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第318話

俺は…。 先の続かない言葉を一旦諦めて、俺はキュッとシャープペンを握り直した。 『あの、火宮さんは?』 俺の距離を置きたい宣言を聞き、どうしているのだろうか。 「会長は…」 わずかに言い渋った真鍋に、首を傾げてしまう。 『真鍋さん?』 「会長でしたら、あちらへ向かいました」 っ! あちら、というのは…先輩たちの方? 『それって』 「はい。あなたから何も聞き出すことが出来ない以上、向こうに吐かせるしかありませんので」 っ、じゃぁ、じゃぁ俺がされたことは…。 「すぐにすぐ、分かってしまうことはないと思います。やつらも保身に走る。そう簡単には真実のすべてを話すとは思えません」 『でも』 「えぇ。自白剤、拷問、極限まで精神を削り、追い詰め…いずれは真相に近づくでしょう」 っ! 思わずギギッ、とノートに濃い線を引いてしまった俺を、真鍋は静かに見下ろした。 「それを汚いと、罵られますか?」 っ、俺は…。 「あなたが沈黙を貫いたことが無駄になる、あなたは会長に、そういうことをさせたくなかったのに、と喚き立てますか?」 っ…この人は。 「けれど、そのどれも、あなたのせいではありません」 ゆっくりと1度、目を伏せた真鍋が、軽く息を吐いて、顔を上げた。 「我々は、ヤクザです」 きっぱりと言われた言葉が、知らずのうちに詰めていた息を吐き出させた。 「ですから、それは、あなたのせいではありません」 火宮が手を汚すこと…。 「あなたに責任はありません」 あぁ。この人は、やっぱり優しい。 『俺が、火宮さんの側に、いてもいいのだと、思いますか?』 俺のせいで火宮は穢れたりなんかしない。 俺のせいで火宮が道を誤ることはない。 真鍋の言葉は、その思いは、十分わかったけれど。 だけど。 『そもそも、俺が油断して襲われたりしなかったら』 そう。そのことに責任がないとは、俺には言えない。 「でもあなたは出来うる限りの抵抗をなされました」 『だけど』 「先生の診断から推測するしかありませんが、あなたは全力で、きちんと抵抗なされたでしょう?」 『それでも、俺が汚されてしまった事実は消えない。だから俺はやっぱり、火宮さんの側には、いちゃいけないんじゃないかな』 思いと同じスピードで、書き殴る雑な文字を、真鍋がゆっくりと目で追った。 「はぁっ。すぐにすぐ、説得できるとも思っていませんでしたが」 頑固ですね、と苦笑する真鍋は、やっぱりいつになく優しい気がして。 「分かりました。ご納得いただくまで、好きなだけ会長と離れられたらよろしいです」 『真鍋さん』 「とりあえず、入院加療を要する体調ではないそうなので、ご自宅にお帰りいただけますが」 『そうですか』 「会長は、当面ホテル住まいをなされるそうですから、ご安心してお帰りいただけますよ」 っ! それって、俺が部屋の主を追い出して、自分はのうのうとその部屋を占拠しろということか? 『そんなの、無理です』 そこまで図々しくなれない。 「では会長にお帰りいただいてよろしいのですか?」 『それは…』 弱々しく震えた俺の文字を真鍋が見下ろす。 はぁっ、と溜息をつく真鍋の言いたいことは分かる。分かるよ? 火宮が出て行くのも駄目、帰ってくるのも駄目では、ならどうしたらいいんだ、って、俺も思う。 「うちに来ますか?」 は? え?今なんて? 「ですから、私の家にいらっしゃいますか、と。当面、翼さんお1人を預かるくらいは可能です」 え、え。真鍋さんち? それは非常に興味深いけど…。 『いいんですか?』 真鍋もだけど、それを火宮が許すのだろうか。 チラリと窺った真鍋は、小さな微笑を浮かべていた。 「会長に話をつけてみましょう」 この人が、何の勝算もなしに、物事を安請け合いしないだろうことは分かる。 っ…。 甘えてしまって、いいのだろうか。 「翼さん?」 っ…。 だけど今の俺には、もう少し時間が必要だ。 震えるペン先を、緊張しながらゆっくりと滑らせた俺は。 『お願いします』 出来るだけ丁寧に一言綴った。 その文字を見て、真鍋がゆったりと頷いた。

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