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第239話

「火宮さん…」 ピッ、ピッ、と規則正しい機械の音がリズムを刻んでいる。 「火宮さん、俺ね…」 ベッド脇の椅子に腰掛けて、相変わらずピクリとも動かない火宮の手を握る。 「俺…」 コテンとベッドに頭を預けて、そっと呟いたとき、ふと部屋のガラスがコンコンと叩かれた。 「ん?真鍋さん…?」 部屋の外からコイコイと手招きしている姿が見える。 「なんだろう。火宮さん、ごめんなさい。ちょっと行って来ますね」 そっと軽く火宮の手を撫でてから、俺は真鍋のいる部屋の外に出て行った。 「お呼び立てして申し訳ありません」 「いえ。どうしたんですか?」 マスクと帽子を外しながら首を傾げた俺に、真鍋の苦笑が向いた。 「翼さん…。少しお休みになられたらいかがですか。昨日からずっと会長のお側につきっきりで」 そう。俺は昨日の昼過ぎ、火宮が急変して、なんとか持ち堪えてからずっと、火宮の眠る集中治療室にいた。 夜、一旦帰って雑務をこなしてくるという真鍋を見送り、意地でも1人残ると言い張って、今朝までずっと、そして今も、ずっと火宮の側にいた。 「ん…。分かってるんですけどね…」 俺が密着していたところで、何が変わるわけでもないことくらい。 だけどただ、ただ火宮の側にいたい。 目覚めの瞬間を、ただ1番近くで待ちたい。 「お気持ちはわかりますが…。でしたらせめて、お食事と水分摂取だけはお願いします」 スッと差し出されたのは、こんなときでもブレない高級嗜好か。 どこぞの有名店のロゴが入った紙袋で、中身は多分その店のお弁当。 「そ、ですね…」 食欲なんかないけど。 「翼さん、このままでは、あなたの方が先に参ってしまいますよ。またお倒れになりなくなかったら、食事くらいはとりなさい」 冷たく鋭い命令口調も、真鍋の厳しい優しさだと俺はもう知っている。 「すみません…。ありがとうございます」 大人しくお弁当を受け取った俺に、真鍋がふわりと優しく微笑んだ。 「少しの間、私が見ておりますので。そちらの休憩所でお食べになっていらっしゃい」 「はい…。あのっ」 「目覚めの兆候がありましたら、すぐにお呼びいたします」 本当、分かっていらっしゃる。 何事も完璧な真鍋にホッとして、俺は廊下の先の休憩所に向かうことにした。 「あぁそれと翼さん」 「はい?」 「頼まれていたものですが」 そうだ。 昨日真鍋が1度帰るというから、家に置いてあるあるものを持ってきてもらうように頼んでおいたのだ。 「もう取りに行ってくれたんですね。分かりましたか?」 「ええ。こちらです」 スッと胸ポケットから出された四つ折りの紙を受け取って、俺はペコリと頭を下げた。 「ありがとうございます」 「いえ…」 それをそっと胸の前に抱き、目を閉じる。 火宮さん…。 小さく心の中で呼びかけ、ゆっくりと目を開いていったら、真鍋が優しく微笑んで、静かに深く頷いた顔が見えた。 「っ…じゃぁ、あのっ、ご飯、食べてきます」 「はい。ごゆっくり」 「いえっ、すぐに食べてきますからっ」 パッと踵を返して、休憩所へパタパタと向かう。 1度だけ振り返った後ろで、真鍋が火宮の病室のガラスの前に、ゆっくりと移動したのが見えた。 ✳︎ 「ごちそう様でしたっ。火宮さんは?」 せっかくの高級弁当も、味わうことなくパクパクとかき込み、早々に戻ってきた集中治療室前。 真鍋が先ほどと変わらぬ姿勢で、静かに佇んでいた。 「お変わりありません」 「そうですか…」 真鍋と並んで眺めたガラスの向こうでは、火宮が静かに眠っている。 「俺、また中に…」 「そうですね。私はもう少しこちらで様子を見せていただき、時間が来ましたらまた仕事に戻ります」 「分かりました」 スッと一礼する真鍋に頷き、俺はまた消毒液と面会セットを身に付ける。 「翼さん」 「はい?」 「そちら…。もし手配が必要なことがありましたら、いつでも遠慮なくお申し付け下さい」 「っ!」 この人は、本当にもう…。 俺が大事に持っている、先ほど受け取った四つ折りの紙に視線が向いている。 「ありがとうございます」 本当に冷たいんだか優しいんだか。 でもとりあえず、そのブレない姿勢が心強い。 「真鍋さんは、ちゃんと信じているんですね」 火宮が絶対に目覚めるって。 「翼さんこそ」 うん。この紙を取ってきてもらったのがその証拠。 にこりと笑って俺は、真鍋にペコンと頭を下げてから、火宮の眠る病室内に入っていった。

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