふっ、何せこの俺のプロポーズを保留にするようなやつだからな。面白いだろう?」
「あの…」
本人目の前に何の話をしてんですか…。
「ふっ、翼」
「な、何ですか?」
「まだ伏野翼か」
「な、納得してくれたんですよね?」
そのはずなのに、その悪い顔は何!
「あぁ。待ってやる。だが、この俺を待たせるんだ、タダとは言うまい?」
うわー、出た。
暴れるサークルさんならではの言い掛かり…。
「おまえは愛の他に、もう1つ持っているものがあるぞ?」
う。気持ちの他には何も渡せない、って手は通用しない?
「エロオヤジですもんね…」
「ほぉぉぉ?」
え?
あれ?口に出してた?
ニヤリ、と頬を持ち上げた、火宮のサディスティックな笑みを見て、俺の顔から血の気が引いた。
「ならば期待に応えて」
「っ…」
「身体で払え」
あー、もー、本当ブレない。
何このどS!
「期待なんてしてませんからーっ!」
「ククッ、遠慮するな。おまえも好きだろう?」
このどM、って…。
「だから俺はMじゃないですっ。遠慮します!普通でいいです!意地悪とかそゆの、いらないですからっ」
「ククッ、では仕置きにするか」
「は?」
「恋人つかまえてエロオヤジとは、さすがに許しがたい暴言だろう?」
あ…。
「っ、だって!」
初めからそういう見返りを求める気だったくせに。
「ククッ、謝罪の一言がまず出ないおまえには、やっぱり仕置きだな」
「やーっ!ごめっ…」
「もう遅い。今夜は覚悟しろ」
あぁぁ。
もうこうなった火宮は、誰にも止められない。
「取り込み中失礼します。では俺はこれで」
「あぁ、夏原、手間をかける」
「いえ」
ささっと帰り支度を整え、優雅にソファを立った夏原の背で髪がサラリと揺れる。
「そういえば、おまえが来る前にどうやら逃げたらしい真鍋だがな」
「あぁ、幹部ルームにも見当たりませんでしたからね」
「だが、外には出ていないぞ」
「そうですか」
「俺に許可を求めず、持ち場を離れるやつじゃない」
くそ真面目だ、と笑う火宮だけど。
「え?え?」
「クスクス、そうですか、では…」
「隣の隠し部屋だ」
ニヤリ、と笑って顎をしゃくった火宮の示す先には、扉…?に見えるけど、秘書室か何かだと思っていた、そこは。
「夏原の動きを知って先手で逃げ隠れするためには、そこにいるのが1番効率的だ」
「ありがとうございます」
にこりと微笑んで、優雅にお辞儀をした夏原だけど…。
その顔が、なんか黒い。
「え?え?」
待って。
真鍋が夏原から逃げていて、夏原は何か思っていたより腹黒そうで…。
「え?」
あれ。俺、もしかしてちょっと何かに気づいちゃったかも?
「ククッ、俺が売ったと言うなよ?」
「もちろんですよ、火宮会長」
「じゃぁな。俺はこいつの躾がある」
「はい、では失礼して」
スッ、と隣の部屋というドアに向かっていった夏原が会長室から消え。
「ねぇ、火宮さん。夏原さんって、真鍋さんのこと…」
「ククッ、まだまだ夏原の一方的な想いだ。そもそもあの俺以上のどSの真鍋が、どう考えても同じ属性の夏原に落ちるわけがないと俺は思っているが…」
「はぁ」
「でも真鍋が苦手として、逃げ回っているところを見ると、夏原にも多少の可能性は…」
ククッ、と喉を鳴らしている火宮は、完全に他人事で愉しんでいる。
「真鍋さんが…」
どうやら夏原が来ると隠れてしまう真鍋はいつものことのようで。
そういえばさっき案内してきたのも池田だったし、微妙なやり取りもあったっけ。
「意外…」
「ククッ、おい、翼」
「えっ?」
「おまえは真鍋と夏原のことより、今、自分が置かれた状況が分かっているか?」
「あ」
やばい。
そうだった。
俺も火宮から逃げたい状況だった。
何せお仕置き宣言されている。
「ククッ、食後に飲んで、入れておけ」
「っ!」
何このカプセル。
もう1つ放り投げて寄越されたのはまた何で仕事場にあるんだか、新品の未開封のローターだ。
「ふっ、うちのシマの風俗店に卸すっていうんで、試しに1つと寄越された」
「はぁぁ?」
だから仕事だ、って。
いやいや、そもそも風俗なんて手掛けているわけ?
「ヤクザだから?アリ?」
「ククッ、経営者は全く別だ。上で取り仕切っているだけで」
「ふぅん」
よくわからないけど、まぁヤクザだし。
「ククッ、今度行ってみるか?」
「え?」
「うちのシマなら安全だし、趣向を凝らしたブースや個室もあるから楽しいぞ」
「いや、待って、俺、16歳」
そういうの、まず未成年立ち入り禁止でしょ。
「ククッ、俺を誰だと?」
「あー、会長様、火宮様ですけどー」
「ふっ、仕置きがてら、連れて行くのもいいか…」
「え?嫌!そういうの、無理!やです!」
いかにもな場所とか本格的なのとか、本当、無理。
知りたくない。
「ククッ、じゃぁそれ、言いつけをちゃんと守れるか?」
「守ります!入れときます!飲みます!火宮さんが帰ってくるまで、ちゃんと待ってます!」
あれ?
意を唱えて拒否するつもりが、何か真逆の約束交わすことに…。
「そうか、いい子だ」
「う…」
その満足そうな笑み。
俺、完全に嵌められた…。
「夕食には帰れないが、なるべく早く帰るようにする。それ、飲み忘れたり、入れていなかったときには…」
「っ!男に二言はありませんっ」
約束しちゃったものは守るさ、あぁ守ってやる。
「ククッ、本当におまえは…」
「ふんっだ。じゃぁ俺も帰りますっ。お仕事頑張って下さい!」
そもそも俺の暴言が悪いけど、見事に逆ギレかまして、俺は会長室をドタバタと足音荒く出ていく。
「池田に送らせる。エレベーター前で待っていろ」
「はーい」
真鍋さんじゃないんだね。
納得しつつ、笑ってしまう。
「お待たせいたしました、お帰りになられ…」
え?
送りに来てくれた池田の目が、困ったように泳いでから、ふいっとあからさまに俺から逸れた。
「あの…」
「いえ。その…えーと、あー、こ、これで何とかなりますか?」
「え?」
何が、と思いながら、差し出されたハンカチと、池田の視線を交互に見た俺は。
「っーー!」
やばい。
パッケージ丸出しで、思い切り何かわかる状態のまま、手にローターが。
「っ、バカ火宮ぁぁーっ!」
慌てて池田からハンカチを引ったくり、ぐるぐるとそれで包み込む。
俺はここがどこだったかも忘れ、思わず最悪な絶叫を零していた。
ぶわっと殺気立った空気を、隣で池田が必死でなだめているのもわからないほど、俺は羞恥と火宮への恨みでいっぱいいっぱいだった。
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