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第368話

「翼さん?」 「っ…」 「翼さん。お口に合いませんか?」 タープテントの中、レジャーテーブルに広げられたお弁当は、どこの高級料亭の仕出し料理か、と思うほど豪華で。 本来なら、食欲が唆られまくって大喜びのはずが。 「美味しい、です、ンッ、けど」 パクン、と口に放り込んだ手毬握りの味は、後ろに入れられた玩具の存在に気を取られて、まったく分からなかった。 「でしたら良かったです。さぁ、遠慮なくお召し上がり下さい」 色鮮やかなローストビーフ、頭のついた大きな海老、それから蟹様がドーンと乗ったグラタン、などなどを、ずいっと勧められても…。 「んっ、はい…い、ただきま、あ、ぅ」 箸を伸ばすために身動きすれば、ナカの玩具を余計に意識する羽目になって。 振動こそしていないけど、その存在感は強すぎて。 「ククッ、ほら翼、あーん」 「は?」 ほら食べろ、と言わんばかりに、口元にジューシーなカツを火宮が差し出してくる。 「あの…」 こんな公衆の面前で、それをやれと? 「ん?口移しがいいか?」 「なっ、ばっ…」 なんでこの人、こんなに楽しそうなわけ? 「じ、自分で食べられますっ」 ドキリとして口元を手で押さえたら、ニヤリと笑った火宮が、スッ、とテーブルの陰でポケットに手を入れたのが見えた。 「っ!」 リモコンだ。 「ん?」 薄く目を細める火宮の顔は、妖しく微笑んでいて。 「っ…食べ、ます。食べますからっ」 スイッチは入れないで。 縋るように目を向けた俺に、火宮の手がそっとテーブルの上に戻る。 「ククッ、ほら、あーん」 「あ、あーん…」 うぁぁぁ、恥ずかしいーっ! カッカと火照る頬っぺたと、じんわり涙が浮かぶ目を堪えながら、俺は突き出されたカツを、パクンと口に入れた。 護衛に立っている浜崎が、目のやり場に困ってワタワタしている。 同席している真鍋の目は完全にシラけているし。 もっ、やだ…。 泣きたい気分になったとき。 「キャァァァ、つーちゃん、ヤバイー!」 は?え? 弾けるような悲鳴が、少し離れたグラウンドの方から聞こえてきた。 「なっ…」 見れば、リカとその仲間の女子たちが、こちらを窺いながら、スマホのカメラを構えている。 「ククッ、さっきからあいつら、こちらを見ているな」 「っ…」 「おまえが抱き上げた女だな」 うわぁ、根に持つな。 すでにお仕置きで、こんな、ローターなんかを入れさせているくせに。 「なにか約束でもあるのか?」 「いえ、その、まぁ…」 チラッと思わず真鍋に視線を向けてしまったら、「何か?」と、冷たく切るような視線が返された。 「いえっ、その、真鍋さんが来たら、お話したい、みたいに言われたんですけど」 「話、ですか」 「でもいいんです、本当、あれは放っておいて…」 むしろこの状態で側に来られる方が困る。 「ククッ、真鍋は女子高生にもモテるのか」 ニヤリ、と企み顔をする火宮には、嫌な予感しかしない。 「呼んでやればいい」 「っ?!」 「会長っ?」 珍しく跳ね上がった真鍋の言いたいだろうことと、俺の思ったことはきっと同じだ。 「嫌ですよっ」 ごめん、リカ、と内心で謝りながら、俺は全力で拒否する。 「お言葉ですが、私もそういった面倒は」 うるさいだけのガキの相手など面倒くさい、と露骨に分かる真鍋の溜息が落ちる。 「ククッ、せっかくのファンだろう?」 「そんなもの、私の本性を知りもしないで」 「クッ、ならばおまえに顔だけで近づくと、大怪我をすると教えてやればいい」 真鍋のクールさ。火宮の意地悪。 本当、この人たちはいつでもブレない。 「ククッ、そこらの女子高生では、裸足で逃げ出す」 あぁそのサディスティックな顔。リカに対しても、ちょっとばかり仕返ししてやろう、って魂胆が丸わかりだ。 本当、焼きもちを焼かせたら大人げないったらない。 だけど。 「だから呼びませんって!」 お尻のナカに入ったままのローターと、それをいつでも動かせる状態にいる火宮。そんなところに、その原因の一端となったリカを、誰が近づかせたいと思うものか。 「ふぅん」 「ふーん、じゃなくてですねっ」 「まぁ俺も、翼との愉しいランチを、邪魔されたくはないか」 なんか楽しい違いに聞こえたんだけど? 「仕方ない、真鍋」 「はい」 「あいつらのデーター、消させて来い」 チラッと火宮が視線を向ける先では、リカたちがスマホを持ち上げ、カシャカシャとシャッターを切りまくっている。 「はぁっ、かしこまりました」 疲れたような溜息と共に、真鍋がゆっくりとタープ内から出て行く。 その途端に、リカたちの「キャァァッ、美形様ぁっ!」の、今日イチの悲鳴が響き渡る。 あれが数秒後には、別の意味の悲鳴に変わるんだろうな、と分かる俺は。 心の中でそっと、凍りつくだろうリカたちに、ご愁傷様と十字を切った。

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