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第258話
やけに呑気な声と、やけに朗らかな笑み。
この緊迫した状況にまったくそぐわない態度で登場したのは、黒髪ショートの男子生徒だった。
制服をピシッと着こなし、いかにも優等生です、と言わんばかりの佇まい。
やけに落ち着いて見えるから、もしかして上級生だろうか。
「まったく、ちょっと目を離すと、すぐこれ?ほら藍、とりあえずその子の上から降りて」
シッシッと動物の子を追い払うように手を振るその人は、これがどんな状況か分かっているのだろうか。
「あの…」
さすがにその扱いはまずいんじゃ…と思った俺が、その生徒をそっと窺った瞬間。
「チッ。クソが」
「え?え?」
スッと拳を収め、俺の上からスルリと降りた豊峰が、ケッ、と男子生徒を一瞥し、つまらなそうに去って行ってしまった。
「は?え?えっ?」
状況について行けずに、豊峰の背中と新たに現れた男子生徒をキョロキョロと見比べてしまう。
この人のあんなひと言で、豊峰がアッサリ引いたことが驚きだ。
半ばパニックになりながら、とりあえず寝転んでいた身体を起こしたところで、にっこりと男子生徒の笑顔が向いた。
「大丈夫?」
「え?あ、はい」
「本当、やんちゃだよねー。怪我しなかった?」
「はい、してないです」
やんちゃって…。
にこにこと話しかけてくるこの男子生徒は、天然というやつなのだろうか。
やけに呑気すぎるその言動に、気力のすべてを持っていかれそうになりながら、俺はじっとその人を見つめた。
「ん?なに?」
「いえ、その…先輩ですか?」
とりあえず何者だろうか、と尋ねた俺に返ったのは、その人のキョトンとした顔だった。
「あれ?分からない?」
「え?」
知り合い、なわけがないし。
「そっか。まぁ無理もないか。僕らは火宮くん1人を覚えればいいけど、火宮くんはみんなを覚えなきゃならないもんね」
「えーと…」
その言葉はつまりこの人はクラスメイトということか。
「ごめん。まだ顔とか名前、全然覚えていなくて」
「うん、大丈夫。僕はね、同じクラスの紫藤和泉(しどう いずみ)。えーっと、とりあえずクラス委員をしてるよ。ついでに学年総代で、生徒会役員なんかもしてマス」
よろしくね、と笑う紫藤に差し出された手を、俺は反射的に取っていた。
「やっぱり優等生なんだー」
「ははっ。まぁよくそう言われるかな」
物腰柔らかく微笑んだ紫藤が、スルリと隣に座ってきた。
「ところで火宮くんは、何であんなことになっていたわけ?」
「えっと…」
豊峰に乗り上げられ、殴りかかられそうになっていた理由?
何て言ったらいいか戸惑った俺に、紫藤の声が続いた。
「藍がヤクザの息子だって知ってるよね?」
「うん、まぁ」
「それで何でちょっかいかけに行こうと思うわけ?」
馬鹿なのかチャレンジャーなのか、と呟く紫藤に、俺は何だかムッとした。
「じゃぁ聞くけど、どうして豊峰くんと話したがりに行くことが馬鹿なことや無謀なことなわけ?」
逆に聞きたいよ。
「だってヤクザだよ?」
「家業がでしょ」
「怖くないの?」
「紫藤くんは怖い?」
質問に質問が返ってくることにうんざりしながら、俺も同じことをやり返す。
とうとうお手上げなのか、曖昧に苦笑した紫藤が、フゥッと長い息を吐いた。
「敵わないね。賢いなぁ。しかも、見かけによらず、きみってタフなんだね」
ふふ、と笑う紫藤の目が、可笑しそうに和んだ。
「見かけ?」
「気を悪くしないで欲しいんだけど、どっちかっていうと、一瞬女の子かな?って思うくらい可愛い顔しているよね。でも、芯がしっかりしていて男らしい」
褒められてるんだか貶されているんだか。
まぁでも『翼ちゃん』扱いには、前の学校でも慣れている。
「別にいいけど…」
「あーぁ、きみがもしも半端な気持ちで藍に近づいたんだったら、全力で排除するつもりだったけど」
「え?」
「どうやら火宮くんは、藍に変な先入観も恐れも持たない、とても強くて公平な人だと分かっちゃった」
「はぁ…」
なんなんだ、急に…。
「藍と関わりたいんでしょ?」
「まぁ、豊峰くんって人を知ってみたいとは思ってる」
「きみならありかな、とは思うけど。でももし、きみが原因で、藍を傷つけるようなことがあったら、僕が許さないよ」
「え…?っ、紫藤くんは…」
豊峰のなに?
どうしてそんなにも、豊峰に肩入れするんだろうか。
「藍は僕の幼馴染」
「幼馴染…」
「とてもとても大切な、ね」
深い瞬きをしながら、にこりと微笑んだ紫藤の言葉は、なんだか含みを持っていた。
「まぁとりあえず、殴られなくて良かった」
「あぁ、それは本当によかった!ありがとう」
もしあそこで殴られてしまっていたら、俺が痛いのも嫌なんだけど、それ以上に豊峰がヤバイ。
火宮がどう出るかなんて考えなくても分かる。
しかも豊峰の組は格下の組って言っていたし…。
「いやでもすでに押し倒されて締め上げられた件は…」
あぁこれ絶対にバレちゃいけないやつだ。
もし火宮に知れたら豊峰が危険だ。
そしてついでに俺の身も危なすぎる。
「火宮くん?」
「いやこっちの話」
「そう」
「うん」
まさか豊峰よりさらに上のヤクザさんの恋人してます、だなんて。
嫉妬深くて俺を溺愛してくれていて、こんなのバレたらお仕置きなんです、とも言えず。
俺は作り笑いで誤魔化すしかなかった。
「まぁいいや。で、藍もいいけど、僕は?」
「え?」
「僕は、僕たちも友達になれそうな気がするんだけど」
仲良くしようよ、と微笑む紫藤に、俺は自然と首を上下させていた。
「ふふ、じゃぁ改めてよろしく」
「うん、こちらこそ」
「もしかして僕が友達1号?」
「そうなるかな」
なんだか紫藤になら、いつか俺の本当の素性も話せるようになるかもしれない、という気がしていた。
編入2日目。まだ始まったばかりの高校生活は、初っ端からやけに濃く、幕を上げた。
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