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第217話
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夏原が、その存在を知ったのは、弁護士なって仕事を始めたばかりの頃だった。
「夏原くん、今度母校に行って、卒業生の体験談ってやつを、ちょちょいと語ってきてくれるかな」
その頃、お世話になっていた法律事務所のボス弁に、軽く命じられたのが始まりだった。
面倒くさく思いながらも、それが仕事。
仕方なく母校に向かった夏原は、別の事務所から寄越された同期と顔を合わせ、その噂話を聞かされた。
「なぁ知ってるか?夏原。入試トップ、これまでの試験もオール1位、成績表は秀オンリー。どうやら予備試験もすでに通ったとかいうど天才が、今日俺らが話しに行く講義室にいるらしいぜ」
「はっ、マジか」
「夏原も似たようなど天才だけど、上を行くかもなぁ?」
ニヤッと笑った同期の挑発に、すでにまだ見ぬその『天才くん』に興味を惹かれていたのは確かだった。
時間が来て、案内されて向かった広い講義室。
「どれ?」と同期に問うまでもなかった。
手にしたマイクが震えた。
それは決して緊張からではなく、歓喜からだということは、夏原自身が1番よく分かっていた。
「そこの前から3段目、真ん中のきみ、名前は?」
考えてきた原稿はすべて吹き飛んで、気づけばキーンと響くような興奮した声で、全学生の前でその1人だけを見つめていた。
「真鍋ですが」
変な先輩。とでも言いたそうな冷たい視線がまた、夏原の興味をそそった。
突然の指名と注目に、なんら恐れをいだかないその態度も気に入った。
「では真鍋くん。きみの志望は?」
どうか弁護士であれ、と柄にもなく天に祈った。
けれども真鍋は冷然とした表情のまま、あっさりとその希望を打ち砕いてくれた。
「検察官」
わずかも揺らがない視線と声が、それはもうたまらなかった。
「クスクス、ふふふっ、たまらなく、気に入った。それ、思い直させてあげる。俺はきみが欲しい」
体験談を語りにきて、スカウトと公開大告白をするとは思いも寄らなかった。
それはされた側の真鍋も同じだったんだろう。
「生産的なお話を聞かせていただけないのなら、この講義を受ける意味はありませんね。先輩、失礼ですがどうやら時間の無駄のようですので…」
スッと立ち上がったその凛とした姿がまた、目眩がしそうなほど美しかった。
「ふっ、覚えておいて。夏原海里だ。俺は、欲しいと思ったものは、全力で取りに行く。…そう、司法試験合格も、がむしゃらなそういう気持ちで…」
上手く丸めたな、と思ってもらえただろうか。
悠然と講義室を後にしながら、真鍋が少しだけ演台の方を振り返り、笑ったような気がした。
「夏原海里、ね。いつか法廷で、こてんぱんに伸して差し上げましょう」
ニヤリと悪い笑みを浮かべた真鍋の姿は、夏原からは見えてはいなかった。
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