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 透に会えないまま夏休みに突入した。  どうにか連絡が取れないかと考えたが、実は彼のことを全然知らないということに気が付いて悠介は愕然とした。連絡先はおろか、住んでいるところ、会社の名前。それどころか、よく考えたら年齢すら聞いていない。 (――いや、待てよ……。)  今までに聞いた話をつなぎ合わせれば、勤務先くらいは分かるのかもしれない。ならば善は急げだ。  何やらゲームの動画を見ていた弟を椅子から蹴落とすと、リビングのパソコンを占領して手元にある情報を打ち込んでいく。途中で弟に噛みつかれたが、某高級アイスクリームの抹茶味で買収した。 (――市、桜木町、何だっけ、コン、あ、これか。コンサルティング……)  検索結果の一番上に表示された会社の名前をクリックして、「アクセス」タブから地図を開く。すぐ近くに、バス停のマークがあった。だが早合点はしない。別のタブでバスの路線図を開き、比較する。悠介と透の利用するあのバス停からの直通があった。間違いない。この会社だ。社名と位置を素早く携帯でメモすると、キャップをかぶって家を飛び出した。  体育の授業を除けば、体を動かすのは野球部を引退して以来三ヵ月ぶりだ。簡単に上がる息に辟易しながらも、自転車をこぎ続ける。よりによってひどく日差しの強い日で、信号で止まるたびに全身から汗がどっと噴き出した。そんな状態で三十分も走り続けただろうか。辺りは街中といった雰囲気で、オフィスビルや商業施設が立ち並んでいる。その中から目的のビルを見つけ出すのは大変な作業だった。 (桂坂コンサルティング……ここかな)  小さなビルがひしめき合う界隈の中でも一際小さなビルに、その看板は掲げられていた。なるほど、こんなビル密集地帯では車通勤不可というのも分かる。左手首にはめた時計を見れば、時刻は午後三時四十分。ここが透の職場だったとして、まだ仕事中だ。見越して勉強道具を持ってきていた自分をほめてやりたい。ちょうど四車線の道路をはさんだ向かいにファストフード店がある。その窓際の席で待つことにした。  学校の宿題をやっていれば、待つのなどあっという間だと思っていた。しかし、いつ透が出てくるともしれない、いや、そもそも本当にあの会社で合っているのかもわからない。気になることが多くて集中できず、ソワソワと過ごす三時間はひどく長く感じられた。  夕方六時半。そろそろ店員の目が痛く感じられ始めた頃、「桂坂コンサルティング」のビルからぽつぽつと人が出てき始める。悠介は慌てて荷物をまとめ、店外へ飛び出した。  車道を渡り、隣のビルの影に隠れて様子をうかがう。ちょうど近くに車が一台路上駐車していて、何だか見咎められているようで居心地が悪い。しかし、五分も経たない頃だった。いつものようにスーツに身を包み、少し疲れた顔の透がビルから出てきた。一週間ぶりに見る姿に胸がぎゅっとなる。やはりここだったのだと歓喜すると同時に、半袖のシャツからのぞく腕が一層細くなったように見えて、胸が痛む。今もまた、あのパンひとつで命をつないでいるのだろうか。それとも、もしかしたらパンすら食べられていないのかもしれない。その姿が痛ましすぎて、声をかけるのが一瞬遅れてしまった。 「あ、透さ……」  呼びかけようとしたとき、先程から歩道に寄せて路上駐車していた車のドアが急に開く。透は、迷わずそちらのほうへ歩いていく。そして、中にいるであろう人物に声をかけた。 「ごめん。待ったかい」  悠介に語りかけるときと同じ、柔らかくてあたたかみのある声だった。中から男の声が応える。 「いや、いい。早く乗れ、帰るぞ」 「うん」  慣れた様子で透が助手席に乗り込み、車が発進する。電気自動車なのだろう、ほとんど音もたてず悠介の目の前を横切っていく。  運転席の人物はよく見えなかったが、若い男だった。助手席の透は疲れているのか、目を瞑っていて、悠介に気づくことはなかった。車の後ろ姿が遠くなるのを、呆然と見送ることしかできなかった。

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