8 / 22
3-1
その後も悠介はせっせと透に餌を運び。
「今日はだし巻き卵です!」
「つくねハンバーグですっ」
「今日のおまけはマカロンですよ」
透はそれに毎回花の綻ぶ笑顔で応じる。
「うんうん、悠介くんのだし巻きおいしいよね」
「わあ、手作りのつくねってはじめて」
「えっマカロンって作るの難しいんじゃ……悠介くんはすごいなあ」
透の体重も増えたり減ったりし、悠介の机の引き出しには勿体なくて食べられない小さなお菓子が増えていく。
そんな日々を重ね、ついに七月最初の土曜がやって来た。食事に行く約束の日である。
「なあ洋。兄ちゃん変じゃないか?」
「変。おもに頭の中が変」
相変わらず可愛くないことを言う弟にヘッドロックをくらわせたあと、もう一度玄関の全身鏡で身だしなみを整える。いつもジャージかTシャツジーンズばかりなので、おしゃれなんて分からない。自分の所持している中で一番状態の良いものを選んだのだが、なかなか様になっている気がする。足元がスニーカーなのは仕方ない。
鏡の前で、よし、と気合を入れていると、リビングと廊下をつなぐドアのところから顔だけを覗かせた洋次がじとっとした目でこちらを見ている。
「……やっぱり彼女じゃん」
「違うって言ってるだろ。前に言った男の人だよ」
「絶対うそだっ。悠にい友だちと出かけるときはジャージじゃん。なのに鏡とか見ちゃって、絶対彼女だ! お父さーん、悠にいが彼女とデートだってえ!」
「ばかっ。疲れてるんだから父さんを起こすなっ」
二階に向かって大声を出した弟をいさめるが、時すでに遅し。「なにっ」という寝起きの声のあとに慌ただしく階段を下る音がして、それが玄関に到達する前に悠介は逃げた。
大人は休日でも五分前行動が体に染みついているらしい。約束の時間より早くたどり着いたのに、透は既にそこに到着していた。
毎朝会うバス停の裏にあるコンビニ店の駐車場。白のコンパクトカーにもたれかかっている透は、当然だが私服だ。初めて見たその姿に、悠介の心臓は簡単に心拍数を上げる。
水色と白のボーダーシャツの上にグレイの五分丈の上着を羽織り、下は黒のスキニージーンズ。脚の細さが際立つ。全体的にラフな格好だが、足元は悠介のようなスニーカーではなくしっかりした素材のショートブーツで、やはり大人なのだ、と少し悔しい。
「あ、悠介くん。早いね」
小走りで駆け寄ってくる悠介に気づいて、ぱっと笑顔を向けてくる。ああ、今日も眩しい。
「待ってたでしょ。すみません」
「ううん、大丈夫」
近くに寄ると、そこまで背が低くないことに少し驚く。そういえばこれまで、座っている姿しか見たことがないのだ。華奢すぎるせいで小柄なイメージが定着してしまっていたが、百七十五センチある悠介と、五センチくらいしか違わないのではないだろうか。
「ん、何?」
つい頭のてっぺんから爪先まで舐め回すように見てしまって、透に首を傾げられる。少し長くなった黒髪がさらりと揺れる。その顔には苦笑が浮かんでいた。
「えっ? あ、立ってる透さんを初めて見たので、その」
「ええ? 何それ、僕がすっごいものぐさな人みたいじゃない」
「だっていつもベンチに座ってるところしかっ」
言いかけてはっとする。こんなの、透の色んな姿が見れて嬉しいということを暴露しているようなものだ。でも、しかし。次々湧いてくるこの感情を抑えきれない。私服の透。立って話している透。
(一日もつかな、俺……。)
すう、はあ、と深呼吸をしてみるが、全く落ち着かない。むしろ新鮮な酸素に心臓が喜んで、より激しく鼓動を刻んでいる気がする。明らかにそわそわとしている悠介を見て透はくすくすと笑い、車の助手席のドアを開いた。
「じゃあ、どうぞ」
「え、車で行くの?」
「うん。いや?」
「ううん、お邪魔しますっ」
車内は綺麗に整頓されていた……と思ったのだが、後部座席に大きめの紙袋があり、その中に色々なものが詰め込まれている。慌てて片付けたのかもしれない。
透が隣に乗り込んでシートベルトを締める。そのとき、かすかにだが煙草の香りがした気がした。意外だな、と思うが嫌ではない。
「透さんって煙草吸うの?」
「え、吸わないよ。ああ、会社の人を時々乗せるからかな。匂う?」
「ううん、大丈夫」
そう、と言って車が動き出す。どこへ向かうのかは聞いていないが、聞かないのも面白いかと思って黙っていた。車は住宅街を抜けて環状線へ乗るらしい。ハンドルを握る手の細さや、車の行き来にあわせてくりくりと動く眼球を見ているだけで飽きなかった。
ともだちにシェアしよう!