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第271話
「クックックッ、本当、おまえはな」
優雅にフォークとナイフを操りながら、ぱくりとメインの肉料理を口に運んだ火宮が笑っている。
「んもー、笑い事じゃありませんっ」
この意地悪な恋人は、まったく…。
こっちはあれから、鬼真鍋にこってりと絞られたせいで、ヘロヘロになっているというのに。
その後、仕事が終わった火宮に連れられ、夕食を共にと言ってやってきたこの高級レストランで。
心底楽しそうに俺を眺めているその姿が恨めしい。
「そもそも火宮さんのせいなのに」
昨日の夜、あんな、あんな…。
うっかり裸エプロンを思い出し、カァッと顔が熱くなった。
「お言葉だが翼、そのさらに元を辿ればおまえが隠し事をしたのが原因で…」
「う…」
それを言われると弱いけど。
「っ、でもっ、俺もう、先生に注意されるのも、真鍋さんに怒られるのも嫌ですからねっ!」
せっかくお洒落に盛り付けられた肉料理もなんのその。気品の欠片もマナーも何もなく、ザクッ、と大胆にフォークを突き立てた俺は、気合いを込めて火宮を睨んだ。
「ククッ、おまえはもう少し体力をつけた方がいいな」
「火宮さんが平日の夜は遠慮すればいいんです」
「それは週末には好き放題してもいいということか」
「はぁっ?好き放題って…」
あぁ言えばこう言う。
しかも目の前に、フォークに突き刺されてズイッと突き出されてたこの緑色の物体は何だ。
「あの、火宮さん?」
「ほら、ブロッコリーだ」
「いや見れば分かりますけど」
「ククッ、好き嫌いをなくせば体ももっと保つようになるんじゃないかと思ってな」
「っ…」
ほら、と口元に押し付けられても…。
「んぐ、んーっ」
イヤイヤ、と、口をギュッと結んだまま首を振ったら、火宮の目が妖しく光った。
「今日は、護衛に連絡をし忘れた仕置きがあったな」
「え…?」
突然、なに。
「もし今これを一口でも食べれば、それをチャラにしてやると言ったらどうする?」
ニヤリ、と笑っている火宮は何を考えているのか。
「っ…」
ジッと、目の前の緑色の塊と、その向こうに見える火宮の顔を交互に見つめて、その真意を探る。
「ククッ、それともやっぱりおまえは、ベッドで泣かされて、明日もクタクタで学校に行きたいのか」
Mだしな、と笑われるけれど。
「っ、だから俺はMじゃありませんっ!」
一体何度目だ、この会話。
ムッとなった俺は、そのままの勢いであーんと口を開け…。
えいやっ!
パクンと一気にブロッコリーを…とは言わず、ほんのちょびっと。本当に先の方の一欠片だけを唇の先でカプッと噛み、咀嚼することなく飲み込んだ。
「ぷっ、クックックッ、本当おまえは」
飽きさせない、って。
俺だってこんな、楽しませたくてやってるわけじゃないからね。
「こ、これでお仕置きはなしですよね?」
水、水、と、薄っすらとレモンの味がするお洒落な水をガブガブと一気飲みしながら、俺は火宮に目を向けた。
「あぁ。その心底嫌そうな顔。愉しいものが見れたから許してやる」
「愉しいものって…」
本当、どSだ。
「まぁそもそも、護衛は俺の都合で無理につけているものだ」
「火宮さん…?」
「真鍋の手前、ああは言ったが、故意に連絡をしなかったわけではないから、そこまで本気で咎めるつもりは元々ない」
ど、どうしたの、この人…。
いや別に、ガッツリお仕置きして下さい、っていう催促じゃないけど、火宮がこんな俺を苛めるかっこうのネタ、簡単に手放すとは思っていなかったんだけど。
「熱でもあります?」
「おまえはな…」
「だって…」
「ククッ、だが2度目はない」
「っ!」
スゥッと目を細めて妖しく笑うその顔は、壮絶な色気と迫力があって。
「き、気をつけますっ!」
「あぁ、そうしろ」
ニヤリ、と笑った火宮が、俺が齧ったブロッコリーをパクンと丸ごと口に入れた。
「っーー!」
ドキリと身体が揺れる。
「クッ、なんだ」
「っ、なんだって、何がです…」
「その欲情した顔」
「はっ?」
欲情って!してないし!
ワタワタと慌ててしまうのは、実は図星だからだということは、俺が1番よく分かっていた。
間接キスよりやばいー。
ドキドキと胸がうるさい。
「やっぱり今夜も激しく抱いてやろうか?」
「いや、いらない!いりませんっ」
せっかくキツイお仕置きは逃れたのにー。
「ふっ、まぁ学業にあまり差し支えが出るのもな…」
「そうですよっ」
「で、午前中の上の空は俺のせいだとして、午後はどうした。午後イチの遅刻未遂も…昼休みに何があった?」
っ…。
鋭いよなー。
「翼?」
「えっと、その…」
また豊峰と、なんて言ったら怒るかな…。
でも隠したり誤魔化したりしたらお仕置きだし…。
チラリと上げた目は、ジッと俺を見つめる火宮の目とバチリと合った。
「っ…」
やばい。
咄嗟にパッと目を逸らしてしまってからハッとした。
「翼?」
「あのっ…」
「翼」
あぁズルい。
いつもは強引で俺様で意地悪なのに。
こんなときばかりなんでそんなに優しい声を出してみせる。
まるで何もかもを見透かしたような。
理解を滲ませた目をして笑う。
「ククッ、翼。俺に後ろめたかったり、何かを企んでの隠し事ならば俺は無理にでも暴きにかかるが、そうではなく翼が本当に言いたくないことは無理には聞かない」
「っ…」
「おまえにはおまえの世界があって、おまえにはおまえの考え方がある。俺はそれにむやみに介入しようとは思わないし、萎縮させたいとも思わない」
穏やかに微笑む火宮は、こんなときはたまらなく頼りになる大人で。
「ただ翼、俺が1番大切なものは翼だ」
「っ…」
「俺が大事なのは、おまえの心と身体とその全てだ」
っ…。
それは、その言葉の意味は。
「それだけは忘れるなよ」
俺が傷つくことになるのは許さない。
傷つけられるのは許さない。
たとえそれが、俺自身がつけた傷だとしても。
「っ、はい。分かってます…」
この人の1番大切なものは俺。
こんなにこんなに甘い束縛。
「ククッ、ほら、デザートだ。俺の分もやる」
「っ、ありがとうございます」
嬉しくないわけがない。
「甘いもの、好きだろう?」
「はい」
よく食える、と嫌そうな顔をしている火宮は甘党とは程遠い。
けれど俺を見つめる瞳はどんな砂糖菓子よりも甘くて。
「やばいな…」
今夜はシないで眠るってことになったけど、触れ合いたくなってしまったこの熱情をどうしよう。
「ククッ、たまにはただ寄り添って眠るだけなのもいい」
ふわりと笑った火宮には何で分かるのか。
「目がな」と笑う火宮の顔が優しくて、口の中に甘い甘いケーキの味が広がった。
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