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第218話
「本当、あんな講義室の中心で。あの頃からど変態でしたね」
冷たい冷たい真鍋の視線を、夏原はとてもとても楽しそうに受け止める。
「でもまさか、あのとき笑ったのは、そんなことを考えていたとはねぇ」
「ふっ、無理矢理こじつけて破綻した理論を、私が賞賛するとでも?」
「やっぱり能貴だよね。でも能貴は、あのときのその言葉を現実にはしなかった」
スッ、と表情を引き締めた夏原に、真鍋が薄く目を細めて、緩やかに首を上下させた。
「能貴が検事になることを諦めたのは…。火宮会長と出会うことになり、こうして裏社会に生きると決めた、その理由は…」
「はい」
「あの時、俺は独立の準備で忙しくて…。自分の事務所を立ち上げることにてんてこ舞いで…」
知ったときにはすべてが遅かった、と滲む後悔が、深く声に現れていた。
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真鍋には、妹と呼べる存在が、1人いた。
そう、1人『いた』。
とても聡明で、とても美しい少女だった。
両親は真鍋がまだ中学生の頃、マンション火災の事故に遭って死んだ。
たまたま予備校で居残り自習をしていた真鍋と、たまたま友人の家に誕生日会に招かれていて帰りが遅くなっていた妹の2人は、火災に巻き込まれることなく生き残った。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
泣きじゃくる妹を、真鍋はただ黙って抱き締めた。
自分より小さな身体を、震える弱き存在を、真鍋は強く強く抱き締めた。
「僕がいる。僕がいるよ、大丈夫。2人で一緒に生きて行こう」
妹には自分だけが頼りで。
真鍋には妹だけが残された心の拠り所で。
互いに両親を失った深い哀しみの穴を、互いで塞ぎ合うように、兄妹手を取り合って歩いていくことを、2人は選んだ。
2人が頼れる親類縁者はなく、真鍋は1人、妹を守り育てるようにして生きることを選んだ。
幸い両親の残した遺産や事故の慰謝料、保険金が大量に入り、金にそう苦労することはなかった。
「見て!お兄ちゃん!あったよ、あった!私の番号!」
妹が高校入試に合格したその日、真鍋はとてもとても嬉しそうに微笑んだ。
「おめでとう、よく頑張った」
このとき真鍋はすでに、法学部の2年になっていた。
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「あの日の彼女の笑顔を、私は生涯忘れることはないでしょう」
淡々と話す真鍋の瞳は、ただただ静かな凪のようだった。
「妹さん…過去系なのは…」
聞かなくても分かっている。
けれど敢えて口にした俺に、真鍋はふわりと穏やかに微笑んだ。
「亡くなりました。高校2年の、冬」
「っ…」
その笑顔の日から、たった1年と少し。
その短期間に何が、と思ったのが伝わったのだろう。
無表情に戻った真鍋の口が淡々と動き出した。
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