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第345話
うっわぁぁ!すっごーい。
辿り着いた温泉旅館で、俺たちが今日泊まる部屋だというところに案内された瞬間、俺は感動に目を見開いた。
「ククッ、声にならなくても、おまえの絶叫が聞こえてくる気がする」
後からのんびりと室内に入ってきた火宮が、可笑しそうに喉を鳴らした。
だって…。
「まぁ、まるで絵に描いたような美しさではあるがな。風情がある」
そう、それ!
部屋の入り口から、ちょうど真正面にある窓から見える風景。その綺麗さと言ったらもう。
この部屋独占だと分かる日本庭園が、目の前に広がっているのだ。
「夜にはライトアップもされるぞ」
うわぁ。それは楽しみだな。
もう初っ端から、俺のテンションは上がりっ放しだ。
「ククッ、まぁまずは座って落ち着け」
無理です!
こんな高級宿、初めてなんだから。
あっちのドアの向こうとか、そっちの扉の奥とかも、気になってたまらない。
「クッ、ガキ」
さっそくバタバタと、あちこち見て回り始めた俺に苦笑しながら、火宮がゆったりと座卓について茶を飲み始めていた。
ふぁぁ、すごかったー。
ひと通り、部屋の散策を済ませた俺は、興奮冷めやらぬまま、火宮の元に落ち着いた。
「ククッ、満足したか?」
ご丁寧に、俺の分の熱々のお茶をいれてくれながら、火宮が可笑しそうに目を細めた。
『はい!露天風呂も、お庭も。なんか回廊?も!』
部屋付き風呂は当然のように、眺望最高の露天風呂だし、そこから見える庭がまた、目に楽しい綺麗な庭園で。
縁側、というかテラスというか、けどそれにしては規模の大きい、多分回廊と呼んでいいだろう外回りの廊下も贅沢だった。
「ククッ、寝室は?」
真っ先に見ていただろう?と言わんばかりの意地悪い目は、俺が敢えて触れなかったことに気づいているものだ。
っ…。だってそこは、なんていうかやけに生々しくて…。
「たまには和テイストというのも、雰囲気が変わってよかっただろう?」
ニヤリと笑っている火宮は、今俺が、夜を意識してしまっていることを、絶対に楽しんでいる。
『ふ、風情はありましたよっ』
襖の向こうに垂れた簾のそのまた向こうに、2つ並んだ大きなベッド。畳の上にあるそれは、家のものより随分と低く、布団よりは少し高いけれど、なんだかそれだけでも雰囲気が違って。
互いの間にあったぼんぼりみたいな和風の灯りがまた、柔らかいオレンジ系の色に光るんだろうな、と想像がつくから、なんかもうたまらなくて。
「畳の部屋で、浴衣のおまえを、か」
妖しい火宮の笑みに、ゾクッと震えてしまった身体を誤魔化すように、俺は乱暴にメモ帳に文字を書き殴った。
『そんなことよりっ、お庭のお散歩とかしたいです!』
なんとなく、火宮と2人でいると、ヤラシイ空気にしかならない気がして、俺はせっかくのお茶も飲まずにパッと立ち上がった。
「クッ、散歩か」
『べ、別に、火宮さんと、ってわけじゃありませんからねっ。俺1人で…』
「つれないな」
ニヤリと笑いながらも、ゆっくりと立ち上がる様子は、付き合うつもりということか。
「まぁ夕食まで時間があるし、なんなりとお付き合いしますよ、奥さん」
行くぞ、と手を差し出している火宮の指には、俺のと同じデザインのリングが光っていて。
っ…。
不意に、「新婚旅行」と、ふざけて言っていた火宮の言葉を意識してしまい、カァッと頬が熱くなった。
「ほら、翼」
行かないのか?と目を細める火宮の手を、慌てて取る。
「ククッ、どうせなら、庭と言わず、少し敷地外にも出て、森にも行ってみるか?」
確か先の方に渓流と小さな滝があったはず、と記憶を辿る火宮は、ここへ来るのが初めてではないのか、下調べの賜物なのか。
ーーん…。
コクンと頷いて、手をきゅっと握った俺を、火宮が蕩けるように甘い瞳で見つめてきた。
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