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「じゃんっ。今日は豆腐ハンバーグです」  それから悠介は度々ふたり分の弁当を持ってバス停に行くようになった。学校のこともあるので毎日とはいかないが、週に三回は作れるように心がけている。それを透は毎回花の綻ぶような笑顔で受け取る。その瞬間が、たまらない。 「うわあ、手作り? すごいね悠介くん」  バスを待つ間、透と過ごすその時間は長くない。悠介が弁当を渡し、透が前日の弁当箱を返し、メニューについてや悠介の学校についてなど、少しだけ言葉を交わす。それだけだ。だがそのささやかな交流が、悠介の日常を少しだけ明るくしてくれる。  また、弁当箱を返す際に透が必ず入れてくれるメモとお菓子も大切な交流のひとつだ。透は毎回異なるお菓子をひとつ入れてくれた。チョコだったりクッキーだったり他愛のないものばかりだが、どれも見たことののない包装紙に包まれている。もったいなくて食べられないそれを机の引き出しにしまうとき、何とも言えない穏やかな気持ちになる。だがそれと同時に、子ども扱いされていることへのちょっとした不満も覚える。  そんな悠介の複雑な心境を知ってか知らずか、透はパンを食べていた手を止めると、ふと顎に手を当てて考え込む。 「でも、いつも僕ばかり作ってもらっちゃって悪いな」 「透さんだってお菓子くれるじゃん」 「全然釣り合ってないよ」  透はそう言うが、そもそも弁当作りは悠介が勝手にやっていることなのだ。対価をもらうどころか、気を遣われる覚えもない。しかし「大人」はそういうところが気になるのかもしれない。その、ちょっとした意識のズレに悠介は苛立った。他人行儀な透にではない。大人の目線を持っていない自分に対してだった。 「じゃあ今度なにかごちそうしてよ。透さんの好きなもの」 「ごはんってこと?」 「え、うん」  そう来るとは思っていなかったのか透は一瞬キョトンとしたが、すぐに頬張っていたパンを膝に置くと、ビジネスバッグの中から手帳を取り出す。パラパラとめくりながらうんうん唸っているのを見て、悠介は少しだけどぎまぎしてしまう。透の手の中にある深緑の革表紙の手帳。はじめて見る、彼の私物だ。いつも弁当箱に入れられるメモ帳はクマやらウサギやらのファンシーなものが多かったので、そういう大人っぽいものも持っているのかと思うとドキドキする。  つい手元に目がいってしまう。細い手首に嵌められた腕時計を見て、あ、左利きなんだな、なんて考えていれば、ぱんっと勢いよく手帳が閉じられる。 「来月になるけど、いい?」 「えっ」  何と返事をしたものか咄嗟には浮かばなかった。はじめに頭に浮かんだ言葉は、「遠い」だった。今日は六月の第一週。来月というと少なくとも三週間はある。今週か、せめて来週くらいを見越して「今度」と言ったつもりだったが、大人は違うのだろう。社会人は忙しいのだ、身軽な自分とは違って。そんな感傷を覚えると同時に、しかし、何気なく言った誘いに二つ返事で乗ってくれたという喜びも湧いてくる。透は少なくとも、プライベートな時間を過ごすことに抵抗ないくらいには悠介に気を許してくれているのだ。ならばその厚意に乗ってやろうではないか。 「うん。いい、待てる。めっちゃ楽しみ!」  拳を固く握り締めて言えば、透があははと声をあげて笑う。そのように声をあげて笑うところははじめて見た。本当に、日々新しい透を発見する。それと同時に、未知の自分にも。こんな風に他人のことで一喜一憂する自分を、悠介はこれまで知らなかった。  三週間前、悠介は九年間に渡る野球人生を終えた。黒瀧西高校野球部は、地区大会二回戦敗退という凡庸な結果を残し、三年生の引退を迎えた。ストライク、バッターアウト。審判の拳が高々と掲げられた瞬間、仲間たちは泣き崩れた。悠介はそれを見ても、何も感じなかった。ああ、終わったんだなあと思っただけだ。  小三から九年間続けてきた野球部を引退したのだ。やり切ったという達成感はあるし、使い込んだぼろぼろのグローブを見れば感慨深いものはある。だが、その程度だ。他の三年生のように県大会へ進めなかったことを嘆く気持ちも、生活の一部であった野球から離れたことによる喪失感もなかった。一言で言えば、淡白。自分のそういう性質を悠介はよく自覚していた。  その悠介が、どうしてだかこんなにも透のことには熱くなる。彼が笑えば胸が温かくなるし、その細すぎる体を見ると悲しくなる。  何が自分をそんな風にさせてしまうのか。そう自問自答するときいつも思い浮かぶのは、花が綻ぶような透の笑顔だった。

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