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6-1
遼太郎と話がしたいという悠介を透は拒みはしなかった。一度帰宅して父と弟の夕飯を作り置きし、病院に戻る。とうに面会時間は過ぎて、夜七時。窓の外が真っ暗になってようやく、病室のドアがノックされる。
のんびりと過ごしていた悠介と透の間に、緊張が走る。悠介は広げていた問題集を閉じると、椅子から立ち上がってドアのほうへ向き直った。
「はい。どうぞ」
固い声で透が言うと、あくまで静かにドアがスライドする。そこに立っていたのは、いかにも完璧と言った感じの隙のない男だった。
学校内では体格が良いほうである悠介よりも背が高く、しかし悠介のように筋肉質ではなくすらっとしている。ひどく均整の取れたそのスタイルに合うような細身のスーツはどう見ても高そうだし、長すぎず短すぎない黒髪も、ビジネスマンといった風にしっかり整えられている。そして何よりその顔だ。どこの芸能人だと言わんばかりに整った顔をしている。彼が、「遼太郎」。透の恋人。
どこに出しても不安な透と、どこに出しても大丈夫そうなこの男と。どちらかというと平凡な容姿の透と、誰もが振り返るような容姿のこの男と。このふたりが恋人同士だというのが理解できない。だがこうちぐはぐなほうが、かえって引き合うものかもしれない。
予想していなかった完璧すぎる装いの男に呆けてしまっていた悠介を見て、「遼太郎」の眉間にギュッと皺が寄る。ああ、厳しい人なんだな、と一目で分かる表情だった。
「……透。彼は?」
問いかける声が冷たい。それを真正面からぶつけられた透はどんな心地だろう。透に背を向けた状態の悠介には確認することもできないが、「毎朝バス停で会う、悠介くん」と答えた透の声は可哀相なほど震えていた。
「バス……?」
す、と細められた遼太郎の目が、品定めするように悠介の全身をくまなく観察する。悠介はこくりと一度生唾を呑み込むと、覚悟を決めて口を開いた。
「はじめまして、透さんからお話は聞いています。黒瀧西高校三年の和田悠介といいます。透さんとはバス停で一緒になって、親しくさせていただいています」
「……もしかして君が、あの弁当箱の」
「そうです」
そのやり取りで、色々な情報が伝わったらしい。悠介が透に弁当を作ってやっていたこと。つまり透は遼太郎の弁当を食べられていなかったということ。それから、きっと悠介が透をどう思っているのか、も。
悠介と遼太郎の間に緊張が走る。正直悠介は先程から気圧されそうだった。だが、ここで耐えなければこの先透を守ってなどいけない。野球でいえば九回裏の大事な局面だ。拳を強く握り締めて、腹に力を入れる。
「俺は透さんが好きです。守ってあげたいと思っています」
遼太郎の反応は分かりやすかった。キッと目に怒りがともる。その矛先は悠介ではなく、その背後で身を縮こまらせる透だった。
「――透。どういうことだ?」
ベッドに半身を起こした透は可哀相なくらい身を小さくしていた。遼太郎のほうを見ることができないのか、布団の上で握りしめた己の手をじっと見つめている。その顔は蒼白で、悠介は彼の体調が心配になった。
「透」
畳みかけるような呼びかけに、透はきゅっと目を瞑って口許に手を当てる。吐きそうなのかもしれない。慌ててその横に寄りそうと、背を抱いて支えてやった。
「やめてください。透さんを追い込まないで」
落ち着かせるように背をさする。その言葉や動作が遼太郎を苛立たせるのだとは分かっていたが、止められない。悠介は強い決意を秘めた眼差しで遼太郎を見据えた。
「黙ってくれないか、俺は透に話しているんだ。透ッ」
大きな声に、透はビクリと体を強張らせる。いつもこうやって、怯えて暮らしてきたのだろうか。心を壊して、体を壊して、こうして倒れてしまうまで溜め込んで。
「……透さん」
悠介は努めて穏やかな声でその名を呼ぶと、少しでも彼の苦しみを吸い取ってやれやしないかと、背や腕をさする。
「自分に素直になって。本当の気持ちを言ってみなよ。大丈夫、俺がついてるから」
あ、あ、と言葉にならない声を発して透の唇が震える。その目に再び、大粒の涙が滲んだ。
病室内に痛いほどの静寂が訪れる。遼太郎から放たれる怒気が何ともいえない緊張感を漂わせる中、静寂を打ち破ったのは消え入りそうなほどか細い透の声だった。
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