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第25話

次いで士乃が覚えているのは――自分に覆い被さって泣いている滝井の顔だった。 先生、なんで泣いてるのかなあ……士乃はそれを眺めながらぼんやり考えた。俺が泣いた時は、先生が慰めてくれたおかげで元気になった。だから今度は俺が慰めてやらなくちゃ。でもなんて言ったらいいんだろう―― 滝井の泣き顔に向かって士乃が手を差し伸べようとすると、そこには管が繋がれていて、思うように動かずどうしても届かない。もどかしく思って士乃は腕を振り回して管を外そうとし、驚いた様子の滝井に止められた。 「士乃!士乃、目が覚めたのか?どうした、痛むのか?」 「先生……?」 滝井は泣いてはいなかった。辺りは明るくて、消毒薬のにおいがし、白いカーテンが巡らされている――病室のようだ。 「初見くん!」 次いで視界に入ったのは矢代の顔だった。 「医者っ!センセイ呼ばないと!」 矢代は慌てた風に枕元のナースコールに取り付く。 「矢代さん……どうしたの……?新婚旅行いかないの……?」 「とっくに行ってきたよ!」 矢代は士乃に向かって叫んだ。 「え?だって……イタリア十日間……」 「その間ずっと、意識が無かったんだよ、士乃は」 滝井が枕元で、士乃の髪を撫でながら呟いた。 「全く……先生ってば連絡もくださらなくて……!」 矢代が恨めしそうに滝井に文句を言う。 「新婚旅行中のカップル呼び戻すような野暮が出来るか」 「冗談じゃあないですよ!身内同然の人間が生死の境をさまよってたって言うのに、僕ら呑気にお土産なんか選んでたんですから!」 「身内……」 士乃は温かい気持ちになりながら、その言葉を噛みしめるように小さく呟いた後、顔を矢代へ向け 「お土産、俺の分ある?」 と訊ねた。 「あるわよ、ちゃんと」 落ち着いた優しい声が響いて、白衣姿の女性が顔を見せた。どっかで見たことある人だ…… 「呼び戻されても、病室に蒼さんがいたところで役には立たないんだし……容態も一応落ち着いていたからそう判断なさったのよ。先生のお気遣いに感謝したら?」 士乃の手を取り脈を見ている女性の横顔を眺めていて、思い出した。矢代さんの奥さんだ。お医者さんだったのか……そういえば、結婚式の時に聞いたっけ。 「そりゃそうだけど……側に居たかったんだよ!心配してるだけでも僕は気が済むんだから!」 「邪魔なだけだな」 滝井が冷めた調子で言い、矢代が情けない顔をする。士乃はそれを見て笑った。 ――士乃は腰を強打していて、骨折も複数箇所あり、下半身が動かせるようになるには長期間のリハビリが必要との診断だった――士乃を撥ねた岩内は、トラックの横腹、荷台の下にもぐるように突っ込み潰れた乗用車の運転席で、即死状態だったらしい。事故の様子を一部始終目撃した滝井は、あれは自殺で――岩内は、士乃を殺して自分も死ぬ気だったんだろう、と語った。警察の検証でも、ブレーキをかけた様子が見られなかった事からそう結論付けられた。 入院中、滝井は動けない士乃に付きっきりでいてくれた―― ある日、滝井が思い出したようにベッドの上の士乃に向かって言った。 「……お前の馴染みの場所か知らんが、もうあの界隈へは近寄らない方がいいと思うぞ。行くと必ず怪我させられるんだから。鬼門だ」 「でも、そういう訳にもいかないんだよ。渡りつけとかないとならないから……」 「渡り?」 「友達って言っても繋がり浅くてさ、ずっと顔出さないままだと忘れられちゃうんだ……戻った時に泊めてもらえるとこがなくなっちゃう……」 「それで……あの時もあそこに寄ったのか……」 滝井は呟いた。 「うん」 「もう行っちゃ駄目だ」 静かに、だがきっぱりと滝井が言う。 「そういう事ならもう……行く必要は無い。士乃はずっと――私の所にいるんだから」 士乃は思わず滝井の顔を見直した。それって……?でも――――でも、リハビリも時間かかるし、治っても……元通り下半身がちゃんと動くかわからないってお医者さんが言ったよ……前みたいなモデルは……もう無理かもしれないよ?」 「構わない」 滝井が答える。 「士乃に意識が無かった間、考えてたんだが――式場で会った、お前が最初に好きになったという相手の話――」 「後藤先生?あの話が……どうかした?」 滝井は士乃を見つめながらゆっくり言った。 「女相手に勃たない男と結婚する女がいるんだから……男相手に勃たない男と付き合う男がいたって良い……そうは思わないか?」 士乃はじっと、滝井の顔を見つめ返した。右目が半分潰れかけ、皮膚は変色して引き攣れ――痛ましい傷痕の刻まれた、士乃にとって――もっとも愛しい顔。彼にこの傷が無かったら、士乃とこうして出会うことも無かっただろう。これは、目印なのかもしれない。士乃が彼を、見つけ出すために付けられた―― 「うん……」 士乃は頷いて答えた。 「うん、そういう男がいても――いいと思う――

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