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第231話
「意識…が、ない…?」
「今は、というお話になりますが」
「っ…」
ドクンッと跳ねた心臓が、ぎゅう、と締め付けられるように痛んだ。
「回復する、可能性は…」
「まだなんとも。撃たれた直後は、きちんとお話をなされていたそうですが、なにぶん出血量が多かったので。命は取り止めはしましたものの、まだお目覚めにはなられておりません」
っ…。
覚悟はしていた。
真鍋の暗い表情から、楽観できないことくらいは分かっていた。
けれどもはっきりと現実を聞かされた頭は、あまりの衝撃にパニックを起こす寸前だった。
「っ、ぐ…」
強く強く唇を噛み締める。
ここで取り乱しては駄目だ。
俺は何者だ?
ヤクザの頭の、恋人だろう?
ジワリ、と口の中に、鉄臭い味が広がった。
「翼さん」
「っ…」
深く瞬きを1つして、心を必死で落ち着かせる。
「翼さん…」
大丈夫。大丈夫だ。
自分で自分に言い聞かせるように心で繰り返し、俺はそっと噛み締めていた口を開いた。
「だ、いじょうぶ、です…」
握った拳はブルブルと震えているけど。
足には力が入らないし、目には涙がいっぱい溜まっているのも分かっているけど。
それでも、それでも。
それを零してしまったら、何だか火宮の命もそのまま零れ落ちていってしまいそうな気がして、俺は必死で涙を飲み込んだ。
ツン、と鼻の奥が痛む。
「大丈夫です」
キッ、と顔を上げて、涙を引っ込めた俺は、強く強く真鍋を見つめた。
「火宮さんは、どこの病院に?」
「銃創ですので。うちの抱えているところです」
「会いに行けますか?ううん、行きたいです!」
連れていって、と縋った俺に、真鍋の首がはっきりと左右に振られた。
「え…?」
何で。
眠っているだけだとしても、その顔を一目見たいだけなのに。
「申し訳ありませんが」
頭を下げる真鍋の言っていることが分からない。
「何でですかっ!」
面会謝絶だというならそれでもいい。
病室には入れなくてもいいから、せめて病院に。
少しでも火宮の側にいたい。
目覚めたらすぐに顔を見られる距離にいたい。
当然の願いだと思うのに、無表情な真鍋の首は、再び左右に振られた。
「病院に行っていただくわけには参りません」
「どうしてっ!」
「それどころか、私が許可するまでは、このお部屋から出ることも控えていただきます」
「は…っ?」
ポカンと開いた口が塞がらなかった。
「銃で撃たれた、と申し上げましたよね?」
「はい…」
「本日は、七重組長と会食をなされた際に、店を出たところを銃撃されました」
「っ…」
銃撃とか…。
現実にそんな単語を聞く日が来るなんて。
どこか非現実的で、だけどこれが夢でも作り物の世界の話でもないことは、真鍋の真剣な光を宿した目が、強烈に意識させた。
「弾は、会長を狙ったものか、組長の方だったのか、まだはっきりとしていません。犯人、及びその背後にあるものの調べも、目的もまだ不明です」
「っ…」
だからって…。
「この状況で、会長の周辺に、今、翼さんを近づけるわけには参りません」
「っ、でも…」
「話によりますと、会長が七重組長を庇うようになされたそうですので、もしかしたら、たまたま会長が、ということかもしれませんが…」
「………」
「それでも、万が一、会長の方がターゲットだった場合には、翼さん。あなたが会長の本命であると知られている可能性もゼロではなく、危険に晒されているのはあなた自身もです」
ギクリ、と震えた身体は、真鍋の顔が冗談や脅しで言っているわけではないことを物語っていたからだ。
「ですので、下手な身動きはおろか、会長の元へ行くことも、外出自体も制限させていただきます。ご理解いただけましたら、大人しくこの部屋の中にいて下さい」
ピシリと言い放たれる真鍋の言葉は、いつにも増して、冷たく冷たく俺の耳に響いた。
「っ…」
分かってる。頭では…。
俺が今、やたらと外に出たり、ましてや火宮の側に駆けつけたりしたら、この人たちにとっては迷惑で、酷く足を引っ張ることになる。
だけど感情は全く別物だ。
「やだ!嫌だ…」
「翼さん」
「嫌ですっ。行きたいっ。そんな危ないんだったら余計にっ。側にっ。火宮さんの側にいたいっ…」
俺に何が出来るわけでもないけれど、離れたこんな場所で1人悶々としているのは嫌だ。
「はぁっ、我儘をおっしゃらないでください」
な、に、その呆れた目…。
ドクン、と跳ねた心臓が、ムカムカと嫌な気分を押し上げた。
「こ、いびと、の身を…心配して、側に行きたいというのが、悪いことですか…?」
「この、場合は。あなたの身自体も危険かもしれないと、申し上げたばかりでしょう?」
聞いたけど。
だけどそんなの…。
「俺の身なんてどうだっていいっ!」
「翼さんっ!」
「だって…」
ただただ火宮が心配で。
ただただ側にいたい。
「お気持ちは、分かります。けれど」
「分かってないっ!」
「翼さん…。あなたのお立場は、火宮刃に恋い焦がれる1人の男、以前に、蒼羽会会長、火宮刃の本命。先ほどご自分で、その覚悟のほどを口になされたばかりでしょう?」
スッ、と立ち上がってしまった真鍋が、軽く息を吐いて俺を見下ろした。
「っ…」
確かに言ったけど。覚悟、してるつもりだったけど。
「っ、俺は…」
だけどそれが、恋人のピンチにも駆けつけられない。意識不明の状態に、側にいて見守らせてももらえない。
そんな覚悟なら。そんな立場なら。
「いらない…」
「翼さん?」
「俺にはできないっ。感情を抑え込んで、冷酷に状況を判断して、そんなにそんなに我慢することを求められるんだったら…」
「翼さん!」
「俺は蒼羽会会長の本命になんかなれない。ただの我儘な子どもでいい。火宮刃に恋したただの男の1人でいい」
護衛も、身を守ってもらうことも、しなくていい。
「俺はどうなっても構わない。どんなに危なかろうとも、気に止めてくれなくていいから。責任なんか感じなくていいから、火宮さんのところに行かせて下さいっ…」
叫んだ瞬間、真鍋の手が翻ったのが見えた。
ペチン、と叩かれた頬を、反射的に押さえる。
「っ…」
「その身がどうなっても構わないなど、決して口にするのではありませんっ!」
「っ、だ、って…」
「甘えるのではありません。大人になりなさい。冷静に周囲に目を向けなさい。あなたが今するべきことは、激情に流されて、その身を無闇に危険に晒しに行くことではありません」
「っ…」
「大人しく、我々の指示に従い、その身を保護されることです」
「っ、でき、な、い…」
それが大人になるということなら、俺は大人になんかなりたくない。
こんなに辛くて苦しい思いをするならば、俺は…。
「嫌でも無理でも、あなたは蒼羽会会長、火宮刃の、唯一の恋人なのです」
「っーー!」
事実は変わらない。
はっきりと告げて、踵を返した真鍋の後ろで、堪えていた涙がボロボロと溢れた。
「少し頭を冷やしなさい」
静かな声がリビングの空気を震わせ、パタン、と閉じられていくドアが、滲んだ涙の向こうに見えた。
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