289 / 719

第289話

その後、教室内がどうなったのか、俺は知らない。 ただ、廊下に飛び出した瞬間にチャイムが鳴ったから、きっとみんなはあのまま席について、色々うやむやになったんだろうな、とは思う。 「はぁ。サボっちゃった…」 抜けるような青空に浮かぶ太陽が眩しい。 教室を飛び出した俺が、1人になるために行ける場所は、ここ屋上しか知らなかった。 「これ、バレたらまた鬼に怒られるやつだ」 ふっ、と漏れた笑い声は、自分でも分かるほど、湿って震えていた。 「お尻ぶたれるの、やだな。あぁ、今度はそれだけじゃないか。もっとこっ酷く叱られるんだっけ」 ははっ、と笑ってしまう声に、ズッと鼻を吸う音が混じる。 「授業サボりに、社長様の本職をバラしちゃったんだもんな」 見上げた太陽がじわりとぼやけて、頬を静かに水滴が伝った。 「でも後悔はしていない」 ギュッと拳を握り締め、スッ、と冷たいコンクリートの上に足を踏み出したとき。ふと後ろでドアが軋んだ。 「っ、豊峰く…」 「クスッ、残念。藍が追ってくると思った?」 パタ、と、上履きの足が現れて、続いて全身が見えたそれは、制服をきっちり着た優等生で。 「紫藤くん…」 「あ、その顔。お呼びでない、って感じ」 クスクスと笑う紫藤は、何が可笑しいのだろうか。 ゆったりと屋上に出てきて、静かに俺の横を通り過ぎていく。 「っ、授業…」 優等生がサボっていいのか。 咄嗟に出た言葉は、自分でも馬鹿げてる、と思うような無意味な言葉だった。 「それ、火宮くんが言っちゃう?」 きみもサボってる、と笑う紫藤に声が詰まる。 「ふふ、まぁ僕は腹痛でちょっとトイレ、って言って、ちゃんと許可をもらって抜けて来たけど」 こういうとき、信用があると便利だよ、と笑う紫藤は、俺が思っていたよりずっと腹黒い人間みたいだ。 「あんまり長いと、不名誉なことにならない?」 「まぁ、言いたいやつには言わせておけばいいんじゃない?」 クスクスと笑う紫藤が、屋上の真ん中辺りまでたどり着いて、不意にこちらを振り返った。 「で、その涙はなぁに」 「っ…」 容赦ないな。 見逃してくれればいいものを。 グイッと拭った涙はすでに指摘を受けてしまった後で。 「何でもない。なんて通用しないか」 「ふふ、さすがに堪えた?『騙していた』」 「そう、かな…」 どこかでは覚悟をしていた。 だけど多分、どこかに期待をしてしまってもいた。 だからきっと、はっきりと非難の言葉を向けられて、ズキリと痛んだ胸があった。 「藍がね。行けって」 「え…?」 「きみを追え、ってさ。僕にアイコンタクトしてきたんだよ」 「それって…」 「うん、本当、不器用だよね、あいつ。自分で来ればいいのにねー」 クスクスと笑う紫藤の言葉が、じわりと胸に届く。 「っ、豊峰くんは…」 「うん。どうやらきみに、随分と肩入れを始めてしまったらしい」 クスクスと、楽しげに笑いながらも、紫藤の目は油断なく俺を見つめていた。 「きみがあのままクラスで浮いて、1人でこうして泣くのを見ていられなかったみたいだよ」 「っ、それは…」 「藍はね、知っているんだよ。火宮くんが向けられた、みんなからの非難の目」 「っ…ぁ」 「それがどれだけ痛くって、どれだけ辛いものか、藍は知っているの」 だから。 「家柄だけで判断されて、差別を受けて孤立して。その理不尽さと寂しさを知っているから、きみを放っておけなかった」 クスッ、と笑った紫藤が、不意に俺から顔を背けて、屋上の先へと歩き出した。 「自分と同じ轍を踏む、きみのことを無視できなかった」 「っ…俺は」 「どうするの?」 紫藤の足がふと止まり、背中を向けたままの紫藤から、小さな声が届く。 「このまま進む?」 その先が、絶望と悲しみにまみれた行き先だとしても。 「藍は止めるよ。無駄なことはやめな、って、きっとそう言う」 クスッと笑う紫藤は、豊峰をよく理解しているのか。だからこうして豊峰に託されてここへ来たのか。 「俺みたいになるな、って、きっと。藍ならきっと、そう言うだろうな」 ゆっくりと空を見上げた紫藤の髪が、ふわりと風に揺れた。 「じゃぁ紫藤くんは?」 「………」 背中に向かって投げかけた声には、小さな吐息だけが返った。 「紫藤くんも、諦めろ、って思う?」 「っ…」 ピクンと揺れた紫藤の肩が、小さく震えてストンと落ちた。 「僕は、期待をしている」 「期待…」 「火宮くんならば、もしかして、と思っている」 「っ…」 それは俺の行動への肯定で。 「だけど、色々な意味で脅威だとも思っている」 「っ!」 「もしもきみがこのまま突き進んで行って失敗したら。きみは藍をきっと傷つけることになる」 クルリと振り向いた紫藤の目が、真っ直ぐに俺を射抜いた。 「火宮くんは、どうしたい?」 それは同時に、俺も傷だらけになるということでもあって。 それでも俺は、俺の想いを止められない。 「進む」 後戻りも立ち止まりもする気は無い。 だって正々堂々と口上ぶちかまして来ちゃったから。 行き着く先がどんな場所でも、俺は俺の信念を、曲げるつもりはまるきりない。 一度決めたその道を、志半ばでやめるつもりは、俺にはないよ。 「ハッ…。だからあんたは甘ちゃんで、馬鹿だっつーんだよ」 ガチャッと、再び開いた屋上のドアから、今度は不良を絵に描いたような姿の生徒が現れた。 お気に入りイイネ 前へ次へ

ともだちにシェアしよう!