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第294話
それから、立たされんぼの1時間が終わり、他の授業も特別何事もなく終了した。
ただ、休み時間の度に、こちらを気にするような視線をいくつも感じたし、俺が豊峰を藍呼びしていることに広がるざわめきも感じた。
豊峰の笑顔や俺への対応にも動揺と困惑が広がり、四六時中注目を集めていた。
うんうん。まぁすぐに変われるはずもなし。でも意識はされている。
今日はそれでいいと思う。
「さて、帰るか…」
うーん、と伸びをして、ようやく放課後となった教室で、時計を見上げる。
「やば。車もう来ちゃう」
見回した教室内には、もう半数以下の生徒しか残っていない。
部活に寄り道にと、ほとんどのクラスメイトがもういなくなっていた。
豊峰も知らぬ間に消えているし、紫藤は委員会だと言ってさっさと教室を出て行っていた。
「えと、バイバイ、また明日!」
とりあえず残っているクラスメイトたちに叫んで、パッと踵を返す。
「え?」とか「あ、あぁ…」とか、戸惑いの声がいくつか聞こえて、無視ではなかったことに、少しだけ頬が緩んだ。
そうして迎えの車と合流して、事務所に寄れとのお達しでやってきた蒼羽会のビルで。
「おや、火宮翼くん」
「あ、夏原さん、こんにちは」
エントランスを入ったところで、ちょうどたまたま夏原と遭遇した。
「おっ、学校帰り?制服、似合うね」
「あー、ありがとうございます。夏原さんは、お仕事ですか?」
まぁ遊びに来る場所ではないか。
「まぁね。お出迎えを待っているところなんだけど」
「池田さん?」
「多分ね。能貴はどうせ逃げたでしょ。あ、でも火宮翼くんか」
「え?」
きみをダシにして、能貴を呼べないかな、と夏原が笑う。
「え…真鍋さんを?いや、駄目です。今日は俺、真鍋さんには会いたくないです」
「なに。どうして」
「えー、だって今日は…ちょっとバレたくないことがあるっていうか、会ったら確実に怒られることになるっていうか…」
サボりとかお立たせとか、バレたら絶対にまずいんだよね。
「いいなー」
「は?」
何この人。何を羨んでいるの…。
「夏原さん、真鍋さんにお仕置きされたいんですか?」
俺は死ぬほど嫌なんだけど。
「能貴からお仕置き…?うーん、どっちかっていうとしたい方?…じゃなくって、嫌でも能貴の方から構ってくれるなんて本当、羨ましいっていうか」
あぁそうか。この人は真鍋から全力で避けられるもんな……って、そうだ。
「あっ、俺、夏原さんにくっついてれば、真鍋さんに会わなくて済むんだ!」
これは名案かもしれない。
だって夏原の側にいれば、真鍋がまず寄ってこない。
「はぁ?きみねぇ。さりげに酷くない?」
「でも安全圏!ねっ、夏原さん、俺を匿ってー」
「はぁっ。一体何をしたの、火宮翼くん」
ピトッとくっつこうとする俺からは、サラリと逃げてしまいながら、夏原が苦笑する。
「何って、今日学校で授業を1時間サボっちゃったでしょー。それから、次の授業は遅刻したし、先生に喧嘩売って後ろに立たされました」
あはっ、と笑いながら教えてあげた瞬間。
「あらら、ご愁傷様」
「へっ?」
クスッ、と笑った夏原が、俺を…いや、俺の後ろを見て目を細めている?
「えっと…」
冷たーい空気が背後から漂ってきて、振り返るのが怖いんですけど。
「俺はラッキー!でも能貴が出てきてくれるなんて珍しいね」
わーい、と無邪気な子供のような顔をして、夏原が俺の横をすり抜けて行く。
「翼さんがお着きになられたと連絡が入りましたので。決してあなたの出迎えではありませんよ」
ひゃ!
やっぱり、鬼の声…。
ますます振り返れずに、俺はピシッと固まった。
「じゃぁ俺が強運ってこと。能貴ー」
「どさくさに紛れて抱き着こうとなさらないで下さい。鬱陶しい」
パシッ、って音は、夏原が手をはたき落とされた音か。
本当、相変わらずチャレンジャーだな…。
「ほら、退いて下さい。私は翼さんを会長室までお連れするために…ですが、その前にお話することがあるようですね」
「ひっ…」
やっぱり聞こえちゃってたよね?
カツン、と響いた革靴の足音が、耳にぐわんぐわんと木霊した。
「先程のお話ですが。夏原先生に話していらしたことは事実ですか?」
「っ…」
嘘です、作り話です、って言ったら見逃してくれるわけ?
まだ振り返れずに冷や汗をダラダラと流していたら、ヒュォーッと感じる冷気が、すぐ間近まで迫ってきた。
「あぅ…」
「翼さん?」
もう駄目だ。終わった、俺。
ゴゴゴォ、と音が聞こえてきそうな気さえする、吹き荒れるブリザードを背後に感じる。
これはもう、逃げも隠れもできないやつだ。
「っーー!ごめんなさいっ」
パッと振り返って、ガバッと頭を下げて大声で叫ぶ。
「お認めになるということですね」
ならばお分かりですね?って…。
「お仕置き嫌ーっ!許して真鍋さんっ、助けて夏原さんーっ」
きゃうん、と響いた俺の叫びに、事務所のロビーにいた人たちが、ギョッとしてこちらを見ているのが見えた。
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