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第278話
ドクン、ドクン、と、全身が心臓になってしまったみたいに鼓動がうるさい。
目の前の執務机の向こう、社長椅子に座った火宮が、腕組みをしてこちらを睨んでいる。
俺は、「そのまま会長の前に出ないでください」と言ってきた真鍋に、浜崎のジャンパーを取り上げられてしまい、代わりに応急処置的に、ボタンの飛んだシャツを安全ピンで止めただけの姿で、会長室の真ん中辺りに立たされていた。
隣には豊峰の姿もある。
さすがに蒼羽会会長を目の前に緊張しているのか、ピリピリとした空気を隣からも感じる。
「っ、ひみやさ…」
「翼」
「うわっぁっ、はいっ」
緊張に耐えかねて口を開いた言葉が、火宮の声とまったく同時に重なってしまった。
「クッ、その気まずそうな態度は、自分が何をしでかしたか自覚があるということだな」
スゥッと眇められる火宮の目を見れなくて、俺の顔は自然と俯いてしまった。
「ふん。まぁいい。話はゆっくり聞いてやる。まずは、そっちだ。おまえは豊峰組、組長の一人息子、豊峰藍だな」
「は、い…」
「翼の学友と聞いているが、どうしてこうなった」
スゥッと細められた火宮の目が、鋭い光を宿して豊峰に向いていた。
「っ、それは、俺が、街で絡まれて…」
「絡まれて、ね。相手は」
「それは…やつらは、どこかのチンピラで、多分、豊峰の組員にちょっかいかけて、前にやられたやつらで…。組のやつらには中々復讐ができないから…1人で街をブラブラしていた俺に目をつけたみたいで」
そうだったんだ…。
ポツポツと話される豊峰の話を、俺も火宮と一緒になって聞いてしまった。
「俺に絡んで…2、3発殴って気が済むなら好きにすればいいと思って、どこかに連れていかれるのに、大人しくついて行ってて…。そしたらこいつが」
「こいつ?」
ズシッと一段低くなった火宮の声に、隣の豊峰の身体がビクッと飛び上がった。
「あ。や、いや、ひ、火宮、くん…が」
「その場面に出食わすか見かけるかして、追ったか」
翼のしそうなことだ、と目を眇める火宮に、俺はうっと反応に困り、豊峰はあっさりコクンと頷いた。
「で?」
「その、俺が連れて行かれた路地に飛び込んできて…俺、の、こと…と、もだ、ち、だとかほざくからっ、仲間だと勘違いされて…」
襲われた、とまでは言わなかったけれど、火宮にはそれで十分伝わったらしかった。
「なるほどな。おまえが翼を巻き込んだのではなく、翼が自ら巻き込まれに行ったわけだ」
チラッと向けられる火宮の目に、俺はギクリと身を固まらせた。
「経緯は分かった。浜崎と及川の連絡からも、矛盾はないようだな。だが、豊峰の小僧」
「っ、なん、ですか?」
小僧呼ばわりにムッとなった隣の空気を感じたけれど、豊峰はさすがにぐっと堪えたようだ。
「おまえ、護衛は」
いくらなんでも、組長の一人息子には付いているだろう、と疑問を浮かべる火宮に、豊峰は気まずそうな顔をしながらも、ボソッと口を開いた。
「撒いた」
「…なるほどな」
どうりで、と呟いている火宮が呆れた目をしている。
「まったく、おまえもおまえなら、翼も翼だ」
「っ…」
「う…」
「そもそもは豊峰の息子を狙ったやつらが1番悪いが、おまえたちの行動にも問題がなかったとはいえないぞ」
分かっているのか?と睨みを効かされて、俺と豊峰は同時に俯いた。
「豊峰の」
「はい…」
「翼の身に危険が及んだことに関しては、おまえの責任は問わないが」
「っ…」
「少々反省すべき点はあるな?真鍋、軽く仕置きをくれてやれ」
それまで黙って俺たちの後ろに佇んでいた真鍋が、スッと頭を下げたのが気配だけでわかった。
「え?何で…?だって豊峰くんは何も悪くない…」
どうして豊峰が叱られなければならないんだ。
その理由が分からなくて、俺はパッと豊峰の方を振り向いた。
けれども隣の豊峰は、納得したように静かに目を伏せている。
「どうして!だって豊峰くんは俺のこと助けてくれたっ…」
「ふん、それは、俺が、自分のケツを拭いただけだ」
「でもっ…」
「それも含めてだろ。分かってるよ、俺は。俺のくだらない反発心が何を起こしたかなんて」
「ククッ、誰かさんと違って聞き分けがいい。だがそれを、くだらないとは、俺は言わないがな」
分からない。
火宮と豊峰が何の話をしているのか、俺にはさっぱり理解できなかった。
「あなたは…。っ、でもしょせんヤクザだっ…」
ギュッと拳を握って、それを小刻みに震わせた豊峰が、何故か絞り出すように小さく吐き捨てた。
「ククッ、せいぜい足掻け、ガキ。真鍋」
「はい」
「翼、おまえも人の心配をしている場合ではないぞ?」
豊峰に構っていた俺を、一瞬で冷やっとさせる火宮の言葉だった。
「分かっていると思うが、翼も仕置きだ。真鍋。手近なホテルを取って、そいつを部屋に閉じ込めておけ」
「かしこまりました」
え…?
スッと動いた真鍋が、俺と豊峰の腕を取って、クイッと後ろに引いた。
「ちょっ…」
豊峰は何で大人しく従っちゃっているんだろう。
「翼。俺の仕事が終わるまで、じっくり反省して大人しく待っていろよ」
「なっ…」
そのままスゥッと逸れてしまった火宮の目が、デスクの上のパソコンに向かう。
「あっ、う、ひ、みやさ…」
バタバタともがく手足も虚しく、俺はそのままズルズルと真鍋に引き摺られるようにして、会長室から出されていた。
隣の豊峰は何故か、とてもとても従順に、自分の足で大人しく真鍋について来ていた。
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