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第339話
重い足を引きずって、どうにかやって来た校門前で、迎えの車を見つけた俺の身体は、ピシリと固まった。
な、なんで…。
黒塗りの高級セダンの助手席のドアの前、車に軽く寄りかかるようにして立っていたのは、ブラックスーツに人形のような無表情の美貌、醸し出すオーラはクールで冷たい…蒼羽会幹部、真鍋能貴その人だった。
っ…。
「お帰りなさいませ、翼さん」
ふと、俺の姿に気づいた真鍋が、スッと居ずまいを正して、頭を下げた。
うー、今日に限って迎えがこの人とか。
個人票の入った鞄が、ズシリと重くなった気がする。
「どうぞ」
ガチャッと後部座席のドアを開けてくれた真鍋に促され、俺は渋々足を進めた。
「じゃぁ翼、バイバイ。あ、ドモ」
「火宮くん、また明日」
門まで一緒に来ていた豊峰と紫藤がプラプラと手を振っている。
うん、また明日…。
微妙に引きつった愛想笑いになってしまったことに気付きながらも、俺はフラリと手を振り返して、地獄のドライブが始まるであろう車内に乗り込んだ。
スーッと走り出した車の中で、ふと真鍋が助手席から手を出してきた。
は?
「中間テストの成績個票。お渡し下さい」
うげ。なんで知っているわけ。
チラリとバックミラー越しに真鍋を窺ったら、嫌味ったらしく弧を描いた真鍋の口元が見えた。
「本日、渡されましたよね?先程、門の前でお待ちしているときに、たまたま通り掛かりました男子生徒お2人組が、『おまえ、テストの結果どうだった?』『まぁ最下位ではないぜ』などと、低レベルな会話をなされていたのが聞こえて来まして」
だーれーだ、思いもかけず、この人に情報提供しちゃった人は…。
「結果をお渡し下さい」
まぁ隠したところで、いずれバレるんだけどさ。
でももう少し猶予というか、心の準備というか、そういうのがあってもよかったんじゃない?
意地悪な神様を恨みながらも、俺は渋々鞄を開けて、地獄ツアーへの乗車券…もとい、中間テストの個人票を手渡した。
「なるほど」
個票を眺めて、開口一番。
それは一体どういう反応か。
「2位ですか」
淡々と紡がれる言葉からは、真鍋が何を思っているのかは察せられなかった。
「お返しいたします」
どうぞ、と戻された個票を受け取り、俺は微妙な視線をミラー越しに真鍋に向けた。
「この件につきましては、会長のご判断を仰ぎたいと思います」
保留…。
そういう生殺し状態が、1番嫌なんだけど。
半端な期待と、どうせ怒られるという諦めの間を行ったり来たりして、その浮上と降下に酔ってしまいそうだ。
うぅ、気持ち悪い…。
本来、車酔いなどしないタイプなのに、今日ばかりは込み上げてくる不快感が止まらなかった。
そうしてたどり着いてしまった、蒼羽会事務所ビルの会長室。
仕事にひと段落ついていたのか、のんびりとコーヒーを飲んでいた火宮の前に立たされた俺は、真鍋に促されて、恐る恐る個人票を火宮に差し出した。
「あぁ、今日結果発表だったのか」
その顔、と笑う火宮は、もう中を見なくても、テスト結果の予想は大体ついてしまっているらしくて。
「ククッ、やはりトップは逃したか」
見下ろした個人票を見ても、なんら新鮮な驚きは見せなかった。
「2位か。どう思う?真鍋」
不意に後ろの真鍋に意見を問うそれは嫌がらせか。
この人が、1位と約束したものを、1位以外で許すわけがないと思うんだけど。
チラリと窺った真鍋は、けれども予想に反して、うーん、と小さく悩む素振りを見せていた。
え…?
「本来なら、トップというお約束を守れなかった時点で、処罰決定としたいところですけれど」
「まぁな」
「ですが、教科ごとで見てみますと、1位を取っているものもあります。ですので、総合1位と、僅差だったのではないかと想像がつくのですが」
よく分かるねー。
指を3本立てて真鍋に向けたら、理解してくれたらしく、頷かれた。
「3点差ですか?」
コクンと頷けば、真鍋の表情が納得顔に緩んだ。
「それでしたら、元々の仕置き理由だった、授業サボりや教師への反抗の件、十分に実力で挽回できたかと思いますが。それに今回は、翼さんにも色々とありましたからね」
「許すのか?」
どういう風の吹き回しだ、と笑う火宮が、揶揄うような視線を真鍋に向ける。
「会長が、罰しろとおっしゃられるのでしたらそう致しますが」
「俺はおまえが許さないと言うと思ったが」
「私も、情状酌量という言葉は持ち合わせております」
真鍋の辞書にも、慈悲という言葉があったのか…。
思わず唖然と真鍋を見つめてしまったら、「何か?」と、冷たく器用に片眉を吊り上げられてしまった。
っ…。
慌ててブンブンと首を左右に振る。
「ククッ、ついにこの真鍋すらも絆したか」
火宮さん?
「ッ、私は決してそういうわけでは」
誤解しないでいただきたい、と慌てている真鍋はどうしたんだろう。
「クッ、どうだかな。おまえはむしろ、常々俺が翼には甘い、甘いと、小言ばかり言っていたじゃないか。それが」
今回は、火宮が許す前に率先して自らが許しにかかるなんて?
火宮の言いたいことは、俺にもなんとなく分かった。
「私は甘やかしているわけではありません。公正な判断のつもりです」
ツン、とクールさを取り戻した真鍋だけれど。
「まぁそういうことにしておいてやるか」
「会長っ!」
「クックックッ、よかったな、翼。鬼の小舅が許すと言うんだ。俺はもとより、多少のサボりだなんだは、怠けからくるものじゃなければ、別に構わないと思っているからな」
やることをやっていれば問題ない、って。
そもそも、トップがどうとかの話を持ち出したのは、あなたですからねっ!
思わずギロッと睨んでしまったら、火宮は可笑しそうに目を細めた。
「総合2位、上等だ。だがこの英語の4位はなんだ。理数が1位なのはいいとして…おまえが目指すのは医大だな?」
う…。確かに他は1位2位のオンパレードだけど、英語だけはどうしても苦手で。
「真鍋。仕置きはなしだが、今回テストで点を落としたところを、復習がてらみっちりしごけ」
「かしこまりました」
「弛むようなら、体罰も辞さなくて構わないぞ」
はぁぁぁっ?
それって…それって。
「かしこまりました」
ある意味、お仕置きじゃないか、と嘆く言葉は声にはならず、俺は、スパルタ家庭教師に、テスト問題で間違えた箇所を、きっちりと叩き込まれる羽目になった。
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