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第213話

「うぁ、あぅぅ…死んだー」 「ククッ、この程度でへばるな。ほら、水」 「ありがとうございます…って、無茶した本人が言いますかっ?」 ぐたぁ、とリビングのソファに伸びた俺は、目の前に差し出されたミネラルウォーターのボトルを受け取りつつ、それを渡してきた意地悪な男をジトーッと見上げた。 「ククッ、無茶はおまえだ。あの真鍋に無駄に突っかかるから」 クックックッ、と楽しげに喉を鳴らしている火宮は、それをこれ幸いと利用して、さっきまで散々俺を苛めてくれたくせに。 帰宅早々、お仕置きだ、って、玩具や玩具や玩具で…まぁ最後は火宮だったけど…好き勝手に抱き潰してくれたのは誰だ。 「だってー、あの真鍋さんの弱点、見つけたと思ったんですもん…」 それをポロッと漏らしたのも、そういえば火宮だったな。 「え、まさか計算?」 「ククッ、まさか。さすがにいくらうっかりなおまえでも、真鍋に喧嘩を売るとまでは予測できん」 「あ、そですか…」 まぁ普通に考えたらそうだよな。 俺があまりにも無謀だった。 「これに懲りたら、おまえはうっかりやつらのことに首を突っ込むな。おまえが太刀打ちできる相手ではないぞ」 身を滅ぼす、と笑う火宮の言いたいことはよく分かった。 「はーい…」 まさかこの言いつけを、すぐに破ることになろうとは、このときの俺は思いもしていないのだけど。 「ククッ、それより小テストで、満点を取ったそうだな」 「あー、はい」 なんだ。そういういい報告も、ちゃんとしてくれるんだな、真鍋さんは。 「おまえ、頭はいいんだよな」 「何ですかそれ」 思い切り含みがある…。 「編入後も安心だろうと真鍋が言っていた」 「あはは。買い被りすぎ」 「おまえは…。真鍋も言ったそうだが、もう少し自信を持てないものか?あの真鍋が作ったテストで満点だぞ?」 「え?」 だってあんなの、どこぞの問題集の寄せ集めだろうし…。 「真鍋は手抜きをしない。おまえがやらされたテストは、すべて真鍋のオリジナルだ。多分、相当たちの悪い捻った問題が入っていたと思うぞ。引っ掛けとか」 「………」 そう言われると、微妙に思い当たる。 「ククッ、それをサラリと解くんだ。他のどんな難問も怖くない」 「えー」 そういうものか。 「ふっ、おまえは勉強ができる」 ポン、と頭に乗った手が、ちょっぴり自惚れてみてもいいかもしれない、と思わせてくれる。 「頑張ったようだから、褒美をやろうか?」 「えっ?」 「何がいい?また鍋とか言うなよ?」 あぁ、そういえば付き合う前にそんな要求をしたことがあったな。 「ものじゃなくてもいいぞ」 「えーと…」 なら、欲しいものは1つだけなんだけど…。 何だか恥ずかしくて言い出せない。 「ククッ、その目」 「え?」 「今度の日曜だ。空けておく」 え…。 何で分かった。 「金やら警護やらを気にせずに、好きな場所を選べよ?」 「はいっ」 嬉しい。 デートだ。 欲しかったのは火宮自身。火宮の時間。 「ククッ。くたくただと、素直で可愛げがある」 「はぁっ?」 「今、反抗しても、もう仕置きには耐えられないもんな」 ククッ、って、すごく愉しそうに笑ってるんですけど…。 「別にそんな計算してませんよ」 「そうか?じゃぁもうワンラウンド…」 「無理っ!」 計算ではないけど、もしかしたら本能的に振舞っていたのかも。 だってどう考えたって、もう身体は限界だから。 「一体何度イかされたと思ってるんですかー」 もう出るものはない! 「ククッ、確か空イキも含めてご…」 「言わなくていいですっ!」 もう、何なの、この人…。 「ククッ、まぁ明日足腰立たなくなっていると、真鍋に嫌味を言われそうだからな」 「え?」 「明日は真鍋とリングの打ち合わせに行ってもらう予定だ」 行って来いって。え、リングって…ペアリングの話? 「俺も付き合いたいが、明日はどうしても外せない重要な会議があってな。悪いが真鍋とショップに行って、話を進めておけ」 「はぁ」 プロポーズ、延期したのに、まだリングを作るつもりなのか? 「入籍とは別に、指輪は贈ってもいいだろう?」 「はい…」 そりゃ嬉しいけど。 「ショップも本当は、あの店は変えようと思ったんだが…いやむしろ潰すか、と…」 「え!何で?廣瀬さんのことがあったから?」 「当たり前だ。あんなロクでもないアシスタントを雇っていた店だぞ?」 それはそうだけど、オーナーさんも朝倉さんも、多分知らなかったと思う。 あの廣瀬さんは、きっとすごく外面がいい。演技も上手い。 「駄目ですよっ!俺はもう気にしてませんから…。そんな簡単に切ったり潰したりしたら」 「ククッ、おまえがそう言うと思って、多少のペナルティーで許すことにした」 「ペナルティー…」 その内容は、多分聞いちゃいけない。 火宮の鋭く光った目で本能的に察した俺は、とりあえずまた別の店で1からにならなかったことにホッとした。 「朝倉さんは、多分いい人だしなー」 「ほぉ?あのデザイナーが気に入ったのか」 「え?」 「やっぱり潰すか…」 「はぁっ?待って下さい!何でそうなるんです!むしろ気に入らないデザイナーさんに指輪作ってもらう方が無理ですよね!」 まったく、この独占欲はどうにかならないものか。 俺がちょっと気にいる人、気に入る人を片っ端から排除されてたら、俺は怖くて誰とも接することができなくなる。 「まぁそうか。だが、必要以上に懐くなよ」 「必要以上…」 それが火宮基準なのが微妙だけど。 「はい…」 とりあえず返事をしておかないと話が戻るだろう。 「ククッ、では明日は午前中のうちに真鍋が迎えに来るはずだ。もう休め」 疲れたろう?って。 疲れさせたのはあなたでしょうが。 言えるわけないけど…。 「はい。あの…」 ちょっと甘えてもいいかな…? 「どうした?」 「あの…」 ダルいから。だから、だから…。 やばい、やっぱり恥ずかしい。 「な、何でもな…」 「ククッ、言ってみろ」 「っ…」 バレてるな、この顔は。 「ん?翼?」 「っ…」 分かってるんなら、言わせなくてもいいと思うんだけど。 本当、ブレないよね、その意地悪。 「翼」 「っ!」 駄目だ、その甘い呼び声。 反則。 「っ…抱っこ…して、ベッドまで…」 連れて行って。 カァッと頬が熱くなって、それ以上は言えなかった。 顔も俯いてしまう。 「ふっ、お安い御用だ」 「っーー!」 も、ずるい。 キスまで求めてないから! ふわりと浮いた身体に、近づいた美貌。 お姫様抱っこでチュッなんておでこに触れた唇が、やばいくらい嬉しくて。 「もう本当、きらい…」 ぎゅっ、と火宮の首の後ろに両腕を回して、チュッ、とお返しに頬っぺたに押し付けた唇は、言葉とは裏腹の、俺の心。 「ククッ、おまえの勝ちだ、翼」 蕩けるような、甘い甘い火宮の瞳が俺を見つめ、唇が、互いに嘘つきな口を塞ぐように、ゆっくりと深く重ね合わされていった。

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