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第267話
屋上のドアを開けてすぐ、ドアの左横の壁に寄りかかり、足を投げ出して座っている豊峰を見つけた。
「いた」
ひょこっと顔を出した俺に、豊峰の冷め切った視線が向く。
「はっ、またあんたか」
ストーカーかよ、と呆れた溜息を漏らす豊峰にニッと笑い、屋上に出た俺はその前に立った。
「お昼、一緒にしていい?」
今日は火宮が真鍋に頼んで手配してくれてあったベーカリーの昼ご飯持参だ。
数種類のおかずパンが入った袋を掲げて笑えば、豊峰のものすごく嫌そうな顔が向いた。
「あんた、さ。昨日、俺に何されたか、分かってないわけねぇよな?」
「あー、うん、あれ?まぁ…」
お陰で昨夜はそれこそ大変な目に遭った。
忘れるはずもない。
「それで今日もまた声をかけて来たってことは、どうやら本気で殴られなきゃわからねぇってことみたいだな」
「っ、そ、じゃ、なくて…」
不意に豊峰が壁から背中を離し、身体を起こして胸倉を掴もうと手を伸ばしてきた。
その手を俺は咄嗟に避けてしまう。
「はっ、怖いか?」
ギロッと下から睨み上げられ、その眼光の鋭さにチリッと肌が粟立つ。
けれど、かつての借金取り立ての本職様や、真鍋や池田、キレたときの火宮を見て免疫のある俺には、それは恐怖の対象ではなかった。
「怖くはない」
「ふんっ。だろーな」
ジッと豊峰を見つめてハッキリと言った俺に、豊峰は面白くなさそうに舌打ちをして、ストンとまた屋上の地べたに座り直した。
クタリと力の抜かれた手が、地べたにパタンと落ちる。
「豊峰くん…?」
数秒間、じっと何かを考えるように俯いていた豊峰の顔が、皮肉げな微笑を浮かべて、ゆっくりと持ち上がる。
真っ直ぐに俺を見上げた豊峰の口が、スローモーションのようにゆっくりと動いた。
「蒼羽会」
っ…。
ドキリ、と心臓が鼓動を早めたのを感じた。
「頼んでもいねぇ、親父が俺に勝手につけたガードが、昨日の登校時、蒼羽会の幹部だという男を見たそうだ」
「っ…」
真鍋のことだ、というのは瞬時に分かった。
昨日俺を送ってきたのは確かに蒼羽会幹部様。
「まさか親父の組の上位組織である蒼羽会関係者が、俺の通う高校に?と慌てて調べたらしい」
「っ、ぁ…」
対外的には、俺は社長としての表の顔の火宮の縁者としてこの学校に編入している。
理事長他一部の人間しか、俺の本当の素性を知る者はいない、と火宮は言っていた。
「俺のクラス名簿を見た瞬間、親父の顔が凍ったよ」
「そ、れっ、て…」
「火宮翼。はっ、蒼羽会の会長は、火宮っていうらしいな」
ニタッと笑う豊峰の顔は、皮肉げに歪んでいた。
「あんたは俺のことが…俺の素性を知っても、何も怖いことはないわけだ」
「っ…」
「まさかあんた自身が、ヤクザ関係者で、しかも、俺の親父の組よりずっと上にいる暴力団組織の、頭の身内だったとはな」
「それは…」
「そりゃ、怖くねぇよな。あんたのバックは、俺よりすげぇ」
「っ、俺は…」
キュッと力の入った拳が震えた。
「ははっ、とんだ偽善者だ。本当に偽善者だった」
「っ…」
「なんでこいつは、俺の素性を知ってもグイグイ近づいて来るんだろうって不思議だった。クラスで孤立している俺なんかとつるんだら、自分だって孤立する目にあうかもしれねぇのに」
はっ、と吐き捨てるように言う豊峰の目は、俺を鋭く睨み上げていた。
「編入早々、何を考えているんだ、と思ったけど…」
「っ…それは」
「平気で声をかけてくるわけだ。あんたもその素性が知られれば、そもそもみんなと仲良く、普通に接してもらえねぇ立場にいる」
「っ!」
「だから俺を選んだのか?」
ポツリ、と呟かれた豊峰の言葉は、何故かとても切なく、辛そうに俺の耳には響いた。
咄嗟に俺は豊峰の前に膝をつく。
「違う!」
「はっ、何が違う?あんたは俺がヤクザの息子だから近づいた。俺があんたにとって、この上なく都合のいい人間だったからだ」
「違うっ…」
そんなつもりは、俺にはわずかもない。
はっ、と吐き捨てる豊峰の目は、ギラギラと俺を睨みつけていた。
「ち、がう、俺はただ…」
「違わねぇだろうが。分かんねぇか?あんたは、俺をいくらだって利用できるんだ。そうだよな、あんたんとこより下の組の組長の息子じゃぁ、上のとこの会長サンの身内になんか、とても逆らえねぇ」
「っ、そんなことっ…」
俺は思っていないのに。
「それが分かっててあんたは俺に近づいた。あんたの意向1つで、あんたの発言1つで、俺の身などどうとでもできる」
「っ…」
「あんたが俺と友達ごっこがしたいと言うなら、俺はそれに従うしかない。親父にも、火宮翼には無礼をはたらくな、と釘を刺されている」
「な、に、それ…」
「あんたは体のいい下僕を手に入れた。よかったなぁ、自分の好きにできる立場の、ヤクザの息子が同じクラスにいて」
「っ…」
「よかったなぁ。最初はなんでわざわざヤクザの息子なんかを構ってくるのかと思ったが、なるほどそれは、こういう理由があったわけだ。俺に声をかけてきたあんたの行動は大正解」
はっと吐き捨てるように言われた豊峰の言葉が、ジクリと嫌な響きを宿して俺の心に広がった。
「違う…。違う。俺は豊峰くんを下僕になんかしたいわけじゃ…」
「じゃぁなんだよっ?まさか本気で俺と友達になりてぇとでも言うつもりかよっ」
「そうだよっ。俺は本当に、豊峰くんとただ色んな話しができたらと…。普通に仲良くなれたら、と…っ」
なのになんで、なんでそんな自分を貶める言葉を次々と吐くんだ。
そんな、濁った目をして何故…。
ぎゅっと握った拳の爪が手のひらに食い込んで、微かな痛みを呼んだ。
「はっ、どんだけ能天気だよ。ウゼェなっ」
ダンッ、と後ろの壁を拳で叩いた豊峰が、ギロッと俺を睨みながら立ち上がった。
見下ろされる顔が、その動きに釣られて上向いていく。
「豊峰くん…」
「ヤクザなんかが、本当の友達だ?そりゃまた最高に面白い冗談デスネ!ふんっ、そんなに言うなら、いいぜ、やってやるよ、あんたと友達ごっこ」
「豊峰くん…」
「まぁそもそも俺に拒否権なんかねぇけどな。あんたに逆らえば、俺の身がどうなるか分かったもんじゃねぇ。ヤクザってのはそういう人種だもんなぁ」
あぁ怖ぇ、とふざけたように笑う豊峰に、俺は必死で首を振った。
「っ、そんなことはないっ…。俺は…」
「はいはい。偽善も綺麗事もどうでもいいデス。とにかく今からあんたと俺はオトモダチ。この先俺はあんたが話しかけてくれば応じるし、あんたが俺に望むことには全部応えてやる。それでいいんだろ?蒼羽会会長の縁者、翼サマ?」
フィッと俺から目を逸らして屋上の出口に足を向けながら、豊峰がプラプラと手を振った。
「っ、違うっ。俺はそんな義務感や形式的な友達になりたいんじゃなくてっ…」
「ふん。だから、俺の方にはあんたと本気で友達になりてぇ理由はねぇんだよ。それで気に入らねぇんだったら、言いつければいいさ、その火宮の会長サンとやらに。俺なんか一瞬で潰してくれんだろ?」
「違う。違うっ…。俺は、俺はただ…」
ぎゅっと握りしめた拳が震えた。
駄目だ。
この頑なな人には、このままじゃ話は通じない。
「っ…分かった。いいよ、今はそれで」
「はっ、今はも何も、あんたが飽きるまでそれ以上にもそれ以下にもなんねぇよ。んじゃぁな、俺は行くわ」
「っ、でも俺は、諦めないからっ!これから絶対に、豊峰くんとは本音で話し合えるような友達関係になってみせるからっ…」
「ご苦労様。好きにしろ」
「絶対、絶対、本当の友達だって言わせてみせるからっ!」
「はいはい」と適当な返事を残して、豊峰は、屋上のドアから校舎内に消えて行ってしまった。
「っ…なんで、なんで自分からあんなに壁を作ってるの。ヤクザの息子と自称しながら、まるでそれを疎んでいるみたいな…誰より豊峰くん自身が偏見の塊みたいな…っ」
暴きたい。
豊峰の本音はどこにあるのか。
豊峰藍という人間は、本当はどんな人なのか。
「火宮さん、ごめんなさい。やっぱり俺、豊峰くんが気になってしょうがないや」
惹かれてる、多分。
もちろん火宮とは全く違う意味でだけれど。
落とす、よ。
ぎゅっと握りしめた拳に気合いを入れながら、俺は誰もいなくなった屋上で、1人強く決意を固めていた。
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