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第235話

コツコツと、どこか緊迫した、けれどもやけに静かな時間が過ぎていく。 ソファの上に両足を抱え込み、膝に頭を預けた俺は、ボーッと目の前の光景を眺めていた。 リビングのテーブルでは、真鍋が持ち込んだパソコンや書類を広げて淡々と仕事をこなしている。 すでに朝日が差し込んだ室内は明るい。 この人も徹夜か…。 ずっと見ていたけれど、夜中こうしてそこにいた。 「ふふ…」 「何ですか?」 「いえ、あなたも人間だったんだなって」 思わず漏らしてしまった笑い声に、真鍋がとても嫌そうな顔をした。 「喧嘩をお売りでしょうか」 「は?違いますって!」 ただ、ホッとしたんだ。 だって知ってる。 淡々と仕事をこなしているようで、何度も何度もスマホに向いていた視線。 時折それが震えては、緊張したように肩を強張らせ、ディスプレイを見ては内心で舌打ちしていた様子。 知ってる。 夜中ずっと、火宮の目覚めの連絡を待っていたでしょう? 仕事でもしてなければ、もっともっと落ち着かないんだよね。 「はぁっ。ご自分のことを棚に上げて」 「お互い様です」 あぁそうだよ。 俺だって瞼は眠い、眠いといって重たくなるのに、頭は冴え冴えとして眠れないんだ。 「まったく…」 呆れたように苦笑するこの人が、俺の今の1番の理解者。 火宮が目を覚まさないことに、誰より焦れているのは同じ。 「っ!」 不意に、真鍋のスマホがまたも着信に震えた。 互いに緊張が走る。 だけど…。 「っ…」 ゆっくりと左右に振られた真鍋の頭は、火宮の元についている部下からではないことを語っていた。 「はぁ…」 違うのか。 脱力した俺の前で、真鍋の表情が引き締まる。 「はい、真鍋。……そうか。分かった…あぁ、そうだな…メールに添付しろ」 すごい、冷たい声。 瞬間的にヤクザの幹部の真鍋能貴になれる切り替えの速さには驚きだ。 「そんけー」 「ふっ、何をおっしゃっているのですか」 短い会話だけで通話を切った真鍋が、何故かやけに明るい雰囲気を出していた。 「っ、何かいい報告ですか?」 「まぁ」 火宮の目覚めじゃなければ…。 「黒幕が判明した、とか?」 「やはりあなたは優秀です。ようやく実行犯が吐いたそうですよ」 「っ…」 その言い方。夜中拷問してたのか…。 「狙われたのは、七重組長」 「っ!」 「犯人は、うちとは別系列の暴力団組織の中の1団体の者です」 「敵対、しているんですか?」 「普段はそう関わることはありません。直近で特にきな臭い話も上がっていませんでしたが」 それが突然銃撃されるって…。 「向こうの上が代替わりする話が出ているそうです」 「えっと…」 それと何の関係が。 まだまだヤクザの世界のことはよく分からなくて、首が傾く。 「中には新しい組長が立つに当たって、どうかいい役に取り立ててもらおうと、何かしらの功績や手土産を用意しようと考える輩がいるのです」 「っ!」 それが、他系列の組織の頭の首。 ゾッとした。 そんなことで命を狙われて。 そんなことで火宮は未だ眠り続けているのか。 「手柄のためだけに…?」 「浅はかな馬鹿者のすることですが」 「っ…」 「別段緊張状態にない他系列の組織に喧嘩を吹っかけるような真似。取り立ててもらえるどころか、とんだ反乱行為」 スゥッ、と微笑んだ真鍋の表情が、あまりに冷然としていて、ブルッと身体が震えた。 「向こうの上は瞬時に切り捨てるでしょう」 「ま、なべ、さん…?」 「つまりは我々がどう制裁を下そうと、文句を言う者はいない」 ふわりと笑う真鍋の顔だけど、目は怖いほどに冷たく、纏う空気は絶対零度を凌いでいた。 「たまたま居合わせた会長に弾を当ててお喜びでしょうが。そのお礼はたっぷりして差し上げましょう」 ゾクッ…。 背筋を這い上がった悪寒は、決して気のせいではなかった。 「翼さん、あと少しの辛抱です。黒幕が判明したからには、あとは捕らえて、会長の血を流して下さったその代償を、たっぷりと支払っていただくのみです」 激昂…するほうがどれだけマシか。 火宮を傷付けられて、内心は怒り狂っているはずなのに。 この人は…。 冷たく静かに炎を燃やす。 この世の何より冷たい、青い炎が見える気がした。 「っ…」 それは、下手に声を荒げられるよりも、怒りの感情を爆発的に向けられるよりもずっと恐ろしく、底知れない恐怖があって。 「すぐに手配と、指揮を執ってきます。七重組長にも連絡を入れなければ…」 サッと立ち上がってしまった真鍋が、慌ただしくリビングを横切っていく。 「翼さん、片がつき次第、会長の病院へ行っていただけますよ」 リビングのドアの前で1度だけ振り返った真鍋は、それはそれは綺麗に笑っていて。 「っ…」 真鍋を怒らせると、一部では火宮よりも怖いと言われている。 その意味が、今、分かった。 この人は、冷たい笑顔のまま、人を潰せる…。 「っ、殺し、ません、よね…?」 パタン、と閉じたドアの向こうに消えた真鍋の、体温を感じない微笑が、強烈に目に焼き付いていた。

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