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第302話
翌日。
「おはよう!」
教室に勢いよく飛び込んだ俺は、誰にともなく大声で叫んだ。
ビクッと肩を跳ねさせる、数人のクラスメイトの姿が見える。
チラチラとこちらに向く視線の中から、「お、おはよ…」と、小さく囁くような声が聞こえた。
「っ!おはよう」
返るとは思わなかった声に、思わず感激して挨拶を繰り返してしまう。
浮き足立って飛び跳ねる勢いで歩き始めた俺は、うっかり近くの机につかえて、ガタンと派手にコケた。
「ったぁ…」
うわ、恥ずかしい…。
少なからず注目されていた中でこれはない。熱くなった顔が上げられずに、床にしゃがみ込んだまま固まってしまう。
ど、どうしよう…。
このまま机の陰に隠れて、そっと席に向かおうかな、なんて弱気な考えが頭をよぎる。
ジリジリと手を一歩前について、本気で這って歩き出そうとしたところに、ふと近づいてきた人の気配を感じた。
「あ、あのっ、大丈夫?」
恐る恐る、けれども明らかな心配が滲んだ声で、俺を見下ろしているクラスメイトが2人、目の前に立っていた。
「っ…」
「すごい音がしたけど…立てる?大丈夫?」
遠慮がちに差し出された手が、小さく震えているのが見えた。
「っ、うんっ、ありがと!本当、恥ずかしいね」
あはっ、と照れ隠しに笑いながら、俺はきっと、多大なる勇気を振り絞って差し出されたのだろう手を、そっと握った。
「よっ…」と引いてくれた手に助け起こされて、どうにか立ち上がる。
ホッとしたように笑った男子に、俺も感謝を込めて笑顔を向けた。
「本当、ありがとう。えっと…」
やばい。名前がまだわからない。
軽く傾げてしまった首に察してくれたのが、その男子が人懐こく笑った。
「伊藤だよ。下の名前は紀行。みんなノリって呼ぶ」
「ノリ…。あ、俺は火宮翼」
「いや知ってるし」
ぶっ、と笑ったノリに、ハッとなる。
「そっか。そういえば昨日、派手に宣言したんだったね」
「うん」
あれ?
それでもこうして近づいてきてくれて、名前も教えてくれたっていうのは…。
「引かないで、くれる、の…?」
期待がキラリと胸に宿る。
「あー、まぁ、なんかな。火宮くんが言うように、俺は火宮くん自身を見てみようかな、とか、柄にもなく昨日一晩考えてみたわけで」
しどろもどろと、言い訳がましく口にするノリなんだけど、その目は泳ぎながらも真剣そのもので。
「俺はつーとか!翼ちゃんとか呼ばれていたよ!」
だったら俺にできることは、俺自身を素のまま伝えることだ。
「つー、か。それいいな」
「っ、ずりぃ。俺もいるんだけど」
「え?あ」
「俺は木村。木村タクト。タクトでいいぜ」
ノリの横にいたもう1人の男子が、ヒョイッと会話に割り込んできた。
「タクト?うん。よろしく!俺は…」
「だから、つー、だろ?」
聞いてるから!と爆笑するタクトに、思わず頬が緩む。
「俺もつーのこと、色眼鏡外して見るから。その…」
「うん!ありがとう。それで嫌われるんなら、俺も諦めがつくから」
「ぶっは。俺、つーを嫌いんなる自分は想像つかねーわ」
おまえ面白いのな、と笑うタクトに、なんだかジーンと目が熱くなった。
「おっ?」
ふと、ちょうど登校してきたらしい豊峰が、後ろを通りかかった。
「あっ、藍くんおはよー」
「はよ」
ペタンコの鞄を持って、上履きの踵は踏み潰していて、ブレザーの中には私服のパーカー。
見た目はまぁ見事な不良っぷりの豊峰が、ニッと笑って俺たちを見た。
その目がいいたいことは言われなくてもわかった。
『よかったな』と語る目にニコリと笑い返し、タクトたちに視線を戻す。
すると2人は恐る恐るながらも、そっと口を開いた。
「あ、の、おはよう…」
タクトとノリが豊峰に言う。
ジロッとそちらに視線を移した豊峰が、無愛想ながらも「はよ」と挨拶を返すのを見て、2人が顔を見合わせてホッと微笑んだ。
「っ…」
これは進歩じゃないか?
ドクッと跳ねた心臓が、熱く震える。
まだまだ距離を取っているクラスメイトの方が多いけど。
もちろん俺だって、みんながみんな、気の合う人ばかりではないし、理解し合えない人だって中にはいることくらいはわかっているけれど。
それでもこうして、とりあえずは肩書きによる偏見なしに俺や豊峰を見てみようとしてくれる人がいることが嬉しくて、俺はここから始めようって、こういう人を大事にしたいなって、そう、思った。
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