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第249話
「はぁー、怖かった…」
夏原を出迎えに行くと言って、鬼の真鍋がようやく病室から出て行った。
「あぁ、足痛ったい」
「ククッ、崩すとまた怒られるぞ」
確かに真鍋は「私が戻るまでそのままでいなさい」と言い残して行ったけどさ。
「だってもう痺れて辛いです。なんで俺だけ正座なんですか」
ベッドの上から楽しげに笑っている火宮はずるい。
「クッ、俺は仕事を全部取り上げられたぞ?」
「えー、そんなのむしろラッキーじゃないですか…」
仕事しなくていいんだから。
「ククッ、あの真鍋がそんな甘いタマか。今やらせてもらえない分、退院後に溜まった分の仕事を鬼のようにやらされることになるんだぞ」
「う…。そうなんですね…」
時間差攻撃か…。
それはそれで嫌かもしれない。
だけどさすが、今とにかく安静にさせたい真鍋らしい嫌がらせだ。
一石二鳥。
「まったく心配性なんだからな」
「でも俺も、さすがに反省してます」
火宮に無理をさせてしまったこと。
「ククッ、後ろ」
「えっ?」
何そのニヤニヤとした悪い笑み…。
火宮の視線を追って、そうっと後ろを振り向いたら…。
「ひっ…」
「反省したと言う割に、どうして言いつけを破って足を伸ばされているのでしょうね」
ニッコリと、目だけがまったく笑っていない笑顔の真鍋がいた。
「あっ、その、うぁぁ、火宮さぁん」
助けてー。
半泣きになった目を火宮に向けたところで、ひょっこりと新たな人物が真鍋の後ろから顔を見せた。
「こんにちは、会長、伏野翼くん」
「夏原さん…」
「あれ?どうしたの、今にも泣き出しそうな顔をして」
にこりと優しく微笑む夏原の声は、本当に耳に心地いい。
「そこの鬼にお説教され中です」
心にスルッと入り込んでくる夏原の声に思わず口が滑った瞬間。
「鬼ですか」
「ククッ、本当におまえはな」
「俺の能貴をつかまえて鬼なんて酷くない?」
っ!
3方向から、それぞれ非難の目と声が向いて、俺はギクリと身体を強張らせた。
「うぁ…」
味方がいない…。
まるで肉食獣に囲まれた兎の気分。
まずい、と思いつつも打開策が見つからずに、とりあえず1番味方に転じてくれそうな火宮に縋ろうとしたとき…。
「誰が誰のですって?」
ピシッと空気が凍るような、それはもう冷ややかな真鍋の声が、夏原に向いた。
「だから俺の能貴」
「………ここが病院で幸いでしたね。精神科はどちらでしたっけ」
院内図、と奥の机に向かおうとする真鍋を、夏原が止める。
「えー、どこも悪くないよ」
「あなたが悪いのは頭です。妄想もそこまでいくと病気ですよ」
うわぁ、いつにも増して辛辣…。
なのにケロッと笑っている夏原はすごい。
「そう?これでもかつては最高学府に主席入学、主席卒業、今現在も依頼数、弁護料、トップクラスの天才だけどー」
「天才?変態の間違いでしょう」
「2文字も勝手に変えないでくれない?本当、つれないそこがゾクゾクする」
うん、間違いなく変態だね。
真鍋の絶対零度を下回る視線の意味が、よく理解できる。
「はぁっ。もう相手にするだけ時間の無駄です。会長、ご依頼のお話を…会長?」
まぁ、そうなるよね…。
クックッと喉を鳴らし、身体を折りたたんでいる火宮は、2人のやり取りが可笑しくて仕方ないようで。
「真鍋が言い負けたか」
「ですから、会話を続けるのが馬鹿馬鹿しいだけです」
「ふっ、そうだな。夏原、そこのデスクの引き出しだ」
笑いをどうにか収めて顎をしゃくった火宮に、夏原が「はーい」と呑気に奥の机に向かう。
そのときついでのように俺にウィンクしていく。
「え…?」
あ!
そうだったんだ…。
誰も味方がいないと思っていたけど。
いつの間にか真鍋の矛先は夏原に向いていて、俺へのお説教がうやむやになっていたことに気がついた。
「変態じゃなかったら、本当、スマートで格好いい。いい男ですよねー」
イケメンだし、インテリだし、優しいし、話術は巧みで楽しいし。
「翼」
「え?」
「俺の前で他の男を褒めて、堂々と浮気宣言のつもりか?」
「へっ?」
あ…。俺、また口に…?
ギロッと火宮の鋭い視線が向いて、またもうっかりやらかしたことに気がついた。
「あちゃー」
机から紙を取り出しながら、額を押さえて笑っている夏原が見える。
さすがに会長からは庇えない、と伝えてくる目が分かって、タラリと背中に冷や汗が流れた。
「真鍋」
「残念ですが、駄目ですよ」
「チッ」
「会長…。昨夜お熱を出されたことを、もうお忘れで?」
俺にお仕置き、最終的になだれ込む、また体調を崩す、という流れが、真鍋には目に見えているようで。
多分、道具類を要求したと思われる火宮の呼び声に、真鍋が応えなくてホッとした。
「俺も分かってきたなー」
火宮は真鍋に対して、かなり言動が不親切だ。
それでも真鍋がいつも火宮の意図するところを汲み取るのが、不思議でならなかったけど。
「ふっ、退院したら覚えておけ」
「っ!」
やばい。
和んでいる場合じゃなかった。
「わ、忘れますっ。忘れましょう!」
ねっ?と必死で潤んだ目を向けたら。
「記憶力の悪いおまえと一緒にするな」
「う…」
「それとも懲りない性格なだけだったか」
何度も同じことでお仕置きされて、そのときは反省するのにまたやるからね…。
「って、それ、俺、馬鹿ってことですかっ?!」
「馬鹿?いや、可愛いということだろう?」
「なっ…」
サラッと何言ってるの、この人…。
思わず照れてしまったら、「ごちそう様です」と、「能貴、俺も」という、真鍋と夏原の声が聞こえた。
「あなたのどこに可愛い要素が」
「えー、だって懲りないところが可愛いって」
「それは会長で、相手が翼さん限定の話です」
うわ。なんか真鍋までサラッと照れくさいことを言ってない?
「あー、もう早くっ、書類やりましょう!」
駄目だこのどSトリオ。
放っておくと脱線しかしない…。
「クックッ、そうだな。夏原」
「クスクス、はい。えーと、このテーブル、借りますね」
「あぁ」
ようやく本題に入れた…と思ったときにはすでに、何だかすっかり疲れ果てていた。
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