13 / 22

4-3

 帰宅した悠介はまっすぐ自室に向かうと、ベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。頭の中には、親しげに話す透と男の声が何度も響き渡る。 (帰るぞ、って言ってた)  では同じ家で暮らしているということだ。  家族、ならば普通のことだ。だが実家はこちらではないと言っていた。友人、ルームシェア。まあなくはない。マイペースな透が他人と暮らせるのだろうかという心配はあるが。それから、――恋人。同棲。 (いやいやいやいや男だし)  しかし、と苦笑いをひっこめる。自分だって男だが、男の透に恋をしている。これまで男が好きだなんて自覚したことはないのに。透だから好きなのだ。大人なのにどこか抜けていて、隙だらけで、そして花のように笑う透だからこそ。だが、それが悠介だけではなかったことだってあり得る。あんなに魅力的な透を放っておかなかった輩が、悠介の前にいたっておかしくはない。 (元々は透さんに会いに行ったんだ。もう一度行って、本人に直接聞けばいい)  腹を決めて部屋を出ると、階段の下に弟が立っていた。何やら不安げな顔をしている。 「何だよ。邪魔なんだが」 「悠にい。晩ごはんは?」 「あ。」  今日も明日もレトルト決定らしい。  透の大体の終業時間は分かったが、毎日同じとは限らない。今日は五時から張り込むことにした。昨日と同じファストフード店の窓際の席から、ビルの入り口を見張る。  「桂坂コンサルティング」から人が出てき始めたのは、やはり六時を回った頃だった。勉強道具を仕舞い込み、昨日と同じ隣のビルの影で透を待つ。今日も少し疲れた様子の透が出てきたのは、丁度十人目だった。  近くに昨日の車の姿がないことを確認して、素早く歩み寄る。悠介のいるビルとは反対のほうに歩き出したその汗中を追いかけ、折れてしまいそうだといつも思っていた細い腕を、背後からしっかりとつかんだ。 「っ?」  ギクリと肩を跳ねさせて透が振り返る。それはそうだ、道でいきなり腕を掴まれたら誰だってそうなるだろう。だが振り返って悠介を視認した瞬間、より一層驚きに目を丸くした。 「悠、介くん?」 「お仕事おつかれさま、透さん。久しぶりだね」  どうしておまえがここにいるのかと透の戸惑いがちな目が告げているが、その仔細を話す気にはなれない。通行人の邪魔にならないように歩道の端に寄ると腕を離す。ものの数秒掴んでいただけなのに、少し赤くなってしまっていた。 「どうしてここが……」 「透さん。俺に隠してることあるでしょ」  遮って言ってやれば、透は分かりやすく目を逸らした。そんなの、肯定したようなものだ。 「何も……」 「ねえ、昨日迎えに来てた男の人誰?」  今度はもっと分かりやすかった。透の顔がざあっと蒼褪める。赤い唇や、細い指先が小刻みに震え出す。その様子は、一週間前にパーキングエリアのトイレで嘔吐してしまったときのそれに酷似していた。まさか、と、嫌な予感に胸が騒ぐ。 「もしかして、あの人に嫌なことされてるんじゃないの?」 「ちがっ……」  否定の言葉を口にしかけて顔を上げた透の瞳は、困惑と恐怖に潤んでいる。そんな顔をされたら放っておくわけにはいかない。絶対にこの人を守らなくてはと思わずにはいられない。それを透は分かっているのだろうか。 「責めてるわけじゃないよ。透さんを助けたいんだ、俺」 「っ……、ご、ごめん。僕、バスの時間が……」 「え? 透さん最近バス停来ないじゃん」 「ひとつ前の停留所から……、って、あっ」  悠介を避けていたと認めたようなものだ。はあ、と悠介はため息をついた。腹が立つ。避けられていたことにではない、透の迂闊さにだ。こんなに隙があってどうするのだろう。誰にでも簡単に付け込まれてしまう。心配すぎて放っておけない。 「ねえ誤魔化さないで。俺の質問に答えて」 「本当に時間がまずいんだ、遅くなったら、その、怒られるから」 「……昨日の人に?」 「……」  黙り込んでしまう。本当は今日話をつけるつもりだったが、このままでは透は決して話さないだろう。それにあの男に透が「怒られる」のは困る。可哀相だ。 「じゃあ大人しく引き下がるから、必ずあとで連絡くれる?」  あらかじめ用意しておいたメモを、透のシャツの胸ポケットにねじ込む。悠介の連絡先が書いてある。  透はわずかに戸惑った顔をしたが、すぐに小さくうなずいてくれた。 「少し待たせるかもしれないけど、必ず」 「うん。信じてる」  バス停のほうへと小走りで駆けていく後ろ姿を見送った。あの男が待つ家へ帰るのかと思うと、その背を捕まえて引き留めたくなる。だけれど悠介にはまだそれは許されていない。そう、まだ、だ。絶対に透をあきらめない。強い思いが、胸に生まれていた。

ともだちにシェアしよう!