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第9話 高校時代 -2-
ある朝のこと――士乃はうっかり寝過ごして、乗るはずのバスを逃してしまった。
次のバスでは間に合わない……ほんの数分の遅刻ではあるが、岩内が――生徒指導の彼は、毎朝校門に立って遅れて登校してくる生徒を見張っている。遅刻すればここぞとばかりに厳しく叱るだろう。士乃であればなおさらだ。罰当番くらいで済めばいいが、なにをさせられるか知れたものではない。
廊下に立たされたり、校庭十周しろとか言われるかもな――。
憂鬱になってきていっそ休んでしまおうと考え、士乃は停留所の列から外れると、なんとなく学校とは反対の方角へ足を向けてとぼとぼ歩き出した。けれど制服のままぶらついていてはまずいだろう。
仕方なしに家へ帰ろうと駅に向かって戻り始めた時、小さくクラクションの音がした――歩道に寄せて停止した車の運転席から後藤が顔を出している。
「初見、どうした。具合悪くなったのか?家まで送ろうか?」
これがもし岩内だったら、例え本当に具合が悪かったとしてもすぐにサボりと決め付けるだろう。士乃は後藤が心配してくれたのが嬉しかったので、正直に答えた。
「ううん、元気だよ。でもバス乗り遅れたから――帰っちゃおうかなと思って」
「だってお前ここまで来――」
言いかけて後藤は気付いたらしく
「あ、そうか。岩内か――」
と少し顔をしかめて呟いた。
「とりあえず……乗りな?」
士乃は乗り込みながら
「先生、車買ったの?」
と訊ねた。確か彼は先日までバス通勤だったはずだ。
「うん。知り合いに安く譲ろうかっていわれて、どうしようか迷ってたんだけど――タイミング良くすぐ近所の貸し駐車場に空きがあってさ、だから思い切って」
「へえ、いいなあ、車――俺も運転してみたいな」
「車好きか、初見は」
後藤の声は優しかった。
「うーんと……車が好きっていうか――どっか行くのが楽しそうだなと思って」
「そっかぁ……じゃあ先生が……どっか連れてってやろうか……」
先生が?一瞬きょとんとして、士乃は横から後藤の顔を見た。
「あ、そうだ!お前このまま乗ってって、正門じゃなくて俺と一緒に職員用の入り口から見つからないように校内に入れば、遅刻した事岩内にばれずに済むぞ」
後藤が愉快そうに言う。
「え!?でもそれ――まずくない?」
「平気さ。担任の俺が言うんだから」
やがて車は校舎の裏手にある職員用の駐車場についた。
後藤は先に降りて辺りを見回している。士乃のために誰もいないのを確かめてくれているらしい。
「大丈夫。おいで」
小声でそう言いつつ助手席のドアを開けた後藤が、ごく自然に士乃の手を取った――士乃は少し驚いたが、おとなしくそのまま後藤に手を引かれ、通用口から校舎の中へ入った。
「うまくいった。誰にも見つからなかったな。この時間なら、岩内まだきっと校門のとこにいるぞ」
後藤は楽しげに笑った。
「先生、共犯だね」
士乃も笑った。
礼を言って士乃はそこから生徒用の下駄箱へ向かい、上履きに履き替えた。振り返ると、職員室へ向かう廊下を歩いて行く後藤が、士乃に向かってこっそりVサインを出すのが見えた。
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