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「ベーキングパウダー小さじ二分の一……」
無骨な手で、小さなさじや計量カップを器用に操る。その眉間にはこれでもかというほど皺が寄っていた。目は手元のボウルとテーブルの上のレシピ本の間を何度も往復する。たちこめる甘い匂いをかぎつけたのか、弟の洋次がのたのたとキッチンに入ってきた。
「悠にい、何やってんの」
「お菓子作り」
「ふうん。ついにそこまで手を出すようになったか」
天板に並んだ直径五センチほどの丸い物体たちを見て、洋次がぽんと手を打つ。
「クッキー?」
「まあ、クッキーといえばクッキー」
それとは別で作ってあったガナッシュを取り出し、小さく千切って生地に載せていく。その上から別の生地をかぶせて端をむにむにとつなぎ合わせてやれば、まんじゅうのように中に包み込むことができた。
「ええ……めちゃくちゃ凝ってる……」
「まあな」
昔から悠介は、何をしても大体のことはそつなくこなした。完璧といえるほどではないが、合格点がもらえる程度の出来栄えで何でもやってみせる。だからこそ、何にも打ち込めなかったのかもしれない。それなりに頑張って、それなりの成果を残して。できないといえるほど苦手なこともないけれど、これが得意だと誇れるほどのものもない。強いて言えば料理くらいだ。しかしこれとて、他の男子高生に比べればというくらいで、一般の主婦程度の腕だ。これまでは、それでよかった。なのに。
(どうして今、こんなに熱くなっているんだろうか)
ついに、今までやってこなかったお菓子作りにさえ手を出している。レシピと睨めっこし、慣れないはかりや小さじと格闘して。らしくないと自分でも思う。だが、そんな「らしくない」自分も悪くない。何かに打ち込むということは、楽しかった。
全て包み終わり、余熱してあったオーブンにそっと入れる。レシピを見ながら焼き時間をセットして、さすがにひと息つくかと伸びをして、いまだキッチンの入り口に立っている弟に気づいた。
「そこにいられると出られないんだが」
「悠にいさあ、彼女できたの?」
「はっ?」
投げかけられた言葉が思いがけなさすぎて、変な声が出てしまった。洋次はなぜだか憮然とした顔で、そんな兄を睨みつける。
「だっておかしいじゃん。最近弁当ふたつ持っていくし、なんでかクッキーなんて焼いてるし。それに、このところ妙にウキウキしてる。彼女じゃなかったら何なんだよ?」
ウキウキしていたつもりはなかったが、それ以外は事実である。洋次が同じような行動をしていたら、確かに悠介も彼女ができたのかと思うだろう。
さて。本当のことを言うか、彼女ができたと嘘をつくか。一瞬の逡巡のあとに悠介が選んだのは、「曖昧にごまかす」という最も泥沼に近い道だった。
「あー、彼女ってわけじゃないけど、ちょっと気になる人がいるっていうか」
「気になるって、好きってこと?」
「違う違う、男だし」
「男っ? 男相手にクッキーとか作ってんの? はあ?」
選択を誤ったようだ。なぜか涙目になっている多感な年頃の弟とぎゃあぎゃあ言い合っているうちに、先程からかぐわしい匂いを漂わせていたオーブンレンジがピーピーと呑気な声をあげた。
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