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第7話

士乃はやがて、滝井が熱心に自分の姿をスケッチする状態にも慣れた――そんな間にも滝井は相変わらず、常にサングラスをかけ、帽子を被ったままでいる。 ある日の午後、いつものように食堂で休憩の紅茶を飲んでいたとき、士乃は矢代に訊ねてみた。 「先生は……どうしていつもサングラスかけっぱなしなのかな……矢代さん、なんでか知ってる?」 「先生には訊いてみないの?」 「えっ?ううーん……なんか……訊いちゃ悪いような気がして」 士乃が困って答えると、矢代は下を向いてくすりと笑った。 「あ、矢代さん、こいつ図々しいくせに、って今思ったんだろー?」 「いや……ええと……まあ、そうだけど」 「ちぇっ。事実だからしょうがないけどさ。ただ……どうしてかな、訊いたら先生を……傷つけるような気がしたんだ……」 矢代は暫し沈黙し、士乃の顔を見つめた。 「……思ったより……敏感みたいだね、君は」 「え?」 どういう意味かと士乃が考えていると、矢代は 「先生子供の頃……怪我をされてね。ちょっと傷痕が残ってるんだ。だからああして……隠してるんだよ……」 と言った。 「そうだったんだ……」 答えながら士乃は、怪我って……何があったんだろう……交通事故とかかな……とぼんやり考えた。 「先生」 翌日、手を動かし続ける滝井に士乃は思い切って声をかけた。滝井は昨日までは鉛筆やコンテだけで単色のスケッチをしていたのだが、今日は水彩の筆を手にしている。まだ本番ではないようだが、色をのせてみているらしい。 「先生……そんなメガネかけてて色わかるの?おかしくならない?」 滝井がふ、と笑みを漏らした。 「心配しなくても大丈夫。これは――特殊なグラスでね」 彼はそう言うと立ち上がってイーゼルの前から離れ、椅子に腰掛けている士乃に向かって歩いてきた。目の前に来た滝井を士乃が見上げていると、彼は突然――サングラスに手をかけて外してしまった。 士乃は一瞬、小さく息を飲んだ。矢代は、ちょっと傷痕が残っている、と言った。だがこれは――とてもちょっと――と言える状態ではない。 滝井の右目は――視力は大丈夫らしいが、押し潰れたように半分塞がっている。眉は失われていて、眼窩の周辺の皮膚が、恐らく焼けただれた痕なのだろう、引き攣れて変色していた。痛々しい火傷の痕はそこから上へと続き、ニット帽に覆われた部分まで達しているようだ。 「かけてごらん」 滝井が士乃にサングラスを差し出す。士乃は唇を少し引き締め、微かな手の震えを押し隠しながらそれを受け取った。言われるまま顔にあてがってみる。滝井のサイズに丁度あつらえてあるのだろうか、士乃にはやや大きく手で押さえていないとずり落ちてしまう。その眼鏡越しに周囲を見まわして、士乃は声を上げた。 「あれっ……なんで?」 外側からだとかなり濃い色に見えたサングラスなのに、こうしてかけてみると、そのガラスは完全な透明なのだった。フレームなどが視界を遮ることも無い。 「面白いだろう?」 士乃が返したサングラスをかけながら、滝井は 「特注品なんだ――自分の顔は隠しても、他は隠すことが無いよう作ってある……」 と呟くように言い、絵の前に戻ると再び作業に没頭しだした。 滝井が小さくため息をつき、絵に向かって屈みこんでいた身体を起こした時、士乃は訊ねた。 「見てもいい?」 いつも滝井は終わりにしよう、と告げると同時にスケッチを片付けてしまうので、士乃はまだ滝井がどのような絵を描いているか知らずにいた。それを気にしてはいなかったのだが、今日は何故か――滝井によって画面に写し取られた自分を――見てみたいと感じた。彼が、士乃の前で初めて色を使っていたせいだろうか。 滝井が微かに促すような様子を見せたので士乃は椅子から立ち上がって彼の横に並び、イーゼルの上の絵を覗き込んだ。 滝井の手によって慎重に、薄く色を塗り重ねられたその中の士乃は――実物よりずっと幼く――心細そうに見える。 「俺……こんな泣きそうな顔してるかな」 「ああ」 画家が頷く。 「……それに――こんなに綺麗かなあ……」 ――薄闇のような水彩絵の具の滲みがふわりと広がって作りだした空間に、寂しげにこちらを見返す少年の姿が浮かび上がっている――顔には確かに自分の面差しがあるのだが、それは整いすぎていて――まるで、細部まで気を配って作られた精巧な人形のようだった。 「綺麗だよ。妬ましいくらいにね……」 言われて士乃はややはっとした。思わず滝井を見る。そこにある顔は相変わらず大きなサングラスに覆われているのに、士乃の瞳には彼の隠された傷痕が――はっきりと映し出されたように思えた。

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