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第214話
「ふぁっ、眠い…」
「大丈夫ですか?」
「真鍋さんのせいですー」
火宮にチクるから。
んべー、と派手にあかんべーをかまして、俺はシラッとした顔で隣を歩いている、ブラックスーツの男を見上げた。
「………」
本当、クール。
「なんですか?」
「いいえー。今日は付き合ってもらってありがとうございました」
真鍋と2人、指輪作りの打ち合わせに向かったジュエリーショップで、いくつか提示されたラフデザイン画から、1つを選ぶ際、かなり的確なアドバイスをもらえたことは、素直によかったと思う。
ペコンと頭を下げた俺に、クールな美貌は一瞬だけ温かみのある微笑を浮かべた。
「いいえ、仕事ですので」
まぁそういう人だよね…。
「それでも助かりました」
火宮の好みとか。火宮が望むだろうこととか。多分この真鍋は、悔しいけど俺より詳しい。
「ふっ、あなたの強さは本当に…」
「え?」
にこりと珍しく綺麗に微笑んだ真鍋の表情が、一瞬で冷たく人形のように無表情に戻った。
え…?
「っ!」
バッ、といきなり後ろを振り返った真鍋に緊張が走る。
すでに何かから庇うように背に回された身体が震えた。
「っぁ…」
なに?と問いたいのに、真鍋が放つ緊張感に引きずられて声が出なくて、俺はただ、震える指先をそっと真鍋のスーツの裾に伸ばした。
「おー、怖。能貴、俺、俺。敵じゃないって」
不意に、場の緊張感を一気に崩す、呑気な声が届いてきた。
「え…?」
この声、知ってる。
真鍋の緊張感もふっ、と一瞬で消えて、俺はソロソロとその後ろから顔を出した。
「こんにちは、伏野翼くん」
にこりと微笑んでいたのは、明るいネイビーのスリーピースを、やっぱりお洒落に着こなした、夏原だった。
「あ、こ、こんにちは」
「はぁっ。夏原先生、気配を殺して背後にそっと近寄るとは、なんの冗談です」
ヒヤリ、と物理的に気温が下がった気さえする、真鍋の冷たい声と視線が夏原に向いていた。
「クスクス。だって先に気づかれたら、逃げるでしょ、能貴」
「ヨシタカ?」
さっきからその名前、誰のこと?
「真鍋能貴。あれ?知らなかった?」
クスクス笑っている夏原の目は、俺じゃなくて、楽しそうに真鍋に向かっていた。
「そういえば一度だけ…」
聞いた覚えはあるな。
盗み聞きだったけど。
「ふふ、奇遇だねー」
「あなたは何故」
「え?俺?裁判所から事務所に戻る途中。たまたま前に見知った後ろ姿があってね」
小粋にウィンクをして見せる夏原のその仕草が、似合うのなんのって。
「そうでした…。ここはあなたの法律事務所の近くでしたね…」
今気づいた、と言わんばかりに面倒くさそうな顔をした真鍋が意外だった。
「そっちは?散歩?」
「………」
馬鹿ですか?と、口にはしていなくても、真鍋の冷たい冷たい目が語っていた。
こうも感情を悟らせる真鍋の姿っていうのは、とても珍しいんじゃないだろうか。
「デート、なわけないしね?」
うわ、この冷ややかな真鍋にめげない夏原もすごい。
「能貴は、仕事で伏野翼くんに付き添い、って感じかな」
「はぁ」
「それで、今から…ランチしよう!」
は?
ポカンと開いてしまった俺の口と、真鍋の盛大な溜息が重なった。
「夏原先生」
「他人行儀だなぁ、それ」
「他人ですから。会長の許可なく翼さんをお誘いになるのはやめて下さい」
「相変わらずクール。そこがいいんだけどねー」
「何を…」
「でも誘っているのは能貴だから」
にっ、と悪戯っぽく笑う顔まで美形は美形だ。
真鍋の目がとても嫌そうに細くなる。
「仕事中ですので」
「昼休憩でしょ。伏野翼くんも行きたいよねー?」
ね?と綺麗な顔が向く先は俺で…。
「えーと…」
顧問弁護士さんだから危険はないと思うんだけど。
伺うように真鍋を見上げたら…。
「断りなさい」と目で訴えていた。
「えっと…」
「食事がてら、能貴の面白い話を色々と聞かせてあげるよ」
にっこりと、それはそれは魅力的な条件が提示され…。
「行きたいです」
「翼さんっ?!」
ついうっかり好奇心に負けた。
「はい、決まりー。どこに行こう?何食べたい?」
懐柔するなら俺、と思われたんだろう。
夏原が肩を組もうとしてきた。
「夏原先生」
スッ、と俺と夏原の間に真鍋が割り込む。
「だからそれ、他人行儀だなぁ」
「だから他人です。それより夏原先生、それ以上翼さんに近づかれますと、いくらあなたでも会長のご不興を買いますよ」
素早く俺を夏原から遠ざけながら、真鍋の冷たい冷たい声が響いた。
「能貴が告げ口しなきゃいい…なんて無理か。じゃぁ代わりに…」
にやっ、と笑った夏原が、間にいる真鍋にスッと手を伸ばして腰を抱こうとしたのが見えた。
「翼さん。あなたもこんな誘いにほいほいとお乗りになって…どうなるか知りませんよ」
サッ、と俺をエスコートするように見せかけ、真鍋は華麗に夏原の手を避けてしまった。
「ちぇー」
美形は拗ねた顔も美形なんだな、なんてぼんやり思う。
真鍋のせっかくの忠告は、耳を素通りしていた。
「まぁいいや。何食べる?」
ひょいっ、と真鍋の向こうから顔だけ覗かせて尋ねてきたのは俺にだ。
「えっと…」
真鍋に聞いたところで、俺が選べというに決まっているのはさすがに分かるし、だからと言って、ファーストフードやラーメンとはこの面子では言い難い。
「えっと…」
どうしよう。
困惑は、夏原にも伝わったのか。
「伏野翼くん、パスタやピザは好き?」
「え?は、はい」
「じゃあ俺の知ってるナポリ料理のお店はどう?」
あぁ、なんかさすがだな、この人。
きっと俺も真鍋も浮かないような、ちょうどいい感じのお店に連れて行ってくれるに違いない。
任せて大丈夫、っていう安心感が声にも視線にも溢れてる。
「はい、それでお願いします」
「よし決まりー」
こっち、と差し出された手を、これまた華麗に無視して、真鍋がスッと俺を促して歩き出す。
「うーん、手強いそこがいい」
中途半端に宙に浮いた手を持て余しながら、夏原がクスクスと笑っている声が後ろから聞こえていた。
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