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第225話

「って感じで、能貴は俺のことを受け入れたわけだ」 「曲解も甚だしい。私は会長の命令に従っただけです」 本当、この安定感抜群の温度差。 このなんとも言えない空気に晒される俺の身にもなって欲しい。 「そんなこと言って、本当は能貴も、俺に運命感じてたんだろう?」 「馬鹿を言わないで下さい。優秀な頭脳を持ちながら、わざわざ裏社会に通じる気になるような変態に、私が何故」 「クスクス、あの講義室。運命感じたのは俺だけじゃないはずだ。だって1度会っただけの俺を、闇から遠ざけようとしたのは…」 ガチャンッ、と真鍋が急にパスタの皿の上にフォークを落とした。 「そんな照れなくても…ッ?!能貴」 「夏原先生、左斜め後ろ」 んー?と呑気な声を上げながら、夏原が不意にスマホを取り出して画面を眺め始める。 隣の真鍋の空気が、一瞬で鋭くなったような気がするのは何なのか。 夏原の左斜め後ろって…。 「翼さん、視線を向けないで下さい」 「えっ?」 言われたところでもう遅い。 しっかり見てしまったそこには、人相の悪いお兄さんが2人。 「話に夢中で気づくのが遅れました…」 「あれかー、どうする?」 スマホの画面はインカメラモードだったのか。 どうやら振り向かずに後ろの人たちを観察したらしい夏原が、やっぱり呑気に真鍋を見遣った。 「ここで騒ぎを起こすのはまずいですね。見たことのない顔ですが…同業者でしょう」 え。なんか、まずいことになってる感じ? ピリッとした真鍋の空気が怖い。 「狙いは伏野翼くんかな。観察と情報収集といったところ?」 「でしょうね。とりあえず、翼さんを避難させて、やつらは捕まえて締め上げましょう」 「俺、腕っぷしはまったくよ?」 やり合いになったら足手まとい、と笑う夏原に、真鍋がげっそりと溜息をついた。 「以前、たまたま絡んできた4、5人のチンピラ相手に、たった1人でその者たちを全滅させたことのあるあなたのどこが」 げ。何この人。 インテリ眼鏡にロンゲのくせして、そんなに強いわけ? どう見てもデスクワーク専門タイプなのに…。 「真鍋幹部様には負けますぅー」 「ふざけないで下さい」 「クスクス、冗談はさておき、伏野翼くんを守りつつ逃げるくらいは何とかなるよ」 「お任せします」 「締め上げ担当は能貴だろう?」 締め上げるって…発言が怖い。 「翼さんに変なことを聞かせないで下さ…」 「能貴?」 急に言葉を途絶えさせて固まった真鍋の様子の意味は、今度は俺にも分かった。 「火宮さん…」 「え?」 俺の呟きに、後ろを振り返った夏原が、ギクリと身を竦めた。 「会長…。どうしてこちらへ」 「ククッ、うちのが何やら奇妙なメンツでランチを楽しんでいると聞いたものでな」 スッ、と冷たい空気を纏ってしまった真鍋が、ボソリと「護衛か」と舌打ち混じりに呟いている。 「で?揃いも揃っていて、何だあれは」 ギロッと火宮の鋭い視線が向いたのは、真鍋と夏原の話題に上がっていた同業者さんとやらの方で。 「申し訳ありません」 「あー、すみません…」 真鍋と夏原が同時に頭を下げているのを、悠然と火宮が見下ろしている。 「クッ、まぁいい。どうせこいつが、好奇心にでも負けでもして、突っ込むな、と言いつけてあったはずの首を自ら突っ込んだんだろう?」 なぁ?と視線が向くのは、俺と、夏原へで。 「う、ぁ、えっと…」 「重ねて申し訳ありません」 更に深々と頭を下げた夏原に笑って、火宮の手が俺に伸びてきた。 「ったく、こいつは連れて帰るぞ」 「えっ…」 待って。 ニヤリとしたその悪い笑み。 嫌な予感しかしないんだけど。 「かしこまりました」 「せいぜい挽回しておけ」 スッ、と同業者さんたちに視線を流した火宮が、俺の腕を引いて歩き出した。 「ちょっ、待っ…」 「後は真鍋たちがきちんと処理する。おまえは残る方が邪魔だ」 「あぅ…だけど…」 パスタ、まだ食べてないのに…。 未練がましく見つめるテーブルの方では、真鍋と夏原が何やら頷き合って視線を交わしている。 『さぁて、いっちょやりますか』 『何でそう嬉々となさっているんです…』 会話は聞こえてこないけど、何やら話している2人が見える。 『会長たちがお出になられたらすぐに』 『あぁ。押さえてボコッて連行するんだな?』 『あなたの方がよほどヤクザらしいのは何なんですか…』 あ、真鍋さんが呆れた。 きっとまた、夏原がロクでもない台詞でも吐いたんだろう。 『クスクス、ヤクザお抱えの弁護士ですから』 『ふざけていないで、出ますよ』 スッと伝票を持って立ち上がった真鍋から、スリもびっくりな手際の良さで、夏原がそれをいつの間にか奪っている。 『っ!またあなたは…』 『ほら、ぼんやりしていると逃すぞ?』 スタスタと会計に向かう夏原の後ろに、真鍋の苦笑がチラリと見えた。 『なぁ能貴。これが済んだら、今夜は2人で飲みに行かないか?』 『いいですね。行きましょうか』 『え?』 『なんです?誘っておいてその顔は』 『いや、てっきりバッサリ切り捨てられるかと』 『それがお望みならばそういたしますが』 『いや!行く!今日は絶対に残業しない!』 ピョンと飛び跳ねた夏原の背中に、1つに束ねたサラリと長い髪が揺れた。 「なんか、遠目から見ると、仲良いですよねー、あの2人」 「ククッ、おまえは今の状況が分かっているのか?」 「え?」 「前回ので懲りたなら、うっかりやつらのことに首を突っ込むな、と言っておかなかったか?」 あ。この悪い顔。やばい…。 「えーと…き、聞いたような?」 「ふっ、それがしっかり首を突っ込んだ挙句、何やら変なのに目をつけられて。しかも、俺のいないところで、俺以外の男と楽しくランチか」 待った。もしかして、1番不機嫌になっているのはそこ?! 「俺のイロとしての自覚が足りないようだな」 「や、あの、それは、ほら…」 やばい、やばいー。 このままじゃ、また大変な目に…。 ズルズルと店外に連れ出されながら、俺は必死で中の真鍋に助けを求めるように視線を向けた。 「能貴っ」 「夏原先生」 うわ。息ぴったりって感じ…。 逃げ出そうとした同業者さんを、2人が連携プレーで見事取り押さえている。 「ふっ、無駄なことだ」 え?助けを求めるのが? それともあの2人に逆らおうとした同業者さんの話? 「ククッ、もう取り押さえて、事態は収拾だ」 「いいコンビですね…」 真鍋は運命なんてくだらないと言っていたけれど。 「夏原さんのフルネーム、夏原海里…」 「それがどうかしたか?」 「いいえ。ただ、夏と海…。イメージは…」 「ククッ、あお、だな。聞いたのか」 「はい」 「果たしてそれをたまたまで片付けるか、必然と捉えるか。あいつらが気づいたら、どう反応するだろうな」 クックッと笑っている火宮は、どこまでも愉しげで、どこまでも他人事で。 だけどただ…。 「真鍋さんには、幸せになって欲しいです」 うんともすんとも言わなかった火宮だけれど、俺を見下ろす目は、優しく和んでいた。

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