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 はたして翌朝。  不安ではちきれそうな心臓をおさえながらいつもの時間にいつものバス停へ行くと、相変わらず男はオレンジ色のベンチに座ってパンにかじりついている。だが今朝は、近づいてくる悠介に気づくと、いつも遠くに向けている視線を向けてきて、にこりと笑った。 「おはよう」  シャベッタ! と、なぜか片言で脳内の自分が叫ぶ。やはりどこか女性的な見た目に反して、低く落ち着きのある声だった。 「お、はようございます」 「これ、ありがとう」  鞄の影から昨日の手提げ袋を取り出す。手渡されたその軽さから中身が空であることが窺えて、悠介は目を輝かせた。 「おいしかったよ」  そう言って男は、目を細めて笑う。  その瞬間。悠介と男の周囲にぶわりと花が舞ったような錯覚に陥った。おいしかったよ、おいしかったよ……。その言葉が脳内で何度もリフレインする。食べてくれたという感動。そして男の笑顔の眩しさに、悠介は頭がくらくらしてしまった。 「あの、昨日は突然すみません。俺、毎朝ここで一緒になって……」 「うん、知ってる」  どうやら一応認識はされていたらしい。そもそもこの時間帯にこのバス停を利用するのが悠介と彼だけなので、認識されていないほうがおかしいのだが。当然のことなのに、彼が自分のことを知っていてくれたという事実が悠介は嬉しかった。その喜びが、悠介をより大胆にさせる。 「あの、名前っ。名前聞いてもいいですか」  前のめりで聞いてくる悠介の勢いに男は一瞬ひるんだが、すぐに少し困ったように笑った。 「里田。里田透だよ、和田くん」 「里田さん。……透さん。って、え、何で俺の名前」  男、透の指が悠介の胸元を指す。学ランにしっかりと「和田」と刻印されたプラスチック板が縫い付けられていた。いたずらっぽく笑うその顔も、ほっそりとしたその指も、ずっと「普通」だと感じていた印象からは少しはみ出していて、心臓がドキドキした。 「和田、なにくん?」 「ゆ、悠介です。和田悠介」 「悠介くん。本当にお弁当ありがとう」 「あ、あ、あ、あのっ、透さん! また作ってきてもいいですか?」  透は一瞬虚をつかれたようにキョトンとしたが、すぐに笑ってうなずいてくれた。笑顔の似合う人だ、と悠介は思った。 「ぜひ喜んで」  その返事と同時に悠介の学校へ向かうバスが曲がり角を曲がってやってくる。透に手を振って乗り込んだ。春の木漏れ日のように温かい笑みで手を振り返してくれる透の姿が眩しかった。  その日浮かれた頭で一日を過ごした悠介は、帰宅して己の弁当箱と透から返ってきた弁当箱を洗おうと中を開き、もう一度舞い上がることになる。透の弁当箱は既に洗ってあった。それは想定内だった。しかしその中に、可愛らしいクマちゃんのメモ紙と、一粒のチョコレートが入っていたのには心を鷲掴みにされた。チョコレートは何やら難しい英語(と思ったのだが後で父に見せたらイタリア語だった)がプリントされた銀紙で包まれている。高そうだ。そしてメモ紙のほうにはお世辞にも綺麗とは言いがたい字で「ごちそうさま。おいしかったです」と書かれていた。ちゃんと「大人」然としている見た目と、その字とのギャップがおかしかった。

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