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第11話 ネガティブ勇者、食に感動する

「そういえばナイ様、お腹は空きませんか?」 「え? えっと……」  ナイは今まで空腹を訴えたことがない。  元の世界での食事は学校の給食くらいで家では親が残した残飯をたまに貰えるくらいだ。  いちいち空腹に悩まされていては精神が保てない。だからナイはそんな生活の中で食欲というものを自分の中から切り離してしまった。  勿論、生きていく上で腹は減る。だけどナイの体はそんな生活を長いこと続けてしまったせいで感覚がマヒしてしまった。  お腹が空いても食欲がないから食べなくても平気。そう体が認識するようになっていた。  だからお腹が空いていないかとレインズに聞かれて困ってしまった。  そんな風に聞かれたことなんかない。今自分が空腹なのか、食欲があるのかどうかも分からないのだ。 「……よかったら、一緒に夕食を頂きませんか? いま部屋に持ってこさせますので」 「……は、はい」  ナイが困っているのに気付いたレインズは、半ば強引に食事を共にすることを進めた。  レインズには彼の過去がどういうものか分からないが、素直に自分の気持ちを言える正確でないことは察した。  この世界に召喚されてから彼は水すら口にしていない。何かを求めるようなことを口にしないのだ。  彼から言えないのであれば、こちらから何が欲しいのかを言えるように促すしかない。 「嫌いなものとかありませんか?」 「た、たぶん……」 「ではアインに軽食を用意してもらうので、少々お待ちください」  アイン。ナイが召喚されたとき、レインズと一緒にいた従者だ。  馬車の中でレインズに悪態をついたことで彼のナイに対する第一印象は悪い。ナイ自身もずっと睨まれていたなぁということくらいしか覚えていない。  レインズが言うには彼は幼い頃からずっと自分に付いてくれている従者で、世話役や補佐官のような存在らしい。 「彼には世話になりっぱなしで、本当に助けられてばかりなんですよ」 「そう、ですか」  それなら余計に嫌われているんだろうな。ナイは馬車でのことを思い出す。  レインズは気にしていないが、アインの刃物のような鋭い視線は明らかに敵意を持っていた。  嫌われることに慣れてしまったナイはそのことに関して特に気にならないが、アインの機嫌を損ねることで主人であるレインズからの印象まで悪くなるのは困る。  これ以上は嫌われないようにしたい。だが人と接すること、マトモな会話もしてこなかったナイに人と上手く交流していくことは難しい。 ーーー ーー 「失礼致します」  ドアがノックされ、食事の乗ったワゴンを持ってきたアインが部屋に入る。  テキパキとテーブルの上に食事を用意していく。誰かに何かしてもらうなんてことがなかったナイは、自分も手伝わなくていいのだろうかとそわそわして落ち着かない気持ちになった。 「お待たせしました」  アインが頭を下げて、レインズの後ろへと立つ。そして流れるような動作で椅子を引き、着座させる。一つ一つに無駄のない動き。  まるで絵に描いたような貴族の風景。ナイには遠い世界すぎて呆然とその様子を眺めることしか出来なかった。  ナイは普通に自分で椅子を引いて席に着き、目の前のクローシュで蓋された食事をどうすればいいのか悩む。  テレビや本の中でしか見たことのない銀の蓋。これは勝手に開けていいものなのだろうか。ナイが困惑していると、レインズがアインに視線を送った。  アインは仕方ないという表情でナイの方へと向かい、クローシュを外した。 「……っ!」  開けた瞬間に広がる、鼻腔を刺激する香り。  お皿の上に綺麗に盛り付けられたのは、サンドイッチ。それから野菜たっぷりのスープ。  今まで食とは縁のない生活をしていたナイだったが、その香りを嗅いだ瞬間に腹から空腹を訴える音が聞こえてきた。  その音にレインズは少し驚いた表情を浮かべ、クスッと微笑んだ。 「どうぞ、召し上がってください」 「す、すみません……えと、いただきます」  恥ずかしくて逃げ出したい気持ちもあるが、目の前のサンドイッチには興味がある。  食べなくても匂いだけで美味しいんだろうというのが伝わる。  作法は分からない。  マナーがどうと言われても教えられてないことは出来ない。ナイはサンドイッチを手で掴み、一口かぶりついた。 「……っ」  ナイは初めて食というものに感動した。  甘辛いソースが香ばしいパンの間に挟まったしっとり焼き上げた鳥の肉に絡んで、噛んだ瞬間に肉汁が口の中に広がる。  新鮮な野菜のシャキシャキ感。トマトに似た野菜の青臭さもソースとマッチしていて、さらに食欲をそそらせる。 「……おいしい」  ナイが小さくそう呟くと、真っ黒な瞳からポロポロと大粒の涙が溢れ出した。  止まらない涙。それでも食べ続けるナイに、レインズとアインは唖然とするしかない。 「ナ、ナイ様? お口に合いませんでしたか?」 「……ち、ちが……くて……」  ナイは横に首を振り、鼻をすすりながら口に入れたサンドイッチを飲み込む。 「ご、ごはん……美味しいって、思ったの……は、はじめて、だったから……」  そう言いながら、ナイはサンドイッチを頬張る。口いっぱいに詰め込んで、涙と一緒に飲み込んでいく。  レインズは、ナイの言葉の意味が分からなかった。食事を楽しむこと、美味しいものを口にすること。それが当たり前だったから。  だけどナイは違う。食事はしなくてもいいと思い続けて生きてきた。  食という娯楽を楽しむ余裕はなかった。  だけど今、自分のために用意された食事を口にして、生まれて初めて食べ物を美味しいと感じた。それがどれほど嬉しいことか、レインズが理解することはないだろう。  だが目の前で泣きながらサンドイッチを食べるナイが、自分の当たり前とは異なる生活をしていたのは今までの振る舞いで十分に理解できる。 「…………落ち着いて食え。誰も取らない」  そう言ったのは、アインだった。  話しかけられると思わなかったナイはほんの少し驚いた。  冷たい言い方ではあったけど、そこには確かにナイへの気遣いが感じ取れるものだ。 「……アインの言う通りです。ここでは礼儀や作法を気にする人もいません。ナイ様のペースで、ゆっくり食べてください」  レインズが微笑んで、サンドイッチを口にする。  ナイは袖で涙をゴシゴシと拭い、一口一口、ゆっくりと味わって食べた。

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