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第279話
「それでは翼さん、こちらで会長がいらっしゃるまで大人しくお待ち下さい」
手近なホテルの一室。いつもと違ってスイートとかではない、ソファセットとベッドが同じ部屋にあるワンルームの室内に、真鍋の丁寧な声が響いた。
「外に見張りを置いておきます。くれぐれも勝手な行動は慎んでいただきますように」
「………」
「それから、誰のどんな声がかかっても、決して鍵をお開けになりませんようお願いいたします。会長にルームキーを渡しておきますので、あなたが開ける必要はありません。以上をお守り、会長のご到着をお待ちください」
それでは私は、と、丁寧なお辞儀を1つ残して、部屋のドアがパタンと閉められていく。
オートロックらしい扉から、ウィーンと鍵のかかる音が響いた。
「っ…」
1人残された室内に、俺の吐息だけが静かに響く。
「本当に閉じ込められちゃった…」
まぁそうは言っても中から鍵は開けられるわけだけど。
「見張りを置いた、か…」
それは外部からの対侵入者用もあるだろうけど、きっと俺の逃走防止用なんだ。
うっかりドアを開けようものなら、多分すぐさま取り押さえられて、室内に戻されてしまうことだろう。
「ははっ…」
大人しく反省してろ、か…。
ぼんやりと立ち尽くした室内で、見下ろしたシャツはボロボロだ。
「っ…」
ぎゅっとシャツの胸元を掴んだ手に、ボタン代わりの安全ピンがヒヤリと触れた。
ふらりと引いた足が、トンッとベッドにぶつかる。
俺はそのままストンとベッドに腰掛け、ギュッと強く眼を閉じた。
静かな吐息の音が、やけに大きく耳に響く。
これからどれだけこうして待てばいいのか。
火宮はいつやって来るのだろう。
「そういえば、豊峰くんは大丈夫かな…」
会長室から連れ出された後、「あなたはこちらで待っていなさい」と、真鍋に幹部室へ押し込まれた豊峰の姿を思い出す。
「あんまり酷いことされていないといいけど…」
火宮に「軽く」仕置きだと言われていたけれど、その度合いは真鍋の裁量で、俺にはどんなことをされるのか想像がつかない。
「俺が、悪い…」
後先考えずに突っ走ったから、豊峰が火宮たちに怒られることになった。
俺自身は、感情のまま無責任に首を突っ込んだから、あんな目に遭って…。
素肌を這い回った見知らぬ男の手の感触が蘇り、俺は自分で自分をぎゅぅ、と抱きしめた。
「っ、火宮さん…」
思わず口をついて出るのは、俺が唯一縋れる恋人の名前で。
けれどもその人は、きっと怒っている。
他の男に触れられることを許した俺を、こんな姿にされた俺を、許せなく思っている。
「ずっと怖い顔してたもんね…」
いつもなら、ニヤリと意地悪い笑みを浮かべて言われる「仕置きだ」の言葉も、「反省していろ」と、逸れてしまった目も。
激昂ではない、声を荒げられこそしなかったけれど、火宮の内で燃える怒りは、それらの態度から溢れていた。
「っ…火宮さん」
それでもやっぱり俺が縋りつけるのは、その名前1つしかなくて。
そっとベッドから立ち上がった俺は、せめてもの反省の気持ちだと、床に下り立ち、ゆっくりと膝をついた。
「っ…」
ヒヤリと冷たく固い床が足に触れる。
その膝の上に拳をそれぞれ乗せて、きゅっと唇を引き結ぶ。
俺は、部屋の中央辺りにちょこんと正座し、ドアをじっと見つめたまま、黙って火宮がその扉を開けてやって来るのを待った。
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