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「ええと、C病棟の、三〇一……」
教えられた部屋番号を確認しながら、広い病院内を彷徨い歩く。そこかしこに案内があるのだが、それでもなかなかたどり着けない。見かねて病院スタッフが声をかけてくれるほどに迷ったあと案内されたそこは、誰がどう見ても個室だった。
もしかして部屋を間違えたのではないかと心配になるが、スライドドアの横にある小さなプレートには確かに『里田 透様』の字がある。恐る恐るドアをノックすれば、中から「どうぞ」と眠たそうな声がした。
ドアを開けた瞬間、飛び込んできた白に目を細める。室内は光で溢れていた。清潔な白に囲まれた個室。南向きの窓からふんだんに入る日差し。その中で、ベッドに横たわりながらもふんわりと微笑む透が何よりも眩しく、――綺麗だった。
「ごめんね。こんなところまで来てもらっちゃって」
儚く笑む透は、前に見たときよりは少し体調がよさそうだ。相変わらず腕も首も胸も細く薄っぺらだが、それでも頬は血色が良い。右腕から点滴のチューブが伸びているのだけが痛々しかった。
「う、ううん。どうせ夏休みで暇だし」
はい、と手に持った包みを手渡す。途端に透の顔がぱあっと輝いた。
「わあっ、悠介くんのお弁当何週間ぶりだろう。ねえ、食べてもいい?」
もちろん、とうなずく。時刻は十三時を少し回ったところで、病院ならばとっくに昼食の済んでいるはずの時間だ。だがその様子からして、きっと食べられなかったのだろう。包みを解く透の横顔は誕生日プレゼントを開ける子どものようにキラキラとしていて、直視に堪えない。
ぱかっ、と小気味いい音を立ててフタが開かれる。中から出てきた色とりどりのおかずに、透が「おお……」と感嘆の声を上げる。
「ちゃんとちくわも入ってる」
「ちゃんとちくわも入ってます」
苦笑してベッド脇のパイプ椅子に腰かける。なんだか、以前に戻ったようだった。毎朝バス停で他愛のない話をした、何も知らなかったあの頃。その間も透は恋人の料理を食べられない苦しみに耐えていたというのに。
「じゃあ、えへへ、頂きます」
両手で箸を挟んでぺこりと頭を下げると、まずはサバの味噌煮に箸をつける。不器用な箸遣いでなんとか持ち上げて、小さな唇ではむっと挟む。透の食べ方がへたくそな理由が分かった。一口が小さすぎるのだ。
それからわかめご飯を一口頬張り、リスのように頬を丸くして咀嚼する。ちゃんと食べられるかハラハラと見守っていた悠介だが、コクリと細い喉が上下して、栄養が透の体内へ取り込まれていくのを見ると安堵のため息をついた。
「……おいしい」
噛み締めるように言って、ふわりと笑う。ああ、と悠介は思った。ああ、やはりこの笑顔が好きだ。特段美人というわけでもない、二枚目というわけでもない。だけど、春の日差しのように柔らかく笑う彼が好きだ。
「ふふ、僕の好きなものばっかり」
ちくわのきゅうり詰め、蓮根入り豆腐ハンバーグ、ブロッコリーとゆで卵のサラダ。ゆっくりだが、よどみなく次々と平らげていく。病院食が食べられなかった人の食欲とは思えない。ひとつ口にするたびにおいしいおいしいと喜び、本当に心から嬉しそうに笑う。
――いつも、こんな風に食べてくれていたのだろうか。悠介が学校で友人たちとくだらない話をしながら己の弁当をつついているとき、同じものを透も、こんな満ち足りた顔で食べてくれていたというのだろうか。
そう考えればもう、頭が正常ではいられなかった。自分の顔は今きっと真っ赤に違いない。高まりすぎた気持ちがこれ以上溢れてしまわないようにと、二段重ねの弁当を攻略している透から目を逸らす。ベッドサイドの冷蔵庫と棚を意味なく眺めながら、個室は設備も立派だなあなんて思っていたら、わずかな異音に気づく。
音は、透のほうから発生していた。不審に思って思わず目をやり、――その目を見開いた。
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