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あの夏に置いてきたもの

 きっかけは多分、昨日見つけたシャツ。  こっちに来た時に着ていたもので、気に入ったデザインだったのだけど全然着れなくなっていた。  単純に、体を使うようになって、それなりに鍛えられていたってだけだ。  それはわかっている。  だけど、急に理解してしまったんだ。  もう、きっと、元の世界には帰れない。  落ちたのか流されたのか呼ばれたのか渡ったのか、知らない。  けどオレは間違いなく生まれた世界から離れた。  あの時に焦ればよかったのかもしれないけど、オレは焦ることすらできなかった。  今までぬくぬくとトバとサファテに守られてきた。  妹の本棚になった本の、チートな主人公たちのように、もがいてあがいて劇的に何かをしたわけじゃない。  ただ淡々と日常を送っていた。  そして淡々と日常を送っていた分、確実にこっちの世界に染まっていってしまって、あのころとは全く別のオレになっている。  多分あの頃のオレは細くてインドア派で、現代もやしっ子そのものだった。  知識はあっても使ったことなんてなくて、家事も生活の些事もすべて母親任せだった。  便利な技術に囲まれて、苦労なく過ごしていた。  今のオレは知っている。  火を使うのに、火種がいること燃料がいること。  ものを食うのにも手順が必要だ。  パンを食うのに小麦を育て粉にする。  肉を食うのにけものを育て、屠り、捌く。  安全に暮らすために、害なすものは退治する。  手応えを感じることが当たり前になったように、血を流すことも当たり前になった。  たとえ害獣が親子でも、可哀想のかの字も感じなくなった。  そうか魔獣でも親子っているんだって、そう思っただけだった。  この世界にやってきたあの夏の日に、あの頃のオレは置き去りにしてきてしまった。  もう、元の世界での名前では、誰もオレを呼ばない。  もしも元の世界に帰されても、オレはかえってなじめなくて、トバやサファテが恋しくてどうしようもなくなるだろう。

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