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第315話

火宮さんに教えないでっ! ガバッと、跳ね起きた場所は、病院のベッドの上だった。 「翼?」 真っ先に目に飛び込んできたのは、複雑な色をした火宮の、俺を見つめる一対の目だった。 っ…。 心配、苛立ち。 怒りに、苦しみ。 チラチラと色を変える火宮の瞳が、そっと俺を見つめている。 ギクリ、と身体が強張った。 「翼」 っ、聞かないで…。 あなたには何1つ、知られたくない。 お願い、知らずにいて…。 俺が俺の身体を守れなかったこと。 火宮が大切にしてくれる俺の全部を、先輩たちに触られてしまったこと。 あなたを傷つける、あなたを汚してしまう、その事実を、どうか知らないままでいて…。 「翼…」 っ、触らないで! そっと伸びてきた火宮の手を、俺は反射的に避けていた。 っ…ごめんなさい。 だけど汚れた俺に触ったら、あなたも汚れに染めてしまうから。 ぎゅっ、と布団を握り締め、固く目を閉じて俯きながら言った俺は…。 『言った』俺は。 あ、れ…?俺。 「翼?」 ひ、みや、さん…? 「翼!」 ガバッと間近に迫った火宮の顔が、焦燥を浮かべて、俺の口元を見ていた。 「ッ、おまえ…」 え、俺…。 「先生っ!」 パッと俺から離れて、身を翻した火宮が、病室の外に駆け出していく。 その後ろ姿を見つめながら、俺はゆっくりと手を持ち上げて喉元に触れてみた。 指先には、傷口の手当てをしてくれたのだろう、貼られたガーゼの感触がある。 あぁ、俺…。 事態をいち早く悟った俺は、静かに目を閉じた。 パタパタと、2人分の足音が、病室内に入ってきたのが聞こえた。 「翼」 「………」 「先生、翼が」 そっと薄目を開けてみる。 そこには、ぎゅっと眉を寄せ、苦しそうに顔を歪めた火宮がいた。 その横から、以前に火宮が入院したときにも会った、蒼羽会お抱えだという医者が、ゆっくりと歩み出てくる。 「火宮、翼くん?」 は、い。 「名前、自分でも名乗ってみてくれる?」 ひ、みや、翼です…。 名乗ったはずのその声は、小さく唇が震えただけで、空気を震わせることがなかったことには、俺も、火宮も、先生も、気づいていた。 「先生!」 「はいはい。焦らないで下さい。とりあえずは扁桃腺や声帯に異常がないか検査をしてみないと正確には言えないけれど…」 あぁ、でも多分、そういう検査をしても、きっと異常はない。 「失声症…」 「えぇ、その可能性が高いでしょうね。参ったな。外科が専門で、内科も診れるけれど、心療内科はさすがに専門外なんですよね」 ふわりと首を傾げた医者に、俺は再び静かに目を閉じた。 「翼?」 いいです、治さなくて。 これなら俺は、先輩たちにされたことを、火宮に話さなくて済む。 汚れた身体。 口も、胸も、肌も、性器も。 手も、後ろの1番大事な場所も…。 それを知ったらあなたはどうします? 俺のせいであなたはきっと、その手を赤に染めに行くでしょう? 先輩たちを、ボコボコのぐちゃぐちゃにして、その手を汚してしまうでしょう? 口がきけなくてよかった。 ごめんね、火宮さん。 俺、きっと間違ってたんだね。 クラスで宣言したときは、それで正しいって思っていたんだけれどな。 豊峰や紫藤、タクトたち味方を得られたことは良かったと思ったんだけれど。 でも…。 俺、もう、何が正しいのかが、分からない。 俺はもう、この口で言葉を紡ぎ出すことが怖い。 俺の言葉1つで、何かが狂うことがある。 それが火宮なら…俺は。 「翼!」 「ちょっと、火宮さん!無理は…」 ガッ、と掴まれた肩の痛みが、火宮の抑えきれない激情と焦燥なのが分かって、俺はグッと唇を噛み締めた。

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