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第240話

「火宮さん、ただいまです」 そっと定位置の椅子に座り、温もりを確かめるように火宮の手を握る。 「ねぇ火宮さん。目を覚ましたらね、お話ししたいことがあるんですよ」 ポケットに入れた紙に手を触れて、そっと囁いた。 「聞こえてますか?火宮さん。俺はここです。ここで、ずっと火宮さんを待ってます」 聴覚は舐めたものじゃない。 医者のその言葉を信じて、ひたすら話しかける。 「待ってますよ、火宮さん。あなたの居場所はこっちです。あなたが帰るところは、俺のもと…ですよね?」 きゅっと力を込めた手が、ピクンと震えた。 「え…?」 いや、今震えたのって、俺の手…だよね…? 「ひ、みや、さん…?」 震える手で、もう1度、火宮の手をきゅっと握る。 「っ…」 その手が、確かに、ピクピクッと震えた。 「っ!火宮さんっ!」 今のは違う。 絶対に俺じゃない。 「火宮さん!刃っ!」 ガタンと椅子を蹴倒して、慌てて火宮の顔を覗き込む。 「刃っ…」 スゥッ、と大きく胸が上下して、ピクピクッと瞼が痙攣した。 「刃っ!先生っ、真鍋さんっ…」 ガラスの向こうには、幸いまだ真鍋の姿がある。 こちらを監視できるスタッフステーションにも、医者の姿が見えている。 「っ…火宮さんっ…」 震えた火宮の瞼が、ゆっくりと持ち上がる。 「火宮さん…」 漆黒の、俺の大好きな瞳が見えて、ぶわっと目に涙が溢れた。 「先生っ…」 「うん、意識が戻ったかなー。ごめんね、ちょっとだけよけていて」 「はい…」 バタバタと駆け込んできた医者が、あれやこれやと火宮を診て、機械をいじって処置をしていく。 脇によけてじっとそれを見つめる俺の目の先で、呼吸器の管が抜けた火宮の口が、ゆっくり、ゆっくりと動いて言葉を形作った。 「つばさ」 っーー! 叫び声も喜びも、返事も何も声にならなかった。 ただただ涙が溢れる。 ただただ嗚咽が漏れる。 歓喜で胸が震え、パクパクと喘ぐだけの口を両手で覆い、震える足を一歩踏み出す。 「翼…」 2度目の、さっきよりもはっきりとした呼び声が聞こえた瞬間、ガクンと全身から力が抜け、ヘナヘナと床にへたり込んでいた。

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