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第250話

「…はい、それでこちらに会長の印鑑を…」 ようやく真面目な顔をした夏原が、火宮に指示を出しながら書類作成に励んでいる。 俺は名前をもう書いてあるから、後は火宮たちが色々と書くだけでいいらしくて、のんびりとそれを眺める。 「成人の証人を2人…」 「真鍋、書け」 不意に、火宮がペンを差し出して真鍋を呼んだ。 「ありがとうございます。慎んで」 何だか嬉しそうだな…。 まったく動かない無表情だけど、纏う空気が明るくなったのは感じた。 「じゃぁ能貴の隣のもう1つの欄は」 俺かな、とニコニコしている夏原が見えて。 「あっ、あのっ…」 俺は思わず声を割り込ませていた。 「翼?」 怪訝な3人の視線が向く。 「あ、あの…その証人っていうの、大人なら誰でもいいんですよね?」 「え?うん。20歳以上なら誰でも」 ストップをかけられた夏原が、それでも嫌な顔1つせずに、ニコリと笑って教えてくれた。 「どうしたの。誰かお願いしたい人がいる?」 ふわりと優しく入り込んでくる声や雰囲気を持つこの人は、やはり優秀な弁護士なんだろう。 遠慮なく何でも話せる気がするから不思議だ。 「あの、はい、その…」 チラリと火宮を窺ったら、ますます怪訝な表情が返ってきた。 「翼?」 「っ…あの…」 おまえに親類縁者、友人はもう1人もいないはずだが、って? そうなんだけど、友人とはちょっと違うけど…。 「無理かもしれないんですけど、その、俺は、七重さんに証人になって欲しいかなって」 上の組の親分さんにこんなこと、やっぱり駄目かな…。 「オヤジか…」 「あっ、駄目ならいいんです」 「いや、喜ぶだろう」 そうなんだ…。 「じゃぁ…」 「わかった。真鍋」 「はい、アポを取っておきます。退院後でよろしいですね?」 「そうだな。ここに来てもらうわけにもいかないだろう」 そっか。本家にサイン、もらいに行くのか…。 「あの俺っ…」 「もちろん連れて行く。報告も兼ねてな」 ニヤリと笑った火宮の内心は、言われなくても分かった。 自慢する気だ…。 また何か弊害が来ませんようにと思わず祈る。 「ふっ、これで入籍か」 「入籍って…」 まぁ養子縁組だから間違ってはいないけど…。 「披露目式の準備をなさいませんとね」 「披露目式?!」 また何か大袈裟な…。 「指輪が出来てからがいい」 「かしこまりました。またスケジュールを確認しておきます」 「頼んだ」 俺的には、特に目に見える何が変わったわけでもなく、これと言って実感はないんだけれど。 「何だか大事みたいで…ちょっと」 「安心しろ。身内だけだ」 「え?」 「うちの…蒼羽会のやつらに、これが俺の本命だ、舐めるな、と顔見せするだけだ」 「そ、うですか…」 まぁそれくらいなら仕方がないか。 火宮の隣に立ち並ぶと決めたからには、これくらいのことはこなしていかないとならないのだろうし。 「「火宮翼か…」」 「えっ?」 「クッ、被ったな」 「っ、もう…」 なに同時に呟いちゃったんだろう。 シミジミと噛み締めた声まで揃って、なんだか照れくさい。 「オヤジにサインをもらって、役所に行くのが楽しみだ」 「あはは」 「これで俺は、法的にもおまえと…」 繋がる。 紙切れ1枚の話でも。 俺と火宮の歩く道が。 「おめでとうございます」 「まだ気が早い」 真鍋の言葉に火宮が苦笑する。 「でもあと証人欄だけですからねー。おめでとうございます。おめでとう」 俺に向かっても微笑みかけてくれた夏原に、なんだかジワリと嬉しさが込み上げた。 「さてと。じゃぁ能貴、俺たちの入籍はいつにする?」 ぶっ…。 この空気で、そう来るの?この人。 思わず吹いた俺は、もう本当、どこまでも夏原すぎる夏原に、敬意すら感じ始めた。 「…精神科の先生をお呼びいたしましょう。失礼します、会長」 冷ややかに言って、火宮のベッドに近づいた真鍋が、ナースコールを手に取ろうとしている。 これまた安定の真鍋だなー、なんてそれを眺めてしまう。 「待ってよ。だから俺は病気じゃないって」 「ご自覚なされていないところがすでにご病気です」 「わー、酷い。だからたまらない。ねぇ能貴、今日こそ俺と付き合おうよ」 「お断りします」 うん。鮮やかな笑顔と、相変わらずの即答ね。 「通算216回目」 本当、懲りないなぁ、この人も。 「はぁっ。用事がお済みでしたら、そろそろご退室願います」 「そうだね。会長のお身体に障ると悪いからね」 「翼さんも、本日は1度お帰りになられて下さい」 え。俺も? 「あの…」 「今日は駄目ですよ。あなたがいると会長が休みませんので」 「でも…」 いくら何でもそんな連日することはないと思うんだけど…。 散々説教されたばかりだし。 「ククッ、翼。俺はもう大丈夫だ。今日はゆっくり風呂に入って、しっかり休んでまた明日来い」 「火宮さん…」 でも離れ難い…。 「ふっ、仕方ないな。真鍋、夏原、後ろを向いていろ」 「はい」 「かしこまりました」 え? 「ほら翼」 その広げた両腕は「来い」ってこと? そっと火宮の側に近づいたら、グイッと腕が引かれて…。 「んっ…ぁ…」 甘い甘い口づけが、蕩けるような優しさで、唇に落とされた。 「いいなー」 ポソッと呟やかれたのは、夏原の声で。 ちゃっかり覗き見とか、本当、この人は。 「………」 しかもまるで要求するように、真鍋にチラッと視線を流しているし。 その真鍋は俺からは見えないけれど、背中に感じた冷気が、真鍋の様子を見る以上に語っていた。 「ククッ、いい子でな」 「はい」 温もりの残る唇にそっと指で触れる。 「明日また、朝一番に来ます」 「あぁ、待っている。じゃぁな、気をつけて帰れ」 「はい、火宮さんもお大事に」 ふわりと笑みを向けたら、火宮もにこりと笑ってくれて、あぁ、これが幸せだぁ、と胸が温かくなった。

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